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その咎は愛に包まれて

 ユーグリッドは自ら断頭台の上に首を置いた。

その処刑台に立たされたキョウナンは、さっと驚いた表情となる。垂れ下がった目が見開かれ、予想外の言葉に戸惑いを覚えている。おもむろにまた口元を袖で押さえ、考え込む仕草をした。


 ユーグリッドはキョウナンに、己の父親殺しに対する思いを尋ねたのであった。

そのまま畳の部屋で夜の暗闇が増していくとともに、沈黙した時間だけが過ぎていく。


「……おキョウの父は」


 しばらくして、キョウナンはためらいがちに話を切り出した。


「……おキョウの父ソキンは、海城王様の子供が欲しいといつも言っておりました。けれど、海城王様はみさおの固いお方で、新しい妻を全然娶らないとも嘆いておりました。


 だから父はおキョウに、お前はいずれご子息であるユーグリッド様と結婚するんだと、いつも言い聞かせておりました。

だからおキョウは今日、お父様の長年の願いを叶えとうございます」


「…………」


 そのキョウナンの決然とした答えに、ユーグリッドは沈痛な面持ちで考え込んだ。


 ソキンの王族になりたいという野心は、どうやら海城王の時代から既に秘められていたもののようであった。それが海城王への敬愛が含まれたものであるかどうかはわからない。


 だが、結果としてキョウナンはそのソキンの野望に巻き込まれた形となったのだ。今まで嫁に出されることもなく、ずっと屋敷の中で半ば軟禁されているような生活を送ってきたのだろう。この浮世離れした性格もそれによって形成されたのかもしれない。


 ユーグリッドはその女の境遇を想像し、憐れに思う。親の事情に振り回され、親の言うことに従うしかない目の前の女の人生を悲しく思う。


 だがキョウナンは、父親への献身的な愛を貫いていたのだ。家族のことを本気で愛していなければ、そんな自己犠牲の心は生まれないだろう。だがそれこそが、親殺しの自分とは全く相容れないものだったのである。


「……お主自身はどう思っている?」


「えっ?」


「お主自身は、俺が父親殺しの男であるということをどう思っている? お主は父親思いの良い娘だ。お主は父親のために自分の身を捧げる覚悟さえできている。


 だが俺は違う。俺はあの日、覇王軍に城が包囲された時死を恐れた。だが父上は戦いを望み、皇帝への忠義を果たすために命を捧げようとしていた。


 そんな偉大なる父上を俺は、自分が死にたくないからという利己心のために殺してしまったのだ。俺は、お主と違って、父上への愛を示すことができなかった……」


 ユーグリッドは懺悔するようにあの日の出来事を告白する。その悔恨と自責が苦しみとなって体中に疼き、キョウナンに思いの丈をぶつけ出す。


「俺は、父上の思いを踏みにじった裏切り者だ! 父上は、俺を本当に愛してくれていたというのに、俺は何も知らず自分のことしか考えられなかった! 俺は、それに初めて気づいた時、後悔で涙が止まらなかった……。


 俺は、海城王の息子失格だっ! 俺に愛情を注いでくれていた父上の恩を仇で返し、その償いをするために、アルポート王国を継ぐ王の器になることすらできていない……! 俺は、お主のような立派な女とは、とても釣り合いが取れておらんのだ……」


 ユーグリッドは海城王を殺した心の傷を曝け出し、その面差しに影を作る。その陰影はユーグリッドの心を侵食し、その体の隅々まで咎人とがびと烙印らくいんが刻まれていた。


 誰も許さない罪、誰も認めない自己の存在。ユーグリッドはいつも王としての仮面を盾に、その孤独な自分自身から逃れようとしていた。ユーグリッドは王の仮面が剥がれれば、ただの弱気な青年でしかない。その青年はいつも自分自身の本当の姿を、誰かに受け入れてほしいと焦がれていたのである。


 ユーグリッドは罪悪感と孤独感に胸を詰まらせていた。


「……おキョウは」


 キョウナンは薄暗い部屋の中、静かにそっとユーグリッドに声をかけた。


「おキョウは、ユーグリッド様に家族の愛を知っていただきとうございます」


 その言葉の瞬間、ユーグリッドは顔を上げた。その女の真意が理解できず、動揺して何度も瞬きする。


 だがキョウナンは凛とした声で、その自分の思いの丈をぶつけ返したのである。


「……ユーグリッド様は、とても寂しいお方でございます。亡き父君が愛してくださった過去を怖がり、妻となるおキョウに愛される未来も怖がっております。


 それはひとえに本当の自分を曝け出したら、誰も愛してなどくれないと思っているからです。王として良い格好をせねばと、父を殺した罪を償わねばと、そうした掛け値を見せなければ、誰も自分のことなど受け入れてはくれないと、あなた様は思い込んでいるのです。


