「川上が、こんなの貸してくれた」
日曜日の午前9時、気の抜けた空気が漂う我が安アパート。
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LINEのやり取りで次に行くキャンプ場が決定した。
計画の細部を打ち合わせるため、河原キャンプから数週間ぶりに穂乃果に会うことになった僕ーー
聞くところによると、会社のレクでデイキャンプに行ってきたらしい。
発起人の川上君が数々のキャンプ料理を振る舞ったことで、課内での評判も上々。
穂乃果はというとアヒージョを作って一人楽しんでいたらしく、そのマイペースぶりが穂乃果らしいなと微笑ましい気持ちになる。
しかし、この狭い部屋の中で、僕は隠しきれているのだろうか。
この妙な胸騒ぎをーー
穂乃果が僕の家に遊びに来る、それはいつも通りのシチュエーション。
しかし、たったそれだけの事を妙に意識してしまうのは、やはりこの前のキャンプの一件があったからだろう。
表面上の僕は多分あまり変わっていない。
しかし自分の内面に目を向けると、奥底では今までとは違う何か薄暗い感情が渦巻いている。
その感情が何なのかを理解した時、僕は敢えて今まで考えないようにしてきた自分の欲望に目を向ける事となった。
明かりを消した部屋でパソコンのブルーライトを浴びながら、僕は異様に冴えた目で欲望を昇華する方法を探した。
こんな感情に囚われてしまった自分が、そこから何とか抜け出すための突破口を探す。
投げ捨てた溜息と呻きの残さが沈澱し薄汚れたこの部屋へ、当の本人である穂乃果を招き入れることに、謎の罪悪感を感じる僕だった。
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「なんか録画したやつ?」
穂乃果が手に持つブルーレイ・ディスクを見て僕は訪ねる。
「さあ? でも『キャンパーのバイブル的映像作品』らしいから、是非慎三郎と一緒に見てほしい、って言われた」
「なんだろ、キャンパーの動画とかかな?」
「キャンプ場の紹介動画かもよ」
「もしくは、キャンプ道具の紹介かも」
「長いので、飲み物や軽食を準備して観て、とも言われたわ」
そう言って、穂乃果はぶら下げていたコンビニ袋から、自社ブランドの大容量うす塩ポテチを取り出す。
「まあ、観てみよう」
僕は穂乃果からブルーレイを受け取り、プレーヤーへ挿入する。
安物なので再生まで時間がかかる。穂乃果はポテチを開けて、僕はキッチンからコップとペットボトルのコーヒー飲料を持ってくる。
映像が映し出された。
「あ、アニメ?」
唖然とした様子で穂乃果は呟く。
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僕はこのアニメの存在を認識はしていた。
インターネットなどでたまに話題となっているので、登場人物のイラストなど何度か見たことがあった。それでも視聴まで至らなかったのは、ただ単に機会がなかったなかっただけではある。
かわいい女子高生達が、キャンプするアニメ。
「川上のやつ、テキトーなやつ渡しやがって」
あまりアニメを見る習慣がない穂乃果にとって、こういうタイプのアニメとは大学生くらいの若者までが観る娯楽と捉えているのだろう。その考え方はいささか時代遅れではあるが、そう思ってしまうのも分からなくはない。
就職をしてから、僕だって愛しのガンダムの映像作品を見そびれている実感はある。最近は一年戦争をモチーフにした作品が複数映像化されているようなのだが、手をつけていないものが殆どだ。
ポテチを齧りながら、穿った目で渋々アニメを観る穂乃果。
しかし開始5分にして、ポテチを咀嚼する口の動きが止まった。
半口を開けながら、画面に釘付けになっている。
1話目が終わっても一言も語らず、食い入るように見続ける。
気付けば6話のエンディングが流れていた。
あっという間の数時間。
「ちよっと、トイレ」
そう言って立ち上がった穂乃果。数分して戻ってくると、神妙な顔でこう呟いた。
「なにこれ、なかなか、面白いんだけど‥‥」
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結局全話見てしまった。
「ああー面白かった! 確かにキャンパーのバイブルだ! 早くキャンプ行きたい!!」
興奮した様子の穂乃果。
正直僕も、予想以上の面白さに驚いていた。何というか、ものすごくキャンプに行きたくなるアニメだった。キャンプ未経験者はもちろん、キャンプという媚薬を味わってしまった人間にとっては尚更、このアニメは恐ろしほどのキャンプ欲を呼び覚まさせる。
「次のキャンプにさー、あのランタン買ってこうよ!」
「あ、あのなでしこちゃんが欲しがってたやつね」
「あと、あのちっちゃい焚き火グリルも欲しいな!」
「リンちゃんが買ったやつだね」
「なんかおっさんがアニメキャラを『ちゃん』付けして呼んでると、なんかキモいね」
「ひでーな」
「私のこと、穂乃果ちゃん、って呼んでみ? ほのちゃんでもいいよ?」
「呼ばないから」
アニメに夢中になっていて気付かなかったが、さっきまで感じていた胸の中のモヤモヤが、少しだけ晴れている事に気が付いた。
キャンプを楽しむ若者たちを画面越しに見ながら、僕もキャンプの魅力というやつを改めて実感できたように思う。
無理に楽しもうとしないこと。
無理に答えを見つけないこと。
屋根も壁もない不慣れな自然の中で、ただ生活という歩みを進める。
ふと振り返った時、自分の後ろにいくつもの喜びや思い出が転がっている。
それがキャンプというものだ。
確かにこのアニメは、キャンパーのバイブル的映像作品なのだろう。
「ところで慎三郎は、登場人物でどの子が一番かわいいと思う?」
「え、何だよその質問」
「いいから」
「えーっと、りんちゃんかな」
「ふーん」
「いや、なでしこちゃんもいいよね、一緒にいて楽しそう」
「そっか」
「なんだよ」
「ちなみにだけど、私って誰に似ていると思う?」
「えー、誰だろ。いなくね?」
「強いて言えば?」
「強いて言えば、うーん‥‥千明ちゃんかな」
「なるほど」
「なんか不満そうだな」
「いや、確かに千明ちゃんもかわいいよ。私多分あの中で一番気が合いそう」
「だろ?」
「でもさ、なんていうか」
「はい?」
「慎三郎が何でモテないのかわかった、って感じ」
なぜここでディスられるのだろうか。
納得がいかない。
穂乃果が川上君にお礼のLINEをすると『実写版もありますし、今は2期が放送されてますよ』との返事が返ってきたようだ。
キャンプの計画はとりあえず置いといて、今日は一日テレビを見ながら過ごすことになりそうだ。