5月の夜中の10時頃、貿易大臣リョーガイは東地区を治める大将軍タイイケンの屋敷に訪れていた。屋敷の敷地は広大であり、そこで昼間は大規模な軍事訓練が行われているのだということが
「これはリョーガイ殿、こんな夜更けに一体何の御用でございます?」
鎧を着込んだ門番がリョーガイの姿を見取ると尋ねてくる。
「タイイケン将軍と話をしたい。アルポート王国のことで緊急の用事があると伝えてくれ」
「わかりました」
門番はタイイケンに取り次ぎに屋敷に入る。
しばらくして後、タイイケンとリョーガイは他に誰もいない和室の部屋で対面をしていた。
その部屋はとても簡素であり狭く、余計なものは一切ない。一本しか灯されていないロウソクの火が静かに揺れている。
「ご無沙汰、というわけでもありませんな将軍。将軍と会うのは1ヶ月ぶりくらいでしょうか? その間はお変わりなくご息災でしたでしょうか?」
リョーガイは畳に手をつきタイイケンに会釈をする。
「くだらん挨拶はいい。こんな夜更けに何の用だ? さっさと要件を話せ」
タイイケンはリョーガイに吐き捨てるように返す。タイイケンはこの何を考えているかわからない商人を気に入ってはいなかった。
「将軍がお望みとあらば、早速本題に入りましょう。私が話したいのはユーグリッド陛下についてでございます」
”ユーグリッド”という名前にタイイケンの眉がピクリと動く。その強面の瞳には明らかに、主君を殺した男への憎悪の炎が宿っていた。
「ユーグリッド陛下は王位についてから1ヶ月ほどになりますが、あの方の政策はどれもこれも的外れなものばかり。
金がないからと無闇に領民への福祉を削り、さらには収益の見込みの薄い増税ばかりしている。領民からの評判は地底につくほどに最悪であり、臣下たちの
はっきり言ってしまえば、あの方にはアルポート王国の王政を担えるほどの器がない」
「…………」
タイイケンは腕を組み銅像のようにしてユーグリッドの批評を聞いている。厳しい表情には変化がなく、己の腹の内を見せない。
リョーガイは更にユーグリッドの政治を批判する。
「聞く所によると財政についても赤字ばかりを作っているという。アルポート王国の国庫の金にも手を出さざるを得なくなっているそうです。
このままユーグリッド陛下の王政が続けば国の赤字はどんどんと膨らみ、この王国の経済は破綻してしまうでしょう。
そんな事態を招くことは商人の私にとっても、この国の領民にとっても決して喜ばしいことではございません」
リョーガイはつらつらとこの国の財政危機を述べる。
そこへタイイケンが一つ口を挟む。
「それは貴様が貸したアルポート王国の100万金両の借金のせいでもあるだろう。国の財政が心配だと言うのなら、その借金を帳消しにしたらどうだ? 貴様は金ならいくらでも持っているのだろう?」
タイイケンが債権放棄を促すと、リョーガイは苦笑して顔を逸らす。
「いやはや将軍、これは手厳しいご意見だ。100万金両という大金を棒に振れと? 確かに私がそれをすればいくらか国の財政はマシになりますでしょう。けれどそれを差し引いて考えたとしても、陛下の政治はあまりにも浪費が激しいのでございますよ。
利益の見込みのない事業に手を出し、賭け事のように新しい産業を次々と開く。商売のことをよく知らない経営者の典型でございますなぁ。
私も陛下に口を出させていただきましたが、何分あの方は頑固で猜疑心が強い。金を貸した私を警戒して、全く進言を取り入れてはくれない状態なのですよ」
「つまりユーグリッドは金の回し方が下手で、それを止められる者もいないということか?」
タイイケンはリョーガイのこれまでの主張をまとめる。
「その通りでございます、将軍。
例え私が借金を帳消しにしたとしても、陛下の力量ではこの国の財政を成り立たせることができないのでございます。これでは領民も臣下も、陛下に付いていけますまい。もはやユーグリッド陛下はアルポート王国の癌といっても差し支えないのでございます」
「......そうか」
タイイケンは瞼を固く閉ざし、リョーガイの話に納得の意を示す。
だがリョーガイの話には一つ嘘があった。それは『ユーグリッドに口を出している』という言である。実のところ、リョーガイは一切ユーグリッドに対して献策していない。ユーグリッドが失策を犯していても全く放置していたのである。
「それで、ここまで長々と貴様はユーグリッドを非難してきたわけだが、結局俺に何をしろというのだ? 俺は政治には明るくない。俺にユーグリッドの政治を矯正する力なぞないぞ」
「いいえ、矯正などする必要はありません。私は将軍が保有する1万の軍に用があるのです」
「!!」
