手術から数日が経過した。
ルミエールは医局でオペを行った患者───ドロシーのカルテを見ながら思案を巡らせていた。
ドロシー・アルベール。
彼女は秋入学した短期大学を卒業後、昨年の十一月から株式会社ロザージュに就職した新入社員、との事だった。株式会社ロザージュ……その企業は耳にした事はある。確か、ファッションや芸能など様々なジャンルの雑誌を出版していた会社の筈だ。福利厚生はしっかりしていると謳っているようだが、「全ては最高の雑誌を作るため」というスローガンを掲げるロザージュは仕事に厳しく、残業は当たり前でほぼ住み込みの状態で仕事をしている社員もいる……などという噂も聞いた事がある。
その会社に対してのストレスと疲労から薬のオーバードーズとリストカットを行い、ドロシーは自殺を図った───事の成り行きはどうやらそういう事らしい。
「───ブラック企業、ですね……ヴェルティでも最近問題視されています」
そう、カルテから目を離さないまま…隣のデスクでパソコンと睨めっこをしているクレマリーに話しかける。クレマリーもまた、作業の手を止めずに答えた。
「リューデンでも社会問題として医学会で取り上げられていたな。ヴェルティでの近年の自殺者を大まかに調べてみたが、仕事のストレスで亡くなった人も多いようだ……何処の国でも仕事が精神を病ませる原因になるケースは多いみたいだな」
「ですね……。それにしても…クレマリーさん、《スアサイダル症候群》だとよく分かりましたね。服を着ていたら腫瘍も見えませんでしたし…。この事例…僕だったら普通に『精神を病んだ』で済ませてしまいそうです」
「ヴェルティで《スアサイダル症候群》が流行している以上、自殺願望があって行動に移してしまった人は《病魔》の感染を疑った方がいいだろうと思ってな」
「確かに…」
「……ご両親から借りたドロシーの学生時代の資料を見る限り、彼女は冷静な判断と行動ができる人間だったらしい。ならば会社が合わないとなっても自殺を図るより辞職を選ぶと思わないか?……その判断を鈍らせ自死に導いたのが《スアサイダル》だ」
「も、もうそんなに調べたんですか…⁉学生時代の事まで…普通はそんな事しませんよ…」
「外科ではそうかもしれんな。患者の出生や学生時代の事を本人の許可を得て調べるのは精神科ではよくある事だ……カウンセリングの際に卒業アルバムや通知表を持ってきてもらう事もザラにある」
「……あ…クレマリーさんって精神医学も専門なんでしたっけ…?」
「一応な。まぁ、その話はおいおいするとして…兎も角、《スアサイダル》は人の弱みに付け込み、心を蝕み……そして死に追いやる。【死神】───その通り名も的を射ている。ドロシーもその《病魔》に唆されたんだろう…」
「……僕は、今回に限っては…《スアサイダル》は最後のひと押しをしただけなんじゃないかな、って…そんな気がしています…」
「ほう?死神を庇うのか?」
「断じて違います!でも…辞職できない理由が、あったのかなって……それでどうも出来ずにいたところに、《スアサイダル》が手を差し伸べた…そんな感じがするんです。その手の差し伸べ方に問題がある、んですけど」
「成る程…。一理あるな」
「まぁ……あくまで僕の予想、に過ぎないんですけど」
「気になるなら確かめに行くか?」
「え───」
「ドロシー本人に話を聞いてくるか?と言っているんだ。患者のアフターケアも仕事だ───『手術だけが治療ではない』……そうだろう?」
そう言いながらクレマリーはノートパソコンを閉じ、積み重なった資料の中からドロシーのカルテと資料を取り出した。……どうやら、ルミエールがNOと言っても一人で向かうつもりらしい。
……そうだ、手術したからといって患者を「救った」事にはならないのだ。
彼女の心の闇を晴らす───それが「救う」という事。
ルミエールは意を決し、手に持ったカルテをぎゅっと握ると……「行きます」と答え、立ち上がった。