───それから、およそ一か月が経過した。
ドロシーはあの後 《スアサイダル症候群》の寛解の診断を受けて退院し、定期通院と父親の見舞いのために現在は週に一度通院する事になっている。父親のレオも順調に回復しており、もう暫くしたら退院できるだろうと見込まれている。
ルミエールは吻合・縫合の猛練習を行い、同期から「そんなに練習していて休んでいるか?」と心配されていた。それと同時に院長やクレマリーから《スアサイダル症候群》に関連する自殺未遂例や症状などの大量の資料を渡され……「そういえばどうして僕が《スアサイダル症候群》の専門に……」と嘆いている。
そんなある日。
その日、ルミエールは薬剤師に通達する事があって院内薬局を訪れていた。
《スアサイダル症候群》は精神疾患の面が強い感染症だ。精神状態を安定させる向不安薬が症状の悪化に対して効果がある、という結果が院長から発表された。従って、薬剤師にも《スアサイダル症候群》の予備軍である患者には精神疾患の診断が下っていなくとも向精神薬が処方されるケースがある……という事を伝える必要があり、ルミエールは院内薬局に赴いたというわけだ。
資料を見せながら説明をし、薬剤部全体への通達を頼んで院内薬局を後にするルミエール。
───そこで、通院していたドロシーと偶然すれ違った。
「───あ、ルミエール先生…!」
「ドロシーさん…!お久しぶりですね、経過はいかがですか?」
「お久しぶりです!いい感じですよ、もう死にたいとは思いません」
「それは良かったです…!お父様の方も順調に回復していますしね…!」
「先生方のおかげです。……あ、そうだ───先生、実は就職先が決まりそうなんです!」
「え、本当ですか!」
ドロシーはロザージュを辞職し、再就職活動を始めていた。上司にあれこれ言われて辞職を引き止められたようだが、「いえ、辞めます」と貫き通して無事辞職出来たという。
「実は、ライブの音響としての仕事に決まりそうで……」
「音楽系に興味があったんですか?」
「はい、ロザージュの就職も音楽系の雑誌を書きたかったからなんです。もう既に面接があったんですけど、第一印象はかなりいい会社でした」
「でも……働いてみないと分からないですよね……」
「合わなかったら辞めるまでです。『私達は殺されるために仕事をするんじゃない』んですから」
そう言ってドロシーは力強く笑った。
ルミエールも「ですね」と微笑んだ。
彼女はこれからも、力強く生きるだろう。
「逃げる」事も生きていく中では大切───そう学べた彼女なら、これから先の人生でまた試練が与えられたとしても、乗り越えていける……そう、ルミエールは信じている。
そろそろ桜が咲き始めてきましたね、とドロシーは言った。
ルミエールは院内薬局の待合室についている窓から外を眺める。薄桃色の花弁が、綻び始めていた。
───そんな桜を、医局の窓からクレマリーも眺めていた。
「……始まったか。人類と死神の生存を賭けた聖戦が」
そうぽつりと溢すクレマリー。
その声は、春の風に揉み消されて……誰にも届く事なく消えていった。