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第30話:6回目 慢心アクシデントキャンプ②

 20時を過ぎると、窓を揺らす風の音は小さくなり、入れ替わるようにして秋の虫の鳴き声が聞こえ始めた。

 テレビを消してカーテンを開けると、視界の隅、木々の隙間から満月が覗いていた。


 メインのフレームが折れた事で、設営は完全に不可能になってしまった。途方に暮れる僕らだったが、いつまでの落ち込んでいてもしょうがない。管理棟でチェックアウトする旨を伝えると、応対してくれたオーナーさんは「それならば‥‥」とキャンセルが出たコテージ一棟を使用しても構わないと提案してくれた。おめおめと引き返すほかないと思っていた僕らにとって、この提案は実にありがたかった。キャンプとは少し違うけれど、コテージ泊もそれはそれで楽しそうだ。切り替えていくしかない。


 夕食に焚き火で作る予定だった豚汁は、結果的にはガスコンロの上に鎮座している。半分ほどが食べられ、もう半分は明日の朝ごはんになる予定。


 夕食後にぼんやりテレビを眺めていると、先に風呂に入っていた穂乃果ほのかがタオルで髪を拭きながら居間に戻ってきた。


「けっこう広かったよ。慎三郎も入んなよ」


「ああ」


 バスルームに向かい、少し温くなった湯船に身体を沈める。お湯を注いで温度を調節しながら、湯気で水滴の溜まった天井を見上げた。こんなふうに風呂で疲れを癒せるのなら、コテージという選択もなかなか悪くないのかもしれない。


 風呂から上がると、穂乃果がソファーに腰掛けて漫画を読んでいた。テーブルにはビールとシェラカップが2つ並べてある。僕が穂乃果の隣に座ると、漫画を置いてカップにビールを注いでくれた。


「お疲れ」


「うん、お疲れ」


 金属が触れ合い小さく鳴る。


「テント、メーカーの方に送れば修理してくれるみたい。大体二週間くらいかかるって」スマホの画面を見せながら穂乃果が言う。


「そっか。しかし、風はヤバいね。まさか壊れるとは思わなかった」


「多分、構造的に力が掛かると壊れやすい方向があるんじゃない? いずれにせよ、風の時の強行突破は愚策なようだ」


「教訓にします」


 ソファーで隣に並んでビールを飲む。

 僕のアパートだとソファーがないし、小さいテーブルが一つあるだけだから、必然的に向かい合って過ごすことになる。

 こんなふうに並んで座るのは、実はあまりない経験だと言うことに気づき、なんだかもやもやした感情が吹き出してくる。柔らかいソファーは、少しでも体重の均衡を崩すと、よからぬ方向に沈み込む。穂乃果を意識してそらに体重が傾くと、勝手に身体が倒れ込んで、肩が触れ合うかたちになった。


 穂乃果は意に会する様子もなく、真剣に漫画を読んでいる。


「今日は何読んでんの?」


「え、『ぼくらの』」


「ああー」相変わらずチョイスがなんとも言えない。名作ではあるけれど。


 スマホを眺めてはみるものの、焚き火が出来ないとなんだか手持ち無沙汰だ。

 普段と違うシチュエーションに気持ちは高揚しているにもかかわらず、それを発散する術がないため、どうにも釈然としない感覚だ。

 そもそも僕は、焚き火をしたいがためにキャンプに来ているのかもしれない。料理2割、お酒2割、焚き火6割って感覚だろう。これじゃ、どうしたって満たされない。


 焚き火をしたい。


 焚き火をしたい。


 気付くと、穂乃果がこちらを見ていた。触れ合った肩に力が込められる。穂乃果の方からも、肩をこちらに押し付けているのかもしれない。

 風呂上がりの熱と、アルコールによる身体の火照りが、彼女の頬を赤く染めている。


「あのさ‥‥したいの?」


「うん」やはり僕は焚き火がしたい。


 穂乃果は困った顔で一度目を逸らし、なぜか恥ずかしそうに再び僕の目を見て、また逸らした。


「いや、その、確かにここはコテージだし、テントじゃダメって言ったけど‥‥それに、今日は持ってきてないでしょ」


「え、持ってきてるじゃん」


「持ってきてんの?」


「当然だろ、いつも持ってきてるよ」


「はあ? 財布に入れてるとか?」


「え? 財布に入る訳ないじゃん」


「財布に入らないって、どんなの買ってきたのさ! 私やだからね、そういうアブノーマルなやつ!」


「アブノーマルって、いつもの焚き火台じゃん」


「は?」穂乃果は目を見開き、半口を開けている。鳩が豆鉄砲を食らった顔とは、正にこんな顔なのだろう。その様子と、会話の流れで、僕は穂乃果が何と勘違いしていたのか察しがついた。


「したいのって、焚き火?」


「そうだよ。え、穂乃果、なんだと思ったの?」


「うっさい」


「どうしたのほのちゃん、顔真っ赤だよ?」


「うっさい! しね!」


 こうして、しばらくの間、穂乃果に反撃できるネタを手に入れる事ができた。いつもやられてばかりなので、この強力な武器の獲得は非常にありがたい。



   △



 利用規約を読むと、庭の一区画で焚き火が出来るらしい。風は落ち着き、微風に変わっているため、僕と穂乃果は外に出た。


 焚き火台を組み立て、椅子を並べ、台にビールを並べ、小さく割った薪に火をつける。


 もはや慣れたもので、火は簡単に安定した。


 僕らは変わっていく。成長と称される肯定的な意味でも、衰退と称される否定的な意味でも。


 今の僕たちは、子供の頃のように着火に戸惑うことも、お互いの距離感が分からずに戸惑うことも減った。でもそれが全て肯定的な変化であるのかは、実は断言できないのかもしれない。


 緩く結ばれた紐は、簡単に解けても、結び直すことができる。でも、固く縛った紐を二つに分ける場合は、切断するほかない。


 僕たちが再び二つに分かれる事はないだろう。

 ないと思いたい。 


 しかし、もし否が応にも二つに分かれる日がきた時、その離別の痛みは計り知れない。


 穂乃果の瞳に炎が映る。


「コテージ泊も、悪くないかもね」未来に向けたちょっとした約束、その積み重ねが、結ばれた紐をより強固にしていく一助になると信じてぼくは言う「この日は、毎年コテージ泊の日にしようか。テント破損記念日、的な」


「そういう、教訓を含んだ日は確かに必要かもね」穂乃果はそう応える。僕の意図を感じ取っているかわ分からない。でも、それでいい。


 台風の過ぎ去った空はどこまでも深く、星は遥か遠くで輝き、僕らに秋の訪れを感じさせた。




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