目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

覇王からの使者

 8月1日、王の婚姻式はその終わりを目前にして寸での所で中断された。


 王妃となったキョウナンはすぐさま女王の部屋へと連れて行かれ、諸侯たちは畏まった正装から物々しい鎧姿に武装する。全諸侯は皆帯剣の許可が下り、玉座の間に集合していた。先程までの華やかな雰囲気は一変して、重苦しい空気へと変わっていたのだった。


「一体覇王は我々に何の用なのだ? 来年の春の50万金両を納める季節にはまだなっていないぞ」


「わからん。覇王はまた軍隊を率いてやって来ているのか?」


「そうでもないようだ。確か10人ばかりの武装した使者がやってきたそうだ」


「クソッ、一体何の目的でアルポート王国にやって来たのだ?」


 諸侯たちが口々にざわめき立てる。互いに喋り続けないと皆不安で押しつぶされそうだったのだ。誰もが不穏な気配を身に纏い、先程まであった祝典のことなどとうに忘れている。玉座の間は電流が滞留しているかのようにピリピリとしていた。


(覇王、一体この俺に何の用なのだ?)


 ユーグリッドにも緊迫の念が渦巻いていた。猜疑と恐れによって沈痛な面持ちを宿している。


「覇王の使者がやって参りました!!」


 急いで玉座の間に駆けつけてきた伝令兵が叫ぶ。

その声に諸侯たちの誰もが息を呑んだ。


 ずさり、ずさり、と武装した覇王の使者たちが玉座の絨毯を踏み歩く。その先頭に立っていた者は覇王デンガダイの次弟、デンガハク・バウワーであった。


 彼の者は左の腰に三本の剣を差しており、それぞれ、短剣、長剣、両手剣と種類が異なる得物を携えていた。


 その者はどんな形の剣でも操れる剣術の達人であり、要人の暗殺やいざという時の護身のためには短剣を、少数の敵を撃破する時には長剣を、そして大軍を相手にする時には両手剣を振るい数々の敵を討ち破ってきた。


〝三剣のデンガハク〟という異名で恐れられており、その武は覇王デンガダイに次ぐ強さを持つと言われ、まさに猛将の中の猛将であった。覇王が外征をする時にはいつも側近として従っている。


(あの者、諸侯たちがこれだけ殺気立っているといのに一瞬も隙を見せぬな……)


 アルポート王国の諸侯たちは皆、今まさに剣を抜こうとしている。だがそんな中で、玉座の間の一番後ろに控えていた大将軍タイイケンだけは冷静だった。タイイケンはそのデンガハクの風体からその強さを推し量る。


(何気ない風を装っていて、その実殺気だけは誰よりも底に秘めている。人を殺すことにためらいはなく、何千人という兵を殺してきた殺戮者の風格だ。まさに武人として生まれるべくして生まれたような男よ)


 タイイケンはデンガハクの恐ろしいほどの闘気を察し、更に今の戦況を分析する。


(諸侯たちと奴の武では圧倒的に差がありすぎる。ここで剣を抜いて死ぬのは諸侯たちのほうよ。俺も二剣の両手剣を今装備している。だが俺でさえも奴に勝てるかどうかはわからない)


 デンガハクの並々ならぬ強さを見抜き、タイイケンは静かに一人武者震いをした。


(ユーグリッドに恩義はない。だが武人として奴とは戦ってみたい。どうせなら、誰か短気を起こしてくれたほうが俺にとっては面白いかもな……)


 タイイケンは武人としての血が騒ぎながらも、そこで静観を決め込んだ。


 デンガハクは玉座の前まで来ると、跪きもせずユーグリッドに鋭い視線を向けた。

その捕食動物のような気迫には、直接視線を交えていない諸侯たちですらたじろいでしまう。


 ユーグリッドの玉座の隣に立つソキンは、その蛇のような睨みを威圧して牽制する。


「遠路はるばるよくぞ起こしくださった、デンガハク殿。今は夏の真っ盛り、ここまでの長旅もさぞかし汗をお流しになったことでしょう。よければこちらで大浴場を用意いたします」


