キャンプ場を囲む木々全体が、キャンパー達の灯す焚火の火を映し出しているかのように、赤く色づいている。
その細部、電飾が造る光の一粒一粒に目を凝らしながら、僕ーー
あの時雨が降らず、蛍が飛び続けていれば、僕は自分の本心を隠したまま、口先だけの言葉でその場を取り繕っていたかも知れない。プロポーズを受けたと告白する穂乃果に対し、ありきたりなお祝いの言葉を述べ、その話題に無理やり蓋をしていたかも知れない。
色々なことが、色々な偶然に左右され、結果として今の世界に辿り着いている。もう一度過去のある一点からやり直す事になったとしても、投げた賽が再び同じ目を出すとは限らない。
今この場所で、このメンバーで、この景色を眺めている事。それは本当に、奇跡に近い出来事なのかも知れない。
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「出来ましたよー! 究極のローストチキンです!」
「至高のポトフも完成! 体が温まるよ!」
キャンプになると男は異常に料理を作りたがると、どこかの雑誌に書いてあった。僕は普段から
僕はここで、キャンプ料理はマジックショーである、という持論を展開させてもらう。
普段の生活の中で造る料理は、キッチンという料理設備が整えられた空間の中で、いかに効率的に、かつ費用的な負担が少なく、それでいて不満のない味が求められている。日常の延長線上にある料理はコストパフォーマンスの高さが前提としてあり、決まった道筋を辿るように料理していく事が普段の料理だ。
それと比較するとキャンプ料理は、手元にある不十分な要素をうまく利用して作っていく。火力はつまみ一つで調整できるわけじゃないし、明かりだって薄暗くて手元が見えづらい。そんな中で、どんな物が完成するかドキドキしながら作っていると、予期せぬ匙加減でめちゃくちゃ美味い料理が出来たりする。
なぜこんなに美味しくなったのかわからない。作った本人ですらタネも仕掛けもわからないまま、奇跡のマジックショーの舞台に立たされているような気分になってくる。
『ここに取り出しましたるはこの鍋。何の変哲もないこの鍋に適当に切った材料をぶち込んで、焚き火にかけます。塩は、こんなもん? 胡椒は、あれ、入れすぎちゃったかな? でもまぁ、このまま煮込むとあら不思議。めちゃくちゃ美味い至高のポトフの完成です!』
美味しい料理をコスパを考慮して作らねばならないという前提条件から解き放たれた時、料理とは驚きと発見に満ちた、この上ない娯楽に変わるのである。
そしてその料理を美味しいと評価してくれる人達がいる。
そりゃ、楽しいに決まってる。世のおじさん方がキャンプ料理に精を出すのも頷ける、という訳だ。
「うん、美味い! また腕を上げたようだね、慎三郎くん」
でもまぁ、実際にはそこまで奇跡的に美味い料理を作っているわけじゃない。結局のところ、焚き火を囲んで食べると何だって奇跡的に美味しい。これもまた、キャンプ料理マジック、といったところだろう。
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焚き火をテキーラテーブルで囲む。
風によって熱風の向きが変わる度に、額の汗が噴き出ては枯れてを繰り返す。身体の正面が火照っている反面、腰からお尻にかけては冬の冷たい空気に晒され、ゆっくりと体温が奪われていく。薄いナイロン地の座面に座っているだけなのだから当然だ。川上夫妻が腰にブランケットを巻いた上に、座布団を敷いて椅子に座っている理由がわかった。冬キャンプにおける寒さは腰の辺りから襲ってくるのだ。
身体を芯から温めるため、飲み物のアルコール度数がどんどん高くなっていくのは当然の帰結だろう。ウイスキーをストレートでちびちび舐めながら、胃の奥底に熱い塊を感じている。
顔を上げてあたりを見渡すと、夕日に照らされた山脈のように、焚き火とランタンに照らされたテント群。いくつかのテントではカラフルな電飾で彩られ、星の光を反射しているようだ。
