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第6話:いつもの日常

    アパートのドアがガチャガチャと無遠慮な音を立てて開く。同時に、膨らんだ風船の口から押し出されたような穂乃果の声が吹き込んでくる。


「テント、届いたよね!?」


「おう、ほらこれ」


 僕は部屋の隅に置かれた段ボール箱を指さす。

 開封は二人でと釘を刺されていたので、あえて手はつけていない。某キャンプメーカーの、エントリーモデルテント&タープ。二人で割り勘で購入したわけだが、なかなかの出費だった。

 他にもランタン、寝袋、作業テーブルに椅子、諸々の道具を、中古屋を漁ったり実家の物置を漁ったりしてかき集めた。前回のキャンプを思い出し、必要最低限の道具は揃えたつもりだ。


 なんでここまで入れ込んでしまったか、自分でも理解に苦しむところがある。

 ただ、次の何かに向けて着実に準備を進めていく事は、小さな達成感を積み重ねてくれる。そして、吟味に吟味を重ねて選定した道具達で、上手くキャンプを楽しめた時に感じるであろうカタルシスは想像に容易い。

 最近は僕の部屋に穂乃果が訪れると、次のキャンプの計画を話し合う事が日課になっていた。


 次のキャンプ地は、車で1時間程度の施設が充実した某有名キャンプ場。


 素人がニ人、初のキャンプとなる。


「今日の夕食、何か作ろうか?」あーだーこーだの話し合いの後、大きく伸びをした穂乃果が立ち上がると、いてて、と座りっぱなしで悲鳴をあげている腰をさすりながら、キッチンの冷蔵庫を開けた「あ、卵とベーコンあるじゃん。オムライス的ディナーでいい?」


「あー、ありがと、助かるよ」僕は答えて、遠慮がちにフローリングに転がるクッションに片肘を付いた。


 卵を割る穂乃果の後ろ姿が見える。



 △



 あれは中学の同窓会の日だったか。


 不参加に丸を付けて送り返していた僕は、連休をいつも通り自室で過ごしていた。


 県外の大学を卒業後、実家から車で1時間ほどの地方都市に根を張り、平日は職場のPC画面を睨みつけ、休日はガンプラ作りに勤しんでいる。


 中学時代に嫌な思い出があるわけではないが、取り立てていい思い出があるわけでもない。無色透明の澄んだ湖水のような思い出の中に、今更濁った水滴を垂らす必要はないだろう、と僕は迷いなく不参加を決めていた。しかし、普段は出歩かない夜20時に目的もなく近くのコンビニへと足を運んでしまったのは、どこかで他人との繋がりを求めていたのかもしれない。


 特に欲しくもない発泡酒とつまみを買い物カゴに入れて、店内をぶらぶらと一周する。最近LEDに代わったばかりの店内照明が、カラフルな商品群を冷たく照らす。人の心の中まで照らし出しそうな、無遠慮な明かりだ。


 雑誌棚に、同年代ほどの女性がいた。


 仕事帰りだろうか、スーツ姿ではあるがどこか気が抜けており、隠しきれない疲労感が透けて見える。しかしその横顔に既視感があって、僕は彼女の隣に並んだ。


『穂乃果だ』


 久しぶりに見た幼馴染の顔は、関係が途絶えていた年月分、相応の変化を遂げていた。生き続けることで発生する夢や希望の摩耗を「大人になる」と捉えるなら、彼女はすっかりまともな大人になってしまったように見受けられた。


 中学の同窓会の案内が来たとき、真っ先に思い浮かんだのは穂乃果の事だった。


 中学に入り、僕と穂乃果は疎遠になっていった。


 あの焚き火の夜に感じた「めんどくさくなっていく予感」は的中し、やはり時間の流れは僕と穂乃果の関係を変えていってしまった。

 穂乃果が何々のコンクールで入賞したとか、何々部のなんとか先輩と付き合っているだとか、そういう情報が友人を経由し入ってきたが、僕はそれらを敢えて無視していたような気がする。だから大学に入り、社会人となった頃には、それらの情報は全く入って来なくなっていた。


 同窓会で穂乃果に会えるかもしれない、そんな淡い期待がなかったかといえば嘘になる。しかし結局のところ不参加を決めたのは、不確定な希望に縋るような自分が嫌だったからだ。

 十数年の月日を経たとしても、穂乃果との関係が氷解する事はないのかもしれない。

 同窓会の会場で、お互いに目を合わせずにすれ違う、そんな僕と穂乃果の姿を想像すると、どうしても参加する勇気が出なかった。


 そんな穂乃果が、同窓会の夜に、僕の隣に立っている。


 穂乃果が隣に立つ僕に気付く。


 怪訝な顔、一瞬驚き、そしてふやけたような顔で笑った。


「慎三郎、久しぶり」


 その顔は、なんだかとても懐かしかった。



 △



「おい、起きなさい」


 そんな声で目が覚める。

 目の前に穂乃果の顔があった。いい香りが部屋に充満し、その香りを辿ると、テーブルに置かれたオムライスに行き着く。


「あ、悪い、寝てた」


「いや、別にいいけどさ」


 穂乃果は僕の正面に向かい合って座った。


「我ながら完璧な、オムライス」


「美味そうだ」


「次のキャンプでも、これ作ろっか?」


「それじゃ、ご飯の炊き方調べないとか」


「たしかに。でも、あれかぁ、せっかくのキャンプなんだから、キャンプでしかできない何かを作りたいよね」


「だな」


「なんの料理を作って食べるか、それも考えとこう」


「オッケー」


「それでどう、このオムライス」


「うん、めっちゃうまい」


「たんと食べなさい」


「てかさ」


「なに?」


「けっこう前の、同窓会の夢見てたんだけどさ」


「うん」


「なんであの日、穂乃果は同窓会行かなかったの?」


「いやさ、仕事が忙しい時期で」


「ほう」


「でも、それって言い訳かもしんない。なんか面倒だったんだよね」


「同じだ」


「それにさ」


「ん?」


「また、慎三郎に無視されたら悲しいし」


「え、無視なんてしてなかったじゃん」


「してたよ。中学入ったら、露骨に私の事避けてたでしょ」


「だっけ?」


「めっちゃ傷ついてたんだからね、あれ」


「ごめん」


「今更いいけどさ」


「あ、お代わりある?」


「当然」


 僕は立ち上がる。


 卵の載ってない、チキンライスの残りを皿によそって戻ると、穂乃果がスマホでYouTubeを開いていた。


「テントの設営動画あるっぽいよ。あと、今度行く予定のキャンプ場の動画も」


「よし、予習しよう」


 次のキャンプに思いを馳せながら、夜は更けていく。


「次のキャンプ、楽しみだね」


 帰り際、穂乃果はそう言って笑った。

 コンビニで見た、あの笑顔と同じだった。


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