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そして王は静かに刃を研ぎ澄ます

 タイイケンと覇王討伐の戦略を練った日以来、ユーグリッドは秘密裏にアルポート王国の有力諸侯たちに覇王打倒の決意を伝えていた。リョーガイはその王の報告に手を打って喜び、ソキンはその王の報告を粛々とした態度で受け止めていた。


 だが王はタイイケンと密談した具体的な戦略については話さず、ただリョーガイには大砲の訓練をすること、ソキンには兵を集めることを指示した。


 その話の中で有力諸侯たちもユーグリッドの意図を瞬時に察していた。ユーグリッドは明言こそしなかったが、王が覇王の城をいずれ攻め落とすのだということを理解したのである。


 その後、リョーガイは毎日のように豪快に空の船を部下たちに撃つことを命じ、ソキンは密やかに一族や親交のある者たちに声をかけ続けていたのである。


 そして王自身、自分を変えようとしていた。




「でやあああぁぁッ!!」


 8月中旬、ユーグリッドはタイイケンの屋敷で咆哮を上げていた。その鎧を身に纏わぬ体は青あざだらけであり、生傷で赤く染まっていた。王の両手剣の真剣がタイイケンを襲う。


 だがタイイケンが片腕をわずかに動かすと、ユーグリッドの体は見事に吹き飛ばされた。刃の抜かれていない鞘の両手剣で、ユーグリッドの頬が打たれていたのだ。


「馬鹿者めッ! 力任せに剣を振ってどうするッ! 最小限の動きで相手の急所を突けと言っているだろッ!!」


 倒れるユーグリッドにタイイケンの怒号が浴びせられる。ユーグリッドはハアハアと息を切らせながら、ふらふらと立ち上がる。


「でやあああああぁぁッ!!」


 ユーグリッドが再び我武者羅に吠える。だが一瞬でタイイケンに吹き飛ばされる。生傷の入った頬を再び殴打された。


 これで片腕しか振るわぬタイイケンに王が負けたのは何度目だろうか。

時刻はすっかり夕刻になっていた。


「もういいわッ! 今日はこれで終わりだ! 貴様はもう少し頭を冷やして出直してこいッ!」


 鎧姿のタイイケンは王の不甲斐なさに呆れ返ると、鞘の剣を腰に差してさっさと自分の屋敷に戻ってしまった。


(クソッ、クソッ、何故思うように剣が振れない! 俺は海城王の息子だぞ! 何故父上の両手剣を振るえない!)


 ユーグリッドは己の拳を何度も地面に叩きつけて、悔し涙を流していた。拳にはまた生傷が無数に付く。




 その日の夜、ユーグリッドは王の部屋で妻のキョウナンから手当を受けていた。

キョウナンは宮仕えの者からもらった医療箱を開き、夫の肌に傷薬を塗る。その染み渡る痛みを我慢する夫に、新しい包帯を巻く。


「まあ、今日は一段と傷がひどうございます。ユーグリッド様が毎日こんなにご無理をなさられて、おキョウは心配でございます」


 キョウナンは傷だらけの夫の背中をいたわるようにしてそっとさする。巻かれたばかりの包帯からは血が滲んでまだらに赤く染まっていた。


「……ああ、済まないおキョウ。だが、タイイケンの信頼を得るためにはこうするしかないのだ」


「ええ、タイイケン様はとても武芸に一本義なお方。朝廷にいた頃は、海城王様の武術に惚れ込んで家臣になったと聞きます」


 キョウナンはタイイケンについて語る。父のソキンから家来は呼び捨てにしろと言われている今でも、諸侯に対して〝様〟をつけている。


「おキョウはタイイケンを知っているのか?」


「ええ、おキョウは12歳ばかりの子供の頃は朝廷にいました。


 その頃はよくタイイケン様と海城王様の武勇の噂をよく耳にしました。いくつもの反乱した王族たちを鎮圧し、武勲をお上げなさったとお聞きしております」


 意外な所で妻と接点があってユーグリッドは驚く。ユーグリッドも8歳の時は朝廷にいた。


(いや、よく考えればそれも当然か。ソキンは海城王が皇帝に仕え初めた時から同じ軍に従軍していた古参だ。父が朝廷で勲功を上げ続けたことで、ソキンの軍も父ヨーグラスの軍に吸収されたのだ)


