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Karte01 1節「出逢い」

───【死の国】。


この国……国家ヴェルティがそう呼ばれるようになったのは、ここ最近の事だ。

本国における自殺者は年々増加し……昨年ついに5万人を超えた。死者だけでは年間200万人を超えている。経済は大打撃を食らい、人口は急速に減少し───この国は今、衰退の一途を辿って破滅の危機に瀕している。


何故急に死者、それも自殺者が増えているのか。

国民の精神力が急激に低下したとでも云うのだろうか。

社会的な問題が急に増えたわけでも、貧困に悩まされているわけでもなく、では一体何故───?


………今日もまた、死者が出た、自殺未遂事件が発生したなどという不穏なニュースが…医局の壁に備え付けられたテレビから聞こえてくる。それを横目で見て───柔らかな黒髪を後ろで一つに束ね、胸に青い宝石のブローチを身につけた白衣の青年……ルミエール・シュヴァリエは溜息を吐いた。



いけない、勤務中に溜息なんて溢している暇は無いな……。そう思って一つ深呼吸。顔を上げてデスクの上の資料に目を落とし────


───その刹那、横のデスクにどさりとリュックサックが落とされた。


……何事?

ルミエールはその音に驚いて、横のデスクに目を遣る。そこには音の原因である黒いリュックサックと………長い白髪にルビーの瞳を持ち、赤いドレスのような衣服を身に纏った女性の姿があった。

彼女はリュックサックとは別に持っていた白衣をばさりと羽織った。その白衣は此処───ヴェルティ国立中央病院の職員である事を示す、袖と裾が黒色で右腕に二本のベルトがあり、左腕にジュエルで造られた病院のロゴがあしらわれている特注のものだ。勿論ルミエールも全く同じ白衣を身に纏っている───違う点を一つ上げるとするなら、目の前の彼女の白衣の方が少し裾が長い、という事だろうか。

それからリュックサックを開き、デスクの上にペンケースやファイル、医学書などをおもむろに置く彼女。……新しく入ってきた医師だろうか。医師らしき女性は、一通り机の上に最低限必要なものを置くと、一つ呼吸をしてルミエールの方に向き直った。彼女はルミエールを頭の先から爪先まで見ると───声をかける。



「……お前がルミエールか」


「え……あ、そう…ですけど……。あの……誰、ですか…?」


「クレマリー。クレマリー・ルーヴィルだ。出身はリューデン。専門は精神科と総合外科。よろしく頼む」


「え…?よろしく頼むって…」


「心配するな、院長には全て許可を取ってある。ルミエール・シュヴァリエ……お前は今日から私の上司だ。そういうわけでルミエール、これからの事だが───」


「ちょ…ッ、ちょ、ちょっと待ってください…!クレマリーさん…でしたっけ、あの、僕が上司ってどういう…!だ、だって僕、この前研修が終わったばかりなんですよ…⁉」


「それがどうした?私は今日来たばかりだぞ、私よりはお前の方が先輩だろう」


「そ……それは、そうですけど……」


「大丈夫だ、手術の事や病気の事は一通り頭に入れてある……此処の内部事情が確認出来たらそれでいい。お前はただ、私と一緒に【使命】を果たしてくれたらいい」


「【使命】…?」


「嗚呼…【使命】というのは───」




クレマリーがそう言いかけた途端、ルミエールのデスクに備え付けられた内線電話が鳴り響く。クレマリーは「説明するまでもなかったな」とぼやき、ルミエールは慌てて電話を取った。



「……は、はいっ、ルミエールです……院長先生!───え?手術を?今から───クレマリーさんと⁉そんなの何かの間違いでは───そ、そんな…!だって僕───」



……院長から回ってきた内線電話は、今から第一手術室でオペを行う、執刀医はルミエール、助手にクレマリーをつける事。看護師はオペナースを二人つけるから頼むぞ───そういう内容だった。

どうして研修が終わったばかりの僕が⁉どうして今日来たばかりのクレマリーさんと⁉そんなの絶対に無理───!

そう言おうとした時、クレマリーがルミエールの持つ電話を奪い取った。



「クレマリーだ、手術は【例の件】だな?看護師達には説明していいのか?───そうか、先程病院全体に連絡が回ったのか。流石院長、仕事が早くて助かるな。一つ質問だが、執刀医はルミエールだけで私は助手に回っていいのか?……成る程、私とルミエール二人でやるんだな……嗚呼、今すぐ向かう…」


「く、クレマリーさん何言ってるんですか…!」



受話器を置いたクレマリーは髪を一つに束ねると、ルミエールに「行くぞ」とだけ声をかけて医局から出て行こうとする。ルミエールは混乱しながら「クレマリーさん、」と呼び止めた。



「ぼ、僕には無理です…ッ!まだ未熟者なんです、そんな僕が執刀医だなんて……!」


「ルミエール、患者を救う気はあるか?」


「え……?」


「苦しんでいる患者を、救う気はあるか?」


「……勿論です。僕はそのために、医者になったんですから…」


「なら大丈夫だ。絶対に救うという強い意志があれば、恐怖に駆られて下振れるミスさえしなければ、オペという勝負には絶対に勝てる。お前は一人で戦うんじゃない───私が居る」


「!」


「不安だからと人に頼ってばかりでは、一生上手くならないぞルミエール。お前と私でやるしかないんだ。患者は、私達に救われるのを待っている。さぁ、どうする?行くか?行かないか?」


「………ッ」



クレマリーはルミエールの瞳をじっと見て語りかけた。宝石のような真紅の両眼には、一点の曇りも存在しない。ルミエールは不安に駆られて悩み……それでも、心の中でクレマリーの言葉を反芻する。


───苦しんでいる患者を救う気はあるか?

患者は、私達に救われるのを待っている───


………。


不安がないかと言えば、嘘になる。


手術は、生きるか死ぬかを自分達医師が決める行為だ。

もし万が一失敗して、命を救えなかったら……そう思うと、手が震える。足がすくむ。喉がからからに渇いて動悸がする。だけど………。


だけど、救えるのは自分達しか居ないのだ。

手術をしなければ、患者は助からない。


何度だって繰り返そう。

救えるのは、自分達しか、居ないのだ。

怖いなどと言っている場合ではない。

何のために僕は学を積んできた?

何のために此処に勤めている?

何のために医師になった?

決まっている───患者を、救うためだ。

だから───。


ルミエールは瞳に決意を宿して、クレマリーより先に扉を開いて廊下に躍り出た。



「……行きます。やります、僕が……僕達でやりましょう」


「いい返事だ。やはりお前を上司に選んで正解だったな」



クレマリーはくすりと笑うと、ルミエールに続いて廊下に足を進めた。

機械的なLEDの灯りは、床に二人の影を落とす事を許さない。クレマリーが「第一手術室は何処だ?」とマスクをしながら問いかける。それにルミエールは「こっちです!」と応えて───急ぎ足で手術室に向かうのだった。


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