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第3話:1回目 湖畔キャンプ①

 砂を散らしたように、星が広がっている。


 面倒な事は全て無理やり頭の片隅に追いやり、ただ星を見上げる事に集中した。

そのうち、夜空はどんどん広がっていく。空が降りてきたのか、僕が浮き上がっているのか、それともそのどちらもなのか。 


 僕は目を細める。

 二つの闇が、混ぜ合わさっていく……



  △



「あー、疲れた……」


 4月も半ばに差し掛かると、昼間の陽気は頬を火照られせる。それも慣れない肉体労働を終えた直後ならば尚更だ。僕はウインドブレーカーのポケットに突っ込んでいたタオルを首からぶら下げ、端の方で額の汗を拭った。


「設営完了ですね」


僕らのテントの設営を手伝ってくれていた川上君が、立ち上がって大きく伸びをした。


 川上君は穂乃果の職場の後輩に当たるベテランキャンパー、らしい。らしいというのは、キャンプなんてやった事もない自分にとって、その技術や装備がすごいのかどうなのか、皆目見当がつかないからだ。ただ道中の車内で「以前キャンプした時に大雪が降って」みたいな話をしていた事から察するに、いい感じにイカれた方なのだろうなと察しはついた。なんでわざわざ冬に外で寝泊まりするのか、その感覚が理解不能である。


 半ば強引に参加させられたこのキャンプ。参加者は僕と穂乃果、川上君と川上奥さん4人。初心者二人(僕と穂乃果)のテントやキャンプ道具一式は、管理棟で借りる事が出来た。


 キャンプ場というものは初めてだが、どうやらキチンと区画管理されているらしい。聞いた話によると、敷地内の好きなところに勝手にテントを貼れる『フリーサイト』と、車の横付けが可能な『オートサイト』があり、今回は僕らが初心者ということもありオートサイトに宿泊する事となった。しかも100V電源付き。屋外なのに至れり尽せりである。


 このキャンプ場は、僕達の住んでいる街から県境の山へ、およそ2時間ほど車を走らせた所にある。山の中のキャンプ場ではあるけれど、湖の近くにありそこそこ開けた場所だ。


「えっと、他に何をすればいいのでしょうか?」


 自分のテントの中へ消えていった川上君を追いかけ、声をかける。川上君のテントは三角形でいかにも『テント』って感じがするおしゃれなやつである。ワンポールテント、と言うらしい。テントをたてながら、材質がどうとか、機能がどうだとか色々言っていたけれど、よくわからなかったので基本はスルーしていた。


「何って?」


川上君はテントの隙間から顔を出す。


「ほら、薪割ったり、水汲んだり、火を起こしたり、色々しなきゃなんですよね?」


僕はあたふたと言葉を並べる。面識の薄い人と話すのは苦手だ。


「あー」川上君は深く頷き、テントの中へ入っていく。再びテントから出てきた時、その両手には缶ビールが2本。「とりあえず、飲みましょ」


「え、だってまだ3時前ですよ?」


「いや、3時前だからですよ」椅子を二つ並べ、片方に腰を下ろす。「設営も無事終わりましたし、一旦休憩しましょうよ」


「は、はぁ」


差し出された缶ビールをついつい手に取る。


「あー、このために生きてますね」


グビグビと喉を鳴らしビールを流し込んだ川上君は、椅子の背もたれにもたれ掛かると恍惚の表情でつぶやいた。

 いや、めちゃくちゃ美味そうだけど、でもまだ昼間だぞ? 欲望と背徳感が入り混じった気持ちで、キンキンに冷えた缶ビールを見つめる。


 せめぎ合いの末、プルタブを開け、流し込んだ。


「どうすか?」


「う、美味いっす」


感動の味だった。背徳感がいいスパイスになっている。


「そうでしょ」川上君は笑顔で頷く。「あくせく働かなくていいんんですよ。やる事をやって、後はのんびりするんです。それがキャンプの醍醐味です」そう言って、川上君は椅子に掛けた小物入れから、文庫本を取り出しページをめくり始める。


 そういうものなのかな、と僕はもう一度ビールを口に含んだ。


 苦味の後に来る甘味が、日常と非日常のずれによって生じる違和感を徐々に麻痺させていく。


「そろそろ先輩も呼んできましょ。俺も妻を呼んでくるんで、みんなでコーヒーでも飲みますか」


 先輩とは、穂乃果の事だ。「お、おう」と僕は立ち上がる。


 川上君は感じのいい好青年だな、と僕は思う。キャンプ好きの人達は、馬鹿騒ぎするヤカラ系か、寡黙な職人系の2タイプぐらいしかいないと思っていたが、川上君は人当たりがよく、見た目も爽やかな好青年である。その奥さんも小柄で、胸が大きくて、可愛らしい。どちらかというと街のお洒落な喫茶店なんかに出没するような、明らかな勝ち組夫婦の様相である。


 なんでこの二人が、こんな山の中に好き好んで分け入っていくのだろうか? やはり、僕には理解できない。


 自分のテントに入ると、穂乃果が荷物を並べていた。バッグから人質にしていた僕のガンダムを取り出し、テントの天井に吊るしている‥‥。


「なにやってんの?」僕が問うと、


「あ、いや、なんとなく……てへぺろ」舌を出してあざとく笑った。穂乃果はたまにこういう意味不明な行動を取るところがある。「なんかこう、かっこよく飛んでるようにしとくと、慎三郎も喜ぶかと思って」


 要するに、成り行きで奪ってしまったガンダムの返却するタイミングに困り、それとなくテントの中に吊るしておこうと思ったのだろう。


 うん、意味不明だ。


「一言言っておく」僕はガンダムを指さす。「重力下でガンダムは空を飛ばない」


 キラキラした川上夫妻を見た後だと、僕らのこの一連のやりとりが、ひどく馬鹿らしいもののように感じた。


 そこではっと気がつく。


 流れ的に、今夜僕はこのテントで、穂乃果と寝る事になるのか?


「どしたの?」穂乃果が首を傾げる。


 キャンプだからだろうか。化粧っ気がないうえに、コンタクトではなくメガネを掛けている今日の穂乃果からも、なんとも言えない非日常感が漂っているような気がして、僕は焦った。


 そのズレを誤魔化すため、僕は右手に握っていた缶ビールを全て飲み干すのだった。

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