 ユーグリッドはそこで父のヨーグラスについて思いを馳せる。



 ヨーグラスが海城王になったのは10年前、かつてのアルポート王国の王族が起こした反乱を鎮圧し、当時のアルポート王を生け捕りにしたことを契機としている。


 そのまま反乱一族は皇帝の命により処刑され、その代替わりとしてヨーグラスがアルポート王国の王として充てがわれたのだ。


 その時リョーガイやテンテイイは反乱一族の元から帰順し、ソキンやタイイケンは反乱一族の傘下にあった武家の廃家に伴い、そのままその土地や兵を引き継いだのである。


 その後の10年、海城王の治世は続いた。海城王は誠実に王務をこなし、臣下や領民の支持を集めていた。その海城王の王政の下では大きな内乱も起こらず、平和な時代が続いていた。


 だが、皇帝が覇王デンガダイをボヘミティリア王国に封建したことを期に事態が急変する。

その頃のデンガダイはコルインペリア皇国の近辺で度々反乱を起こし、皇帝直属の討伐軍を何度も打ち倒していた。


 そのために皇帝はデンガダイをアーシュマハ大陸の中枢から離れたテレパイジ地方の、ボヘミリティリア王国に追放する形で封建したのである。当時のボヘミティリア王は特に何も問題を起こしていなかったにも関わらず、その時王位の座を解かれることとなった。


 だが、それでもデンガダイの野心は止めることができず、再び皇帝に反旗を翻し反乱を起こした。そして海城王のアルポート王国を侵略し、現在アルポート王国を属国にしているのである。


「海城王様やタイイケン様に比べたら、おキョウのお父様はそれほど目立った武功を上げておりませんでした。父は慎重な性格で、朝廷でも城の防衛ばかりを希望していたそうです。


 でも、家族としては父にそうしてほしゅうございます。できることなら、あまり戦いの激しい所には言ってほしゅうのうございます」


 ユーグリッドが夢想から浮かび上がると、キョウナンは手当を続けながら父ソキンへの思いを告げていた。その横顔は憂いを秘め、本当に家族のことを愛していることをうかがわせる。


 だがその王妃の案じる言葉はユーグリッドにとって憂鬱だった。


(戦いには行ってほしくない、か。俺だってできればそうしたい。俺は海城王ほど勇敢な性格ではないのだからな)


 ユーグリッドは、今度は己の境遇について思いを馳せる。



 ユーグリッドの長年父に抱いていた感情、それは劣等感だった。


 ユーグリッドは大柄だった父とは裏腹に、武家の生まれとしてはあまり体格が良くなかった。レグラス家は代々両手剣の扱いに長けた一族だったが、ユーグリッドの体には合わなかったのだ。


 決してユーグリッドは武術の素養が低いわけではない。短剣の扱いであれば、優れた剣捌きを発揮できる。


 だが両手剣の剣術となると途端に腕が鈍る。腕力が足りないわけでもないのに、剣を振ると体の軸もれてしまうのだ。子供の頃から何度もユーグリッドは両手剣の練習をしてきた。だが結局自分には才能がないという結論に至り、今の今まで両手剣の剣士としての道を諦めていたのである。


 そしてタイイケンとの訓練を初めた今となっても、両手剣への志が折れそうになっていたのだ。


(短剣は一騎打ちなら真価を発揮できるが、軍を相手にするのには向いていない。そして俺は今覇王の軍と戦おうとしている。


 俺がタイイケンに剣の稽古を乞うた時、師匠は俺に言っていた。戦場では王であろうと安全な場所などないと。いざという時には自分一人で大勢の敵を相手にしなくてはならないということだ。俺はそのための力が欲しい。俺はレグラス家の武人として、両手剣の道を諦めたくない)