 ユーグリッドはデンガハクの威圧に屈さず、寛容な面持ちでへりくだった態度を取る。

だがデンガハクの視線は刺々しいままで、不遜な態度を取り続けていた。


「あいにくだが属国の風呂の世話などいらん。ユーグリッド王、俺は貴殿に新たな要求を申し付けるためにここまで来たのだ。それ以外に用はない」


 デンガハクはユーグリッドの厚意をはたき落とすかのように告げる。その口調は一方的で、頭を押さえつけるような高圧敵な声音色こわねいろだった。

ユーグリッドはその傲岸無礼な態度に思わず身じろぎしてしまう。


「……それで、その我々アルポート王国への要求とは何でございましょう?」


 ユーグリッドは緊張を走らせながら問う。臣下たちも皆冷や汗を流した。

それはこの国の命運を決める危急存亡の一言、属国としての地位を嫌が応でも理解させられる支配者の言葉だった。

デンガハクはその断罪のような言葉を宣告する。


「簡潔に言う。明日までに100万金両を用意しろ。我々ボヘミティリア王国に100万金両を差し出すのだ」


 その言葉に王と臣下たちは驚愕した。


 100万金両。それは今年の春覇王に降伏するために、アルポート王国が上納した金額と同じであった。その時のアルポート王国には50万金両しか持ち合わせがなく、豪商人のリョーガイからその調停金を借用することで、やっと納めることができたのである。


 ユーグリッドはその莫大で理不尽な要求に、腫れ物にでも触るように注意しながら異議を唱えた。


「デンガハク殿、それはあまりにも無茶が過ぎるのではございませんか? 我が国は4ヶ月前に100万金両を納めたばかり。そのたった4ヶ月間でいきなりまた100万金両を用意しろというのは理屈が通りませぬ。確か我が国が仰せつかったのは、来年の春の4月に50万金両をというお話でしたが」


「フン、今は戦乱の世だ。戦争をするためには金が必要なのだ。貴殿らの事情など知らん」


 デンガハクは当然だと言わんばかりの調子で、ユーグリッドの言い分を跳ね除ける。


「今我々ボヘミティリア王国は、その遥か北の地にあるモンテニ王国と戦争している。


 彼の国の王は、その山城の国を絶対に防衛できると言われる山守王ケング。そのケングの抵抗は激しく、我々の再三の降伏勧告をも無視してきた。

我々覇王軍は彼の地を支配するがために今戦いを続けているのだ」


 デンガハクは大仰な動作で説明する。だがそれとは対照的に、ユーグリッドの態度は川の流れのように穏やかなものだった。


「お話を聞く限り、その戦争はあなた方ボヘミティリア王国が一方的に仕掛けた戦争だとお見受けします。


 戦争に金がかかるというのなら、その戦争をお止めになったらよろしいのではないですか? ボヘミリティリア王国とモンテニ王国で和平を結ぶのです。和平交渉の取り次ぎは我々アルポート王国が行いましょう」


「戦争を止めろだと? 戯けたことを言うなっ! 我々は今天下泰平の大義のために聖戦を行っているのだぞっ!」


 デンガハクが気勢を上げて怒り叫ぶ。そしてユーグリッドに一歩近づくとまた大仰に両手を広げ、流れるように弁舌を始めたのだった。


「我々バウワー家一族の長、覇王デンガダイ・バウワーは、現皇帝マーレジアの腐敗と弱体化を危惧し、新しい天下の治世を築くために立ち上がった未来皇帝だ! このアーシュマハ大陸を武力を以て統一し、無能な皇帝マーレジアの時代を終わらせる稀代の英傑なのだ! 


 この大陸の王たちは今腐敗しきり私欲を貪り、己の保身と権勢しか考えていない! あげくその利己心の果てに戦乱を巻き起こし、この大陸の地平天成を乱している!


