目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第19話:4回目 海辺キャンプ①

 林道を抜けると、いつも間にか視界の向こうに海が広がっていた。

 視界がひらけた開放感から車の窓を開けると、冷房が効いた車内に草木の匂いを含む生温い風が吹き込んだ。蝉の声が少し大きくなり、海が見えた感動を伝えようとする穂乃果ほのかの声を遮った。

 季節は真夏。

 子供の頃は、この蝉の声と突き刺すような日差しを感じるだけで、自然と胸が高鳴ったものだ。しかし今の僕だって、あの頃と変わらない興奮を胸に抱いている。


 今日は4回目のキャンプ。

 場所は海辺のキャンプサイト。


 キャンプとは萎えた大人の心にも、子供の頃のあの感情を呼び覚まさせてくれのだ。



   △



 キャンプサイト近くの道の駅に立ち寄り、地産品を物色する。その土地でしか売っていない食材をその日の料理で味わえるのもまた、キャンプの醍醐味の一つである。

 海の近くということもあり海産物系がいくつか並んでいたが、昼過ぎというこの時間帯が良くないのか、めぼしいものは大体売り切れてしまったようだ。

 仕方なく、といっては生産者の方々に失礼だけど、大きく立派な椎茸が袋売りされていたので、購入する事にした。炭の上でじっくり焼くいて、ちょっぴり醤油を垂らすと100%美味しいと保証できる。焦げた醤油の芳香を想像し、涎が出そうになる。


 会計を済ませて建物を出ると、熱せられたコンクリートの匂いが全身を包み込み、一時的に冷房で冷やされていた僕の皮膚を再加熱していく。今の自分に醤油を垂らしたら、おそらく椎茸と同じ匂いを漂わせるに違いない。


 自販機横のベンチでは穂乃果がソフトクリームを舐めていた。建屋に入る前、外の売店に掲げられた『特産ミルクを使った濃厚ソフトクリーム』の文字を物欲しそうに見つめる穂乃果の姿を見ていたため、さもありなんといった感じだ。


「どう、美味い?」


 隣に座ってそう尋ねると「超うまい」という言葉が返ってきた。コーンの淵から溶けたソフトクリームが垂れている。早く食べないと幾らかは蟻の餌になってしまいそうだ。


「何買ったの?」


「椎茸買ってきた。海産物は売ってなかったね。時間が遅いからかな」


「そっか。まぁ仕方ないよ。海の匂いを感じながら食べれば、椎茸だって海鮮になると思う」


「いやいや、その理屈はおかしい」


「私も言っててそう思った」


「ほら、早く食べ終わらないと溶けるぞ」


「あ、ほんとだ。ちょっと待ってて」


 大口をあげてソフトクリームを咥え込む。その仕草が何だか直視してはいけないもののような気がして、僕は穂乃果の顔から目を逸らすのだった。

 気にしすぎ?

 いや、別にいいんだけどさ。



   △



 キャンプ場は海が見渡せる丘の上にあった。


 残念ながらフェンスで囲われていて、直接海まで降りて行けるようなルートがあるわけではないのだが、少し離れた高台からは太平洋が一望できるらしい。一息ついたら行ってみよう、と言うことになり、とりあえず二人でテントの設営を始める。

 3回目ともなると、初めて設営した時のようなドタバタはない。二人で短く声を掛け合いながら、テントとタープの位置を決め、流れるように設営が進む。

 説明書や設営動画のやり方をそのまま真似ていたのだが、タープの下にテントが入り込むようなこの設営方法を『小川張り』と言うらしい。テントの出入り口がタープの下に位置するため、例えば雨が降ったとしても、テントとタープ間を濡れる事なく行き来する事ができる。

 ちょっといいブランドのエントーリーモデルのテント&アンドタープを買ったので、小川張に必要なセッティングテープも付いてきたのが嬉しい。このヘキサタープは対角線場の2穴にポールを立て、残り四隅にロープを張って完成するが、このセッティングテープをタープに接合し、伸ばしたテープの端にポールを立てることで、ポール間の距離を伸ばす事ができる。テントをセッティングテープの下に来るように組めば、テントの出口がタープの三角屋根の下にくるような状態になるのだ。

 今回も美しくテントが組み上がった。

 僕はうっとりしながら、様々な角度で写真を撮るのだった。


「ちょっと、海見てこようよ」


 設営も一段落ついたので、穂乃果の提案を受けてサイト側の小高い丘へと向かった。

 炎天下の設営で流れ出た汗を、海風が強引に拭い去る。夏の暑さは苦痛以外のなにものでもないが、たまに吹く風の涼しさを教えてくれる。エアコンから噴き出す人工的な冷風とは異なり、この夏の海風は、身体の奥底で滾る夏の意識みたいなものは残しつつ、表面的な熱のみを奪い去っていく。

 先日までの新緑の季節はもう過ぎた。

 今の自分は夏の真っ只中に突っ立っている。

 季節は巡り、日々は流れ、僕たちのキャンプもの思い出もまた、夏の積乱雲のように積み上がっていくのだ。


 風に乗って、波音が流れてくる。


「海は広いねー」


 太平洋を眺望しながら穂乃果は言う。

 僕らの住んでいる県は海あり県ではあるが、内陸に住んでいるため頻繁に海を拝めるわけではない。今まで何度も海を見たことはあるはずだけど、日常とは言い難いこの『海の見える景色』というものには、毎回不思議な感動を覚えてしまう。


「来れてよかったよ」


 穂乃果が呟いた。


「そうだね」


 僕は応える。


「やっぱり、キャンプは心のオアシスだよ。色々疲れることばっかりだけど、こうやって慎三郎しんざぶろうとキャンプに来ると、こんがらがった気持ちを一旦リセットできる」


「そうだね」


「こう見えてね、私は毎回楽しみにしてるんだよ」


「それはまぁ、俺も。毎回付き合ってくれてどーも」


「いえいえ」


 海を見ながら二人で大きく伸びをする。

 傾き始めた太陽が、僕らの後ろに長い影を作る。 



   △



 夏はキャンプ場が最も賑わうシーズンだ。

 当然と言ったら当然だが、様々な人達が、思い思いのスタイルでキャンプ楽しんでいる。特に海べのキャンプ場は、夏と海という2つのイメージが結びつきやすいため、必然的に訪れる人も多い。

 実の所、暑さを避けるなら『高原キャンプ』と考え、標高が高いところに向かっていくのが一般的なキャンプ経験者だ。この時期に海辺のキャンプ場に来る人達は、海に特別な思い入れのある場合が多い。しかし、ただ単に海という開放的なイメージに踊らされてやって来る人々もいる。


 サイトに戻ると、隣のサイトにも大学生くらいの男女が数名がチェックインしていた。テントを張りながら、すでに酒盛りを始めている様子。

 若い女の甲高い笑い声が響き、男が大声で喚き散らしてる。誰かがふざけてクラッカーを鳴らし、何人かの男が大声で笑いながら、冗談まじりで怒鳴りつける。


「いやぁ、若いってのは威勢がいいね」


 威勢がいいというオブラートに包みながらも、穂乃果は若者たちの騒ぎ声に気圧されている様子だった。


 夏はキャンプ場が最も賑わうシーズンだ。

 しかしその中には、マナーを守るキャンパーもいれば、そうでない者達も当然いる。


 今回のキャンプに一抹の不安を覚えながらも、ゆっくりと西日は傾いていく。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?