 それは砂の城に自分の弱さを隠すようなもの。その楼閣の上で背伸びをしなければ、あなた様は誰とも接することができないと、自分に十字架を背負わせているのです」


 キョウナンはユーグリッドの本心を暴く。

その一つ一つが、ユーグリッドの胸に深く突き刺さった。

キョウナンは言葉の限りを尽くして自分の思いを打ち明ける。


「ですがおキョウはそれが悲しゅうございます。あなた様は自分の本当の姿さえ否定しなければならないほどに、心の拠り所を失ってしまっているのです。泣くこともできず、甘えることもできず、誰かに心を許すこともできない。


 あなた様はそうした己の弱さをひた隠しにしていたために、心が傷まみれとなり疲れ切っているのです。そして自らが築き上げた重荷に耐えきれなくなり、心が砂で埋もれてしまっている。


 けれど本当は誰かに心を曝け出したい。誰かに本当の自分の姿を見てもらいたい。そうした思いを秘めているからこそ、あなた様はこうしておキョウに、父君を殺めた後悔を告白しているのです」


 ユーグリッドの体が打ち震える。胸の澱が洗い流されるようにただキョウナンの話を聞き入っていた。

キョウナンは言葉を尽くしてユーグリッドの心に迫り続ける。


「おキョウは辛うございます。おキョウはあなた様の妻となる身として、あなた様が己の心を偽り傷つける姿を、ずっと忍び見なければならないのでしょうか? ずっと見栄を張った夫とだけ逢瀬おうせを交わし、本当に愛したいと願うこの思いを隠し続けなければならないのでしょうか?


 いいえ、そんな偽りの愛はおキョウにはできません。それではきっと二人の心は壊れてしまうでしょう。おキョウはあなたと夫婦のちぎりを結ぶならば、あなたと本当の心を通わせたい。偽りなく、健やかに、永遠に家族として愛を語り合いたい。


 おキョウはあなたが悲しい時は、赤子のように泣き声を上げてほしいのでございます」


 キョウナンはユーグリッドに夫婦の理想を語り伝える。


 その赤裸々な愛情表現にユーグリッドの本心は鷲掴みにされていた。それは若きユーグリッドが本当に求めていた心の安らぎ所。自らの罪を受け止めてほしいと願う告解の場。その無防備な己の弱さを曝け出せる居場所が、キョウナンの愛の中にあったのだ。


 だがユーグリッドはわなわなと震えるだけで、なおも己が築いた砂城が崩れ落ちることを恐れていた。


 それでもキョウナンはユーグリッドの心の奥に眠る、赤子のように無垢で寂しがり屋な姿を剥き出しにしようとしていた。


「王とは、誰からも敬われなければならない重き業を背負ったものです。それに嘘が必要なことはおキョウにもわかっております。


 けれど、家族の愛は違います。家族とは、何も纏わぬ裸の子を抱きしめるようなもの。誰が泣こうとも、誰が恥を見せようとも、そこには帰る家があるのでございます。時には空腹になるでしょう、時には排泄もするでしょう。けれどそうした己の欲や己の汚れを、全て包み込んでくれるのが家族なのでございます。


 ただ家族として家にいるだけでいい。そこには身分も気高さも強さも必要ありません。それこそが”家族”の本分であり、おキョウが目指す夫婦の形なのでございます。


 ユーグリッド様、おキョウはあなたが何者でも、ずっとあなたを愛します。おキョウはあなたの家族として、妻として、あなたの心の全てを受け止めます。

それが私の、新しくレグラス家の妻として生まれ変わる私の、キョウナン・レグラスの家族の役目なのでございます」


 キョウナンは妻としての永久とこしえの愛を宣誓し、ユーグリッドの全てを受け入れる。


 ユーグリッドはその強くて包容に満ちた言葉に心が揺らぐ。それはユーグリッドが長年求めていた愛。かつて子供の頃に亡くなった母から与えられていた、家族としての無償の愛だった。ユーグリッドは静かに震えている。


「……おキョウ、お前は、俺の親殺しの罪を許してくれるのか?」


「いえ、あなたの罪を許すのではありません。あなたの罪を包み込むのです。あなたのお父様を殺めた後悔も、あなたの誰からも愛されないという恐怖も、全ておキョウが包み込んで差し上げます。そしていつかきっとユーグリッド様が心の全てを曝け出し、私たち夫婦が、本当に愛し合える日が来ると信じております」


 キョウナンは再び心を込めて、ユーグリッドに家族の愛を誓う。その瞳は優しく微笑みを湛え、慈母が子供を抱くようにユーグリッドの全てを包み込んでいた。キョウナンはユーグリッドのあるがままの姿を迎え入れようとしている。


 そして、その時、


 ユーグリッドはキョウナンを強く抱きしめていた。細い肩に顔を埋め、赤子のようにユーグリッドは泣きじゃくる。

キョウナンはただ、たった今夫になった愛しい男性ひとの頭を撫で続ける。


 こうして、ユーグリッドとキョウナンは夫婦のちぎりを交わしたのである。


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