 そこまで考えると、ユーグリッドは不意にキョウナンの艷やかな髪に触れる。ユーグリッドの指先の上で、穏やかな滝のようにキョウナンの髪が垂れ下がる。


「……おキョウ、俺は海城王のように強くなれると思うか?」


 ユーグリッドはそのたおやかな妻の瞳をじっと見つめる。熱い視線が潤み、甘えん坊な子猫のように手が震えている。


 キョウナンは気づいた。夫の言葉が平和を望む自分の心とは真逆のものだということを。そしてキョウナンはいずれ夫が戦場に行ってしまうのだということも悟った。けれどキョウナンは、ただユーグリッドの頭を優しく撫ぜる。それは妻としての、夫の弱さと覚悟を受け止める強さだった。


「ユーグリッド様、慌てることはございません。海城王様には海城王様の道が、ユーグリッド様にはユーグリッド様の道があるのです。ユーグリッド様はご自分が歩める道をお選びになればいいのです」


 キョウナンは柔和な瞳で微笑んだ。


「……ああ、ありがとう。おキョウ」


 ユーグリッドはキョウナンを傷だらけの体のまま抱きしめる。そうして夫婦はねやを共にした。




 数日後、ユーグリッドはタイイケンの屋敷で剣舞を披露していた。その姿は落ち着き払っており、邪念がなく、そして堂々とした振る舞いだった。両手剣が軽やかにユーグリッドの手の中で踊り、まさに蝶と蜂の舞と刺突を合わせたような動きだった。そして花の上に淑やかに胡蝶が止まるように、剣舞が有終の美を飾り終える。


 それを最後まで見届けると、虎の石像のように立っていたタイイケンは声を漏らす。


「貴様、やっと体の軸が定まってきたな」


 腕を組んでいたタイイケンはそれを解き、ユーグリッドの傍に歩み寄る。


「余計な力みがなく的確に狙った所へ剣を突くことができている。剣の払いの幅も最小限なもので無駄がない。自然な動きですぐ元の構えの形に戻すことができている」


 タイイケンは小さく頷き、ユーグリッドの肩を力強く叩く。


「よし、そろそろ模擬戦に入ってみてもいいだろう。剣を鞘に収めて待っていろ。貴様には俺の部下たちの相手をしてもらう」


 数十分後、ユーグリッドは10人の兵士に囲まれていた。タイイケンの部下たちは剣を鞘に収めて手に持っているが、鎧姿であり皆一様に闘気を纏っている。


「遠慮することはない! ユーグリッドに一撃を食らわせた者には俺から褒美をやる!!」


 タイイケンが怒鳴るように声を上げる。

兵士たちも真剣だ。虎視眈々とユーグリッドの隙をうかがっている。戦いは既に始まっていた。


(相手は十人……海城王の墓の前でソキンの刺客に襲われた時と同じ数だ。俺はその時、レボク一人すら倒せなかった)


 その時一人の兵士がユーグリッドに襲いかかる。

だがユーグリッドは素早く突きを繰り出して兵士を吹き飛ばす。

それを皮切りに6人の兵士たちも一斉に襲いかかってくる。


 ユーグリッドは両手剣を前方に三人分の広さに薙ぎ、そして振り向き様に後方に三人分の広さに薙ぐ。

六人の兵士たちが後ろへ弾き飛ばされる。


 その二閃の隙を突こうとした兵士の一人が、ユーグリッドの背後から剣を振り下ろす。

だがユーグリッドは小さな体をかがめて素早く移動し剣を避ける。その振り向き様にまた突きを繰り出し背後から兵士を突き飛ばす。


 そして攻める機会を窺っていた残りの兵士二人にめがけて、力強く一歩踏み込む。まるで一つの突きに見えるほど速く、ニ本の連突を繰り出しながら兵士たちに迫る。

兵士二人の体が大きくよろめき後退する。


 そしてユーグリッドが辺りを見渡すと、その周りには10人の兵士たちが膝を折っていた。剣を地べたに置き降参の意を示している。ユーグリッドは見事10人の兵士たち相手に勝利したのである。