 だからこそ覇王の天下統一が必要なのだ! 覇王の大義は天よりも高く海よりも深く、万人の者たちが従うべき新時代の世の法典! 覇王の絶対的権力の掌握によってこそ、この大陸は真の意味で天下太平の世を築き上げることができるのだ!!」


 デンガハクは独裁者のように演説を振るった。

だがその熱弁に協賛するアルポート王国の者は誰もいなかった。


 ユーグリッドもその熱を上げた弁論を十全には把握できなかった。だがともかくこの場を乗り切るため、王はデンガハクと歩調を合わせて対話を続けることにした。


「あなた方覇王の一族がどれだけ広大な大義を掲げているかはわかりました。戦争を絶対に止めることができないという事情も理解できました。


 ですが現実問題、我が国には金がありません。我が国は現在財政難を再興したばかりであり、あなた方に上納する国庫の財産がないのです。どうか来年の春の4月までお待ち下さい」


「財産がない? フン、それは真っ赤な嘘であろう? そこのリョーガイという男はアルポート王国よりも資産を持っているという話ではないか!」


 突然デンガハクは豪商人のリョーガイを名指しする。

話の矛先が唐突に自分に向けられたことで、リョーガイは焦りたじろいだ。

臣下たちの視線が一気にリョーガイへと集められる。


「聞く所によると、今年の春に貴殿らが上納した100金両も、そこのリョーガイという男から借用したそうではないか。返ってくる宛もない100万金両をポッと出せるような男だ。財産ならいくらでもあろう?」


「デ、デンガハク殿、私だって打出の小槌というわけではございません。いくら陛下のためとはいえ、そうポンポンと100万金両を出すというわけには……」


 横暴な請求をするデンガハクに辟易しながら、リョーガイは嫌がる素振りを見せる。その横目はチラチラとユーグリッドの顔色をうかがっていた。

ユーグリッドはリョーガイの懸念を受けて話を切り出す。


「……デンガハク殿。いくら俺の家臣が財産を持っているからと言って、それを王が勝手に奪うことはできない。


 それはこのアルポート王国の法律で定められた原則であり、例え王である俺でも守らなければならない神聖不可侵なものだ。


 その法律を破るということは、アルポート王国の諸侯たちの離心を招くことに他ならず、ひいてはこの国で大規模な反乱すら招きかねない。そしてこのアルポート王国も滅亡してしまうかもしれないということです。


 そんなことは我が国を属国として扱い、そして金脈にしようと考えているあなた方にとっても不利益な事態でございましょう」


 ユーグリッドは毅然として家臣からの簒奪を拒否する。

リョーガイはその主君の応対に安堵する。

だがデンガハクは嘲笑した。


「法律を守らなければならない? 何を言っておる? そこのリョーガイこそアルポート王国に反乱を企てた重罪人ではないか。そんな謀反人を生かしておきながら、秩序もへったくれもないであろう?」


 そのデンガハクの指摘にリョーガイの心臓が縮み上がった。デンガハクとユーグリッドを交互に見て、びくびくしながらまた顔色をうかがっている。

デンガハクはその臆病な視線を無視し、にべもなく王の二枚舌を糾弾した。


「リョーガイの反乱未遂については、我がボヘミティリア王国の耳にも届いている。何しろアルポート王国の歴史に残る大事件であるからな。


 聞く所によるとユーグリッド王、貴殿はリョーガイを処刑しようとこの玉座の間で裁判を開いたそうだな。だが今は何らかの取引があったのか、そのリョーガイを恩赦している。

これは何かユーグリッド王にも後ろめたいことがあったのではないか?」


 デンガハクは獲物を捕らえた蛇のように王に問い詰める。

だがユーグリッドはその疑念の視線に対し、きっぱりとした口調で受け答えた。


「後ろめたいことなどありません。俺はリョーガイの罪をその働きによって償わせようと考えただけです。他意はありません」


「なるほど、貴殿にやましいことはないと申すか。ならば話は簡単だ。そこのリョーガイの恩赦を直ちに取り下げればいい。そこの商人を重罪人として断罪し、改めて財産を没収すればいいのだ。そうすれば、この国は100万金両をすぐさま用意できるだろう。

