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第34話:7回目 高規格リゾートキャンプ②

 女性の水着というのは、なんというか男性の興味を惹く形状というか、いわゆるグラビアアイドルの方々が着ているような、それを見た男性がついつい見入ってしまうような、そういうタイプのやつが一般的なんだと思っていた。


 だから、薄手の部屋着と短パンみたいな水着の上に、これまた薄手のパーカーみたいなのを羽織った穂乃果ほのかを見た時『あ、あれ? そういうのなの?』とついつい口に出してしまい、膨れられた。


「この歳になって、そんな派手な水着を着れる訳ないじゃん」


 そう言って『これだから元引きこもりは』とため息を吐く穂乃果だったが、僕が『そんな事はない! 全然ありだと思います!』と語気を強めると、それはそれで満更でもないようで、面倒くさそうに目を逸らしながらも『じゃあ、次はそういうの準備しとく』と言った。


 水着に着替えた僕らは、管理施設内にあるガーデンスパに来ていた。


 ここは男女とも水着を着た状態で、温泉に浸かる事ができる。紅葉に囲まれた敷地内に、大小様々な岩風呂が配置されていて、さながら大自然に湧いた天然温泉に足を踏み入れたような感覚がした。

 屋外のため、吹き付ける秋風が肌寒い。

 入浴前にシャワーを浴びているため、濡れた水着が体温を奪っていく。

 寒い寒いとつぶやきながら、僕らは一番近い岩風呂に身体を沈めた。


 暖かいお湯に浸かり、やっと一息つけた。

 耳元まで浸かったことで顔は自然と上を向く。色づいた紅葉が青空に掌を広げ、そのいくつかが風に煽られ、舞踊りながら水面に小さな波紋を作った。


「こんなふうに、二人で温泉入るのって、実は初めてだよね。なんかさ、不思議な感じ」


 暖かさに誘発された欠伸を噛み殺しつつ、穂乃果がのんびりとした口調で言う。


「温泉って、普通は男女別だからなぁ」


「たまにはいいね、こういうのも」


「混浴の温泉とか探して、今度行ってみる?」


「それ、あれでしょ、下心あるでしょ」


「そんな事ある訳ないじゃないですか」


「あんまり若い人は来ないらしいよ、混浴」


「あ、そう」


「明らかに落胆してますね」


「してねーよ」


「温泉女子をのぞく時、相手の連れもまたこちらをのぞいているのだ」


「はい?」


「いやらしい目で見てるってことは、他の人からもいやらしい目で見られてる可能性があるって事を、ちょっとは考えろって意味」


「‥‥そっすね」


 確かに、配慮のない提案だったと思う。


 温泉に浸かりながら、僕らは今晩の夕食の段取りの事から始まり、次に行きたいキャンプ場や、次に必要なキャンプ道具の事なんかを、取り止めもなく話した。

 冬のキャンプともなると、寝袋はもう少し暖かいものがいいし、ストーブのような暖房器具も必要になるだろう。


 次の、今度、いつか


 今日僕達は、一体どれだけ『未来』についての話をしただろうか。

 その未来が確定したものではなく、僕の決断一つで脆くも崩れ去る可能性があるとしたら、今彼女と交わす言葉の一つ一つに、僕はどれだけ責任を持つことができるだろう。自分がとても無責任な人間になってしまったような気がして、自己嫌悪の種が芽吹く。

 僕は来年、簡単には会えない、遠い場所に行くかもしれない。

 僕自身が、そんな決断を下す可能性は、ゼロではない。


 穂乃果の話が、来年の春のキャンプにまで及んだ時、僕はただ愛想笑いをする事しか出来なくなっていた。


 温泉を出て、隣接する温水プールに移り、スイミングを習っていた穂乃果は華麗なバタフライを披露する。

 泳げない僕はプールサイドでそんな穂乃果の泳ぎをぼんやりと眺める。


「思い出した。子供会のプールの時も、慎三郎しんざぶろうはそんな感じで座ってたよね」


 25mを往復してきた穂乃果は、荒い息を整えながら僕の隣に座り、懐かしそうに言う。


「プール、嫌いだったな」


「泳ぎなんて、簡単だよ」


「息継ぎが出来ない。鼻に水が入るじゃん、あれ」


「今からでも遅くないよ。わたしが教えてあげようか?」


「いいって」


「今から練習してれば、来年の夏には海水浴兼砂浜キャンプが出来るかもよ」


「そうかもね」


 来年、か。


 多分僕は神経過敏になっている。

 なんの気ない穂乃果の言葉一つ一つが、妙に心の薄皮に貼り付き、針で突いたような痛みを覚える。



   △



 管理施設からキャンプサイトへの帰り道。

 道路脇に並んだテントと、それらを赤く照らす夕日。冬の足音を感じる風の冷たさと、黄色く変わった広葉樹が揺れて響く、啜り泣きのような乾いた音。


「秋の夕暮れって、中学校の下校を思い出すんだよな」


 未来の話で傷つく自分を守ため、僕の思考は自然と過去に向けられた。


「ああー、山の中の中学校だったからねぇ。確かにここと雰囲気が似てるかも」


 僕の思惑など知らない穂乃果は、感慨深く夕日に目を細めた。


「合唱コンクール、大地讃頌」


「ははは、懐かしい」


「穂乃果のクラス、確か優勝してたよね」


「2年生の時ね。慎三郎のクラスは確かビリだったっけ」


「あの頃は斜に構えてたので、合唱コンクールなんてくだらないと思ってました」


「慎三郎は今も大して変わらんよ」


「そんなことはない」


「覚えてたんだ。わたしのクラスが優勝したの」


「そりゃ、多少は気になってたし。穂乃果もうちのクラスがビリだったの、よく覚えてんね」


「そりゃー‥‥多少は、気になってたし」


 どこかのサイトから、10年以上前、僕らが中学生くらいの頃に流行ったバンドの代表曲が流れてきた。不思議な偶然の産物に驚き、お互い顔を見合わせて笑う。


「今からでも、やり直せるよ」


「何が?」


「わたし達が、無為に過ごしてしちゃった、今までの時間」


「そうだね」


 僕は今、幸せだった。

 だからこそ、本当に、この幸せが壊れてしまうことが、怖くて仕方なかった。


 出来ることなら、このままサイトに辿り着かず、止まった秋の中で、二人の未来について語り合っていたかった。


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