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第31話:キャンプ師匠・川上宅でのバーベキュー

 私ーー佐々木ささき穂乃果ほのかは仕事にプライベートの人間関係をあまり持ち込みたくないタイプの人間だ。

 けれど、職場の後輩でありであり、一応はキャンプアドバイザーでもある川上に対しては、共通の知人である慎三郎しんざぶろうとの交際を伝えておかないと、後々面倒な事になるような気がした。

 結局早めに伝えたところで、面倒なことになるのは分かっていたけれど、面倒な仕事は先に片付けて置くのもまた、私という人間だ。

 そう思って、先日のキャンプ、というか結果としてはコテージ泊で終わった例の一件の話をしに川上宅にお邪魔した時、本当にさりげなく、ベルトルトが超大型巨人であることをエレンに伝えた時ぐらいのさりげなさで「お邪魔しまーす。あ、私、慎三郎と付き合ったから。それでこの前のキャンプの件だけどーー」と報告してみたが、会話の流れに露骨に潜り込ませた結果、余計に悪目立ちさせてしまった。


「え、付き合い始めたんですか!? わーやっぱりというか、今までだって側から見てると、どう見ても恋人同士でしたもん、付き合ってなかったってのが逆に不自然でしたよ。いやー、でもよかったっすねー。うん、これはすごくいい話じゃないですか。お祝いをしないといけないですよ。我々も二方の幸せを願って、バーベキューパーティー開催しなくちゃいけない! ちょっと待ってください、今から準備しますんで、私は今ここに『交際おめでとうバーベキューパーティー』の開催を宣言しますよ! 冷凍庫に次のキャンプで食べようと思ってたいい肉があるんで、それを調理します! あ、今夜食事の予定ありました? ない? じゃ決まりですね。やりましょうやりましょう」


 と、思った通り面倒な感じになってしまった。

 気持ちは嬉しいけれどさ。


 隣で困ったように笑っている川上奥さんに「なんか、すみません」と小さく頭を下げると「いえいえ、気にしないでください。それに私もお祝いしたいので」と言って微笑んだ。

 こういう女性が世間でいう『旦那さんに理解あるいい奥さん』なんだろうなと思いつつ、自分が同じような立場だったら慎三郎に対しどう出るか、なんて事をほわーっと考えてみた。

 慎三郎が勝手な事を言い出したら、多分私は文句を言って、最終的には喧嘩になりそうだ。喧嘩と言っても、じゃれ合いのような喧嘩だろうけど。



   △



 川上宅の庭でバーベキュー。


 秋の空は澄み渡り、小さな雲が遥か上空を流れていく。日差しはまだ少し夏の名残を感じさせ、首筋がほんのり汗ばむ。

 川上の家は市街地を外れた、田園と小高い山並みが見渡せる田舎の一角にある。草木の生い茂る畦道を抜けた風が首筋の汗を乾かした。


 天高く馬肥ゆる秋と言うが、馬に限らずこんな空の下で食べるご飯は誰だって美味しい。肥ゆるわけにはいかないが、満足いくまで味わいたい。


 慎三郎と川上は、先日慎三郎が行ったソロキャンプの写真を見ながら盛り上がっている。

 自分以外の人と楽しそうに話す慎三郎が、今更ながらとても新鮮に感じられた。

 子供の頃からどこか冷めていると言うか、他人との間に壁を作って自分を出さないやつだったから、こんな風に他人と一つのことで盛り上がっている姿をあまり見たことがない。

 キャンプという趣味を見つけ、二人で試行錯誤して、失敗しながら、新しい楽しみを見つけてきた。その結果、新たな出会いがあったり、関係の進展があったり。この歳になって言うのもなんだけど、人ってのは幾つになっても成長できるんだなと、そう感じている。


「あの、おめでとうございます」


 隣に座っていた川上奥さんが、旦那と慎三郎の様子を気にしながら、小声で言って微笑む。


「いや、うん、ありがとう、ございます」


 なんだか、こんなにも大袈裟に祝福されてしまう事がどうにもこそばゆい。

 そもそも人って、他人の恋愛沙汰をここまで本気で祝福出来るものなのだろうか。自分が冷めているのだろうか? そんな疑問が首をもたげたが、川上奥さんお癒し系な笑顔を見ていると、穿った事は考えず、この気持ちを素直に受け取ろうという気持ちになる。


 思えば、彼女の人生のパートナーである川上もそういうところがある。他人を喜ばせることに全力を尽くすというか、他人の幸せを伝染させて場を盛り上げる事ができるというか。


「あの、桑野さんと、佐々木さん、どちらが先に気持ちを言われたんですか?」


「えっと、慎三郎、かな」


「わー、そうなんですか? あの、どんな言葉を言われたんですか?」


「うーん、別に、普通に『僕たち付き合わない?』って、それだけだったなぁ」


「ううん、それって素敵ですよ。あの瞬間って思い出すと、なんだかドキドキしますよね」


「そうだね」川上と交際をはじめた頃の事を思い出しているのだろうか、遠い目をする川上奥さんの幸せそうな顔に、なんだかこちらも幸せな気持ちになってくる。


 ていうか、幸せなんだろうな、今の私も。


 そう言うことって、当たり前になってくると、だんだんと気付けなくなってくる。


 そんなんじゃ、ダメだ。


 そこで、一つの質問が浮かんでくる。なんの事ない、素朴な質問だ。でもこの流れで、経験者の彼女に聞いておきたかった。今後の私たちにとって、確実に関わってくる問題だから。


