PCのデスクトップに貼り付けたメモアプリには、やらなければならない仕事が箇条書きで羅列されている。
それらを一つ一つ消し込んでいくことに快感を感じる事もあるが、今は終わるあてもなく積み重なっていく残務に溜息すら出ない。
今日の同窓会、断りの電話を入れておいて良かった、と私ーー
多忙な生活の中で、人間味が薄れていく事を実感する時がある。寝て、起きて、食べて、仕事する。この繰り返しが生活の全てなら、そんな私は果たして人間と言えるのだろうか。
誰が悪いわけではない。「やらなくてはならない事」の裾野を「やった方がいい事」まで広げたことで、時間と引き換えに社内の評価と顧客からの感謝を得る事ができた。それは自分自身の達成感の為に、自分自身選んできた結果だ。
しかし、辛い。
家に帰って、誰もいない部屋で、残り少ない一日の一分一秒を無駄にしないように、焦燥感に追われながら家事をしている時に、なんだか涙が溢れそうになる。
大学時代から住んでいるこのアパートは、物と、埃と、様々な思い出が積み重なっている。
それらの中に逃避したいと思う事が、最近は多くなった。
クローゼットのカラーボックスの中に、返し忘れた男物のTシャツが眠っている。
私の大学時代の思い出。
ほぼ全ての時間をともに過ごしてきた日々の結晶が、綺麗に畳まれて仕舞われている。
たまに、本当にたまにだけれど、無性に彼の声が聞きたくなる。
自分から終わらせた優しい時間に、再び自分から縋ろうとする、その浅ましさに自己嫌悪に陥りながらも、スマホを握りしめる夜がある。
あの同窓会の夜も、そんな気分に陥りそうな予感があったーー
△
キャンプ場の空を、ひぐらしの声が覆い尽くしていた。
日はわずかに傾き、並んだ二つの影がゆっくりと伸びていく。ときに厚い雲が日を遮ると、うなじにほんの少しだけ涼しさが戻ってくる。草木とBBQの匂いを含んだ風が、耳の横を走り抜け、その心地よさに私は目を細めた。
皆の話し声。
時々笑い声。
そこから少し離れたところで、椅子に座る私と、隣に立つ拓也(たくや)。
あの頃、この人の声を聞くことに、生乾きの傷口に指先で触れるような、そんな印象を持っていたことを思い出す。
しかし、今私の隣から聞こえてくるその声に、痛みを伴う響きはない。
私の作り出していた壁は、ビジネスという鉄鋼に包まれた弾丸であれば、最も容易く崩壊してしまうほどに脆弱なものだった。
取引先の担当者として再会してから、この人の声が再び日常に溶け込もうとしている。
「この前の返事、やっぱり変わらないか?」
風が止むのを待って、誰にも聞こえない小さな声で拓也は問う。
もし、あの同窓会の頃の自分が同じ言葉をかけられていたのなら、きっと何の迷いもなく拓也の言葉を受け入れていたと思う。
それは私が、一人の夜にスマホを握りしめながら、心の奥底で望んでいた事だったから。
でも今は、頷く事が出来ない。
『まだ出来ない』なのかも知れないし、『もう出来ない』なのかも知れない。今後の進展が期待できるのか、そうではないのか、当の私自身がはっきりとわかっていない。
でも、今は、ダメだ。
今私には、他にやりたい事がある。
迷いのある状態で安易に頷くことは、拓也の真摯な気持ちに泥を塗ることになる。
だから、頷けない。
「火、か」
私の無言を否定と受け取ったのか、拓也は再び言葉を続ける。
「穂乃果、あの頃、火起こしなんて出来なかったよな」そしてプラスチックカップに入った日本酒を口に含め、複雑な何か感じとるように眉間に皺を寄せる「そういう事、なのかな」
私は無言で頷いた。
若い頃、拓也を含めた友人たちとBBQをした事があった。あの頃の私は、火起こしに悪戦苦闘する男の友人たちを遠目に見ながら、食材のカットとおしゃべりに夢中になっていた。
でも今の私は、頬を煤と汗で汚しながら、一人で火を育てている自分をなんだか誇らしく感じている。
「お前、やっぱり変わったよ。もちろんいい意味で。逞しくなった」拓也は続ける。
自分は変わったのだろうか。
いや、そうじゃない、戻ったのかも知れない。拓也に会う前の自分に、ほんの少しだけ。
小学生の頃、あの冬の夜、私は自ら起こした火を眺めていた。
そう、ある幼馴染と一緒に。
そして今の私は、再び燃え始めたその火を、もう少し眺めていたい。
「ごめんね」
私の声はひぐらしの物悲しげな声に薄められ、冬の吐息のように消えていった。
「せんぱーい、
川上が呼んでいる。
いつまでも二人で黄昏ていると、また村田さんに変な疑いをかけられるかも知れない。
「わかった! 今行くから」
そう答えて、隣に立つ拓也に目をやる。
彼はやるせない表情で、でも無理に作ったような笑顔で頷いた。
初夏の夕暮れは長い。
昼と夜が混ぜ合わされた時間は、二つの相反する気持ちがない混ぜになり、人の判断を鈍らせようとする。
拓也の表情にほんの少し罪悪感と、後悔を感じている自分に終止符を打つように、私は歩みを早めた。
△
ーーあの同窓会の夜も、そんな気分に陥りそうな予感があった。
休日出勤を終え、疲れ果てた私は、おぼつかない足取りでコンビニに立ち寄る。
無遠慮な光に、やつれてボロボロの肌を照らされながら、私は不安定な気持ちを沈めるために、窓際に陳列された雑誌を手に取った。
読んではいない。
ただ眺めるだけ。
顔を上げると、窓ガラスには今にも泣き出しそうな自分の顔が写っている。
そこに、懐かしい顔が映り込む。
かなりの年月が経っていたのに、私にはその人物が誰なのか、すぐにわかった。
あの日、変わらない日々が続くと思っていた、そんな矢先ーー
私は、