その突然の切り出しにタイイケンに緊張が走った。リョーガイが何を企んでいるのかか瞬時に理解できたのである。
リョーガイはニヤリと笑い、アルポート王国の軍事状況について語り始めた。
「アルポート王国で軍隊を保有する勢力は主に4つあります。
1つ、私めリョーガイが持つ5000の兵。2つ、北地区のソキン殿が持つ5000の兵。3つ、将軍が持つ1万の兵。そして4つ、アルポート王城に在籍するユーグリッドの1万の兵。
締めて3万の軍勢がこの国には存在するのです」
「…………」
タイイケンは息を呑む。その勢力図の説明をしだしたことが何を意味しているのかわかったのである。
「もうお分かりですかな、将軍? 私は武力行使によってユーグリッドを玉座から引き摺り降ろそうと考えているのです。そのためにはもちろん兵力がいる。その協力を要請するためにこうして夜に将軍の元に訪れたのです」
リョーガイは遂に、大胆にも自分の反乱の意をタイイケンに明かした。
タイイケンは押し黙り、その反逆の正義を計りかねる。だが武人としての性か、その王城の攻略には少なからずとも興味を持った。
「しかし、アルポート王城は鉄壁の城塞だ。例え軍を集め攻めたとしても、そう安々と落ちはせんだろう」
タイイケンが慎重にその謀反の困難さを指摘する。
だがリョーガイはそれに対して不敵に笑ってみせたのだった。
「フフ、将軍。ご心配には及びません。私には秘密兵器があるのでございます」
「秘密兵器だと?」
「そう、それは西海の海賊王より輸入した”大砲”という攻城兵器にございます」
「!!」
その言葉を聞いた途端、タイイケンは驚愕した。タイイケンにもその兵器の名前には聞き覚えがある。
大砲とは大きな鉄の筒の中で火薬を炸裂させ、鉄の玉を発射する装置だ。投石機と違って正確に照準を定めることができ、連射性でも勝っている。その破壊力も投石機の5倍以上はあると言われ、投石機の上位互換と言って差し支えない兵器であった。
(リョーガイめ、いつの間にそんな恐ろしい兵器を……)
タイイケンは心中穏やかではない心境になった。
「フフ、その様子だと将軍もご存知のようで。
いやぁなかなかにこいつを買い占めるには莫大な金が要りましてなぁ。まあこれは私の個人的な話ですが。
しかしこの大砲があればアルポート王城の城塞など木っ端微塵に砕くことができるでしょう。後は城の中に攻め込めるだけの兵力さえあれば、ユーグリッドの軍を制圧することは難しくない。
何せユーグリッドの軍は元々海城王の軍をそのまま引き継いだだけのもので、兵たちはユーグリッドに忠誠があるわけでもない。我々が大砲を撃って降伏を勧告すれば、すぐにこちらに寝返ることでしょう。それが成功した暁には、ユーグリッドにはこの世から退場してもらう」
リョーガイはそこで懐から
タイイケンは考え込んだ。
確かにリョーガイの計画は完璧だ。関門である王城の攻略にも大砲があれば容易く突破できるだろうし、城内の兵士たちも士気の低い者ばかりだ。
例えアルポート王国内で反乱を起こしたとしても、ユーグリッドを支持する者がいない以上逆賊と責められることもない。この国家転覆の計は十分に成し得ることが可能な謀略だった。
だがタイイケンには一つ懸念する事項があった。
「だが、仮に城の攻略に成功したとして、次は誰が王を務めるのだ? アルポート王国は絶対王政の国だ。新しい王が必要になる」
「王家の血筋が途絶えるとなると、当然諸侯たちが集まって議会が開かれることになりますでしょうなぁ。そうなれば当然この国の有力諸侯の誰かが次の王に選ばれることになるでしょう。
そして更にこの国は深刻な財政難に陥っている。ならば結果として、その有力者の中でも一番経済に精通している者が王になるでしょう」
リョーガイは白く長い煙を吹いて口元を歪める。その切れ長の目は明らかに野心に満ちていたのだ。
「……貴様は、アルポート王国の玉座を狙っているのか?」
「少なくとも、ユーグリッドよりは遥かにマシでございましょう、私が王になれば、この国を上手く扱える自信がある」
己の権勢欲を隠そうともせず、リョーガイは次の王となると言い切った。
「…………」
タイイケンはひたすらに押し黙り、岩のように体を固まらせている。賛成とも反対ともわからないどっちつかずの態度だ。
だがリョーガイはタイイケンの返答を待たず、そのまますくりと立ち上がった。
「さて将軍。そろそろ夜も更ける頃だ。ここいらでお暇させていただきましょう。
この件の
言い終わると、リョーガイはまるで自宅を歩くかのような軽快な足取りでタイイケンの屋敷から出ていった。
一人残ったタイイケンはそのまま強張った姿勢で考え込んでいる。
「……海城王様、俺はどうしたらいいのでしょうか?」