「……なかなかやるな、ユーグリッド。俺の部下たちも真剣だった。だが貴様はその本気の強者たちを繊細な剣捌きで打ち破ったのだ。貴様の腕は本物だ。これなら実際の戦場でも通用するだろう」


 タイイケンはユーグリッドの戦闘を褒め称える。しかしその顔はすぐ険しいものへと変わった。


「だがこれはただの訓練だ! 実際の戦場は全く空気が違う! 空気が違うということは戦闘のやり方も変わるということだ! これから先は貴様に命を賭けた訓練を受けてもらうぞ!」


 その怒号とともにタイイケンは去っていった。

戦いの汗を流し尽くしたばかりのユーグリッドは、その大きな背中を見送る。

時刻はすっかり夕刻の時間となっていた。




 その後、タイイケンの厳しい訓練は続いた。タイイケンは模擬戦での経験を何度か積ませた後、実際に罪人との殺し合いをユーグリッドにさせていた。


 タイイケンの屋敷の広場では、闘技場のように次から次へと武装した罪人が運び込まれてくる。その殺し合いをより実践的なものにするために、タイイケンはわざと囚人の練兵を行っていた.


 ある程度の武術を身に着けさせた後、いつも自分の部下たちと殺し合いをさせたのである。これはまさしく、古の文明にあった剣闘士の再来と呼ぶにふさわしい戦いだった。


 囚人の中にはその腕を見込まれて、タイイケン自身の私財で放免された者もいる。元々の部下だった者が殺され、死合に勝った囚人が新しく傘下に迎え入れられることも珍しくなかった。


 そしてユーグリッドは今日も剣闘士との殺し合いをさせられていたのである。


(今日は十人……最初の模擬戦の時と同じ数か)


 鉄の柵に囲まれながら、ボロを纏った囚人たちは一様に殺意を剥き出しにしていた。その無法者たちはタイイケンの部下たちと比べると遥かに武術の力量はない。だがその生きたいという渇望だけは本物であり、その欲動は技術にも勝る人間の原動力を秘めていた。


「タイイケン殿っ! もうお止めなさいっ! こんな殺し合いなどユーグリッド陛下にさせるべきではありません!」


 王の命懸けの修行の噂を聞きつけて、屋敷に訪れていたテンテイイが叫ぶ。この決闘を中止させようと必死になっている。


「黙れテンテイイ。これはユーグリッドの意志だ。真剣勝負に口出しするな」


「で、ですが陛下が死んでしまったらどうするのですか!! そんなことになったらこの国の一大事ですぞっ! 万が一そんなことが起きてしまえば、あなたも牢獄行きでは済まされませんよ!!」


「ユーグリッドは死なん。黙ってそこで見ていろ。ユーグリッドは今戦場に立っている」


 タイイケンの重量感のある声にテンテイイが押し黙る。もはや王の無事を祈ることしかできなかった。


 囚人たちの生への欲望がユーグリッドへと滾り出す。その執着は殺意となり、一斉に王に襲いかかる。数々の凶器がユーグリッドに迫り来る。

そして王の剣閃が煌めいた。


「……ああ、ああっ!」


 テンテイイは目を覆いその場にしゃがみ込む。


 檻の中は血の海になっていた。胸を突かれた者、首を刎ねられた者、そして中には臓物を撒き散らす者さえいた。ボロを纏った囚人たちの中に立っている者は一人もいない。


 そこにはただ、堂々たる血潮を浴びた王の姿だけがあった。王は両手剣を拭い、鞘に収め、そして檻の鍵を開けて出る。夕日の逆光が王の面差しに影を作る。そこには生存者としての、殺戮者としての、そして武人としての風格があった。王は自らを憎んでいた師の前に立ち、跪く。そしてその厳格なる判定の時を待った。


「……見事だ、ユーグリッド」


 戦場の師は静かに微笑みを見せる。飾り気のない、人を何千人と殺してきた武人の会心の笑みだった。そして評定の言葉がこうべを垂れる王に下される。


「明日は貴様に本当の命のやり取りをしてもらう。これが俺が貴様を武人として認める最後の試験だ」


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