少し離れたいくつかのサイトから、クリスマスソングがランダムで流れている。洋楽、邦楽、様々な国籍のクリスマスソングが折り重なってるが、その無遠慮な音の洪水に晒されても、不思議と不快感はない。どこの国の曲であろうと、クリスマスソングには共通したテーマが背景にあって、それが乳化剤となる事でオーケストラのような親和性を感じさせる。クリスマスに対する解釈は多々あれど、そこに通じる思いというものは万国共通なのかもしれない。
どこからかマライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』が流れる。子供の頃は漫然と聴いていた曲だけれど、今はその歌詞の意味が強く胸を揺さぶる。
僕は穂乃果を見る。
穂乃果もまた、僕を見てーー
「ちょっと、トイレ行きたい。慎三郎もついてきて」
拍子抜けした僕は「はいはい、わかったわかった」と立ち上がる。
「あの、女子トイレなら、私付き添いますよ?」
「だいじょーぶ、慎三郎でいい」
川上奥さんの申し出を、ニヤニヤしながら制して、穂乃果は僕の手を握る。足元がおぼつかないようで、その場で二、三歩足踏みをした。
「ちょっと、行ってきますね」
「しんざぶろー、ひっぱって」
「わかったわかった」
焚き火を離れると、今が真冬である事を思い知らされた。相対的に、先ほどまでに焚き火に当てられていた穂乃果の手が、幼い子供の手のように、やけに温かく感じられた。
「ジングルベール、ジングルベール、すずがーなるー」
完全に酔っ払いの様相で、炊事場そばのトイレへの道を辿る。こんなに上機嫌な穂乃果は久しぶりだ。完全にクリスマスを待ち侘びる子供の様なテンションだと思う。
僕がこれから訪れる離別を恐れて精神をすり減らしているというのに、この上機嫌は何なのだろうか。川上くんが穂乃果の事を心配していたが、この様子だとそれは完全に杞憂なのではなかろうか。
なんとなく面白くない僕の気持ちはお構いなしとばかりに、穂乃果は装飾で彩られた木々の合間を踊るように進んでいく。
トイレに到着。
僕もとりあえずトイレを済ませ、穂乃果はまだのようだったので隣接する炊事場から活気づくサイトを見渡した。
誰もがクリスマスを謳歌している。
この場所で、心の中に暗がりを抱えているのは、もしかして僕だけなんじゃないだろうか。
そんな事を考えて、その勝手な妄想に自分から打ちのめされている。
「お待たせ」
妄想にふける僕の背後で穂乃果の声。
「おう、んじゃ戻るか」
そう言って歩き出そうとする僕のアウターの裾が引っ張られた。穂乃果のいたずらだろう。酔っ払っているとはいえ、困った奴だ。
「なんだよ」
「ちょっと、こっち向かないで」
被せるように響いた穂乃果の声は小さく、それでいて鋭く、僕はその声に操られるように直立した。
いきなり何を言い出すのか。
酔っ払いの戯言と無視することも出来たが、その声には前後不覚の迷言には無い、強い感情のような物が隠れているような気がした。
だから僕は、ただただ直立していた。
「今から、風の音がすると思うけど、聞き流して」
「はい?」
「私だってね、離れるのが寂しいんだよ」
「え?」
「やっと恋人同士になれたのにさ、これから、二人でいっぱいキャンプに行こうって、そう思ってたのに、私だってさ、すごく寂しいんだからね」
これは多分、単なる独白のつもりなのだろう。
あるいは、冬の風が木々を揺らしているだけ。
「中学の時だって、大学進学の時だって、どんどん慎三郎は私から離れていくんだ。せっかく、やっと距離が近づいたと思ったのに、また離れちゃうんだ。私は、私はね、寂しいの、辛いの、もう離れるのは嫌なの」
「ごめん」
「いいの。私だって理解してる。これも二人の為だし、今更どうしようもない事だって、そんなの理解してるよ。でも辛いの。いやだ、もう離れるのはいやだ」
「穂乃果」
「慎三郎、行かないでよ」
僕は振り向く。
その声の通りに、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を想像して、振り向く。
でも、そこにはいつも通りに笑っている穂乃果がいた。ただし、その目にはイルミネーションが映り込んでいる。
「あのさ、まだこっち向いていいって言ってないんですけど」
「あの」
「まあ、いいよ。風も止んだみたいだし」
そう言って先に立って歩き出す。
僕は、胸が締め付けられるような感情に駆られた。そして、その熱くたぎった心の奥底を冷ますように、静かに雪が降り始める。