「あの、もしよかったらなんだけど、川上と結婚を決断した理由って、なんなのか教えてもらえるかな?」言って、言い方がまるで川上を揶揄しているようにも聞こえることに気づき、慌てて訂正する「あ、違うよ、川上がどうとかじゃなくて、結婚ってどんな理由で踏み切るものなのか知りたくて」


「結婚ですか」


 川上奥さんがまたくすりと笑う。また何か思い出の琴線に触れたのだろうか。


「決断とか、踏み切るって感じは、あまりなかったかもしれないですね。なんだか、彼と一緒にいると『面白かった』から」


「面白い?」


「はい、面白かったんです」


「それだけ?」


「はい」


「うーん」私は考えすぎているのだろうか。その人と一生一緒にいるって決断は、そんなに簡単なことではないと思うのだけど。

 そんな私の気持ちに気付いたのか、川上奥さんは人差し指の先を口に当てて考え込むポーズを取る。自分の考えをうまく伝える言葉を探しているのだろうか。


「私、人の話を聞くのが好きなんです。みんな違った考えで、色々な角度から自分の幸せを追求していくんだなって、そういう話は聞いててためになりますし、面白いです」


「うん」照れながら話し出す川上奥さんの言葉に、私は前のめりになって頷く。


「でも、私はあまり積極的なタイプじゃないから、どうしたって人間関係が広がらないし、どんどん自分の世界を狭めてしまって」そして川上の方を見る。慎三郎の写真に一喜一憂する川上「でも彼は、周りの人を楽しませるのに一生懸命だから、自然と色んな人が彼の周りに集まってくるんです。そして私は、彼の周りで起きる色んな出来事を、一歩下がって眺めている。それが面白いっていうか、そんな感じで‥‥」


「それで『面白い』」


「はい。彼の事が好きだっていう感情は当然ありますよ。でもそういう感情の根底って、きっと相手に対する尊敬の気持ちですよね」


「そうだよね」


「私にできない事が出来る彼を私は尊敬してますし、きっと彼もどこか別のところで、私の事をそんなふうに思ってくれてるんだと思います」


「お互いの不足を補うような関係、みたいな感じ?」


「凹凸がうまく嵌まったと言うか」川上奥さんは秋の日差しに目を細めた「それに気付いた時、この人しかいないって、そう思いました」


 なるほどな。

 じゃあ、私たちはどうなのだろうーーそんな思考を川上の声が遮る。


「先輩、見てください! 桑野さん、この前のソロキャンプでJKと仲良くなったみたいです」


「いや、JKかどうかはわからないから」あたふたする慎三郎。


「でも先輩、心配しないでください。JKと仲良くなっても、先輩一筋だって桑野さん言ってますから!」


「その話は私も聞いたよ。確かふうこちゃんって子でしょ。初キャンプでソロを決行したらしいよ」


「ひゃー、すごい子ですね。見込みがあるなぁ。ソロにおすすめの安くて軽量なキャンプ道具をまとめてみますんで、桑野さん教えてあげると良いと思いますよ」


「それが、連絡先知らないんだ」


「え、なんでですか」


「だって、連絡先交換したら、今後も関係が続くってことじゃん。おっさんと若者なんだから、お互いに一期一会の関係で留めといた方がいいと思って」


「先輩、聞きました? 桑野さんは若い子にも全然靡かない一途な男ですよ! いい人捕まえましたね!」


「うるさいなぁ」悪態をつくが、正直満更でもない。


 川上奥さんを見ると、そんな私達のやり取りを面白そうに眺めていた。なるほど、こういうところか、と私は思う。


 秋の夕暮れは駆け足で訪れる。


 ほんの少し前まで、鋭い西日に照らされてひぐらしの鳴き声が聞こえていた時間帯なのに、今は薄暗く肌寒い風が吹く。

 田んぼの方から、秋のバッタのひょうきんな鳴き声が聞こえてきた。



    △



 窓を開けた車内に、流れ込む夜風が心地よい。


 コンパクトカーのハンドルを握りながら僕ーー桑野慎三郎は、助手席に座る穂乃果の上機嫌な鼻歌を聴きながら、田舎道を抜けて市街地手前の交差点で止まった。


 川上君と川上奥さんに勧められたお酒をたらふく飲んで、完全に酔っ払い状態の穂乃果。

 キャンプで飲む酒は、いい気分にはなるものの前後不覚になるほど酔っ払うという事はあまりない。非日常にいるという緊張感が、アルコールの効果を妨げているのだろう。だから、お酒に呑まれてここまで酔っ払った穂乃果を見るのは久しぶりだった。

 もちろん、ハンドルキーパーの僕は一滴も飲んでいないから、なんだか少し羨ましい。


「しんざぶろー」


「なんだよ」


「すきー」


「わかったわかった」


 信号が青に変わり、僕はアクセルを踏み込む。スーパーや、飲食店や、コンビニの明かりの間を縫うように、車はゆっくりと家路を辿る。


「なあ、穂乃果」


「なにー?」


「これからも、いっぱいキャンプ行こうな」


「うん、いくー」


 ヘラヘラと笑う。

 酔っ払った穂乃果は、普段の素っ気ない様子とは違ってなんだか可愛らしかった。

 たまにはこんな穂乃果もいいな、そんな事を思いながら、僕はアパート側の十字路を右に曲がり、車を駐車場に止める。


 鼻歌が寝息に変わった穂乃果を見る。その寝顔は、子供の頃の彼女そのままだ。

 もう2度と離れる事はないだろう。


 この時の僕は、そう無邪気に信じていた。




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