何なら――」


 突然、デンガハクはスラリと短剣を抜く。


「この俺自身がこの男の始末をしてやろう。そうすれば財産も奪いやすくなる」


 デンガハクは抜身のままリョーガイに歩み迫った。殺意を滾らせ、今まさにリョーガイの血で王の間を汚さんとしている。

リョーガイは素っ頓狂な悲鳴を上げ、後ずさりした。


 諸侯たち全員が一斉に剣を抜いた。だがリョーガイには元々人望がない。デンガハクに飛びかかってまで助けようとする者はいなかった。


「やめよッ!!!」


 デンガハクがリョーガイに剣を振り下ろそうとしたその時、ユーグリッドは大喝を上げた。

デンガハクは標的を変えた蛇のように体を翻し、じろりと王を睨めつけた。

抜剣した諸侯たちは緊迫しながら、デンガハクににじり寄る。

ユーグリッドはこの殺気だった謁見間を鎮めようと、必死にデンガハクに訴えかけた。


「お主の目的はリョーガイの命ではなく金であろう! リョーガイを殺す必要はない! 100万金両についてはまた後日、用意でき次第あなた方の国に送る!

だからこの場は――」


 その時だった――


 突然デンガハクの手から短剣が放たれた。その飛剣は閃光のように速く、諸侯たちの目にも止まらなかった。その殺意の込められた刃は直進し、ユーグリッドへと襲いかかる。


 だがその凶刃は重鎮ソキンの抜剣によって打ち払われた。

短剣は玉座の手前にある柱に当たり失速する。

王は事なきを得た。


「貴様ァッ!!」


 臣下の一人が叫び、一斉にデンガハクを取り囲む。皆殺気立ち、直ちにデンガハクを亡き者にしようとする。


 しかしデンガハクはその四面楚歌に身の毛のよだつほど余裕の笑みを浮かべていた。

デンガハクの部下たちも剣を抜き、玉座の間は一触即発の状態となる。


「ユーグリッド王、俺は貴殿を殺そうとした。俺を殺す正当な理由を貴殿は得たのだ。

だがどうする? 貴殿は部下たちに俺を殺せと命令できるか? 貴殿の部下の中に、俺を殺せる者はいるかッ!?」


 殺陣たての如く囲まれたデンガハクは不気味にユーグリッドを挑発する。

殺伐とした空気の中、ユーグリッドの決断が待たれる。

だがユーグリッドはその拳を振り下ろさなかった。


「......下がれ、皆の者。ここは神聖な玉座の間だ。戦争をする場ではない。デンガハク殿に道を開けよ」


 諸侯たちは王の命令に戸惑いながらも、素直に従って引き下がる。だが臣下たちは皆一様に怒りや悔しさに胸を震わせていた。


 デンガハクは余裕を持って玉座の間を歩き、自分が投げた短剣を拾い上げる。


「ユーグリッド王、これが貴殿の立場だ。貴殿は覇王に逆らえない。100万金両を用意せねば、貴殿の国は覇王が滅ぼす!」


 短剣を自分の手のひらで弄びながら、デンガハクは顔を歪ませて脅しかける。その蛇のような面差しは、弱者をいたぶる嗜虐心に溢れており、愚弄の限りを尽くしている。


 引き下がった臣下たちの目からは殺意が滲み出ており、今にもまた斬りかかりかねないほど血の気を帯びていた。


「…………」


 だがユーグリッドはただひたすらに沈黙する。怒ることもなく、喚くこともなく、ただひたすらに王として玉座に鎮座し続けた。

それを納得と捉えたのか、デンガハクは短剣を鞘に収めた。


「一日だけ俺はこの国に滞在する。期限は明日の正午までだ。その時間までに、100万金両をこの玉座の間に用意しておけ」


 デンガハクは身を翻し、9人の部下とともに玉座の間を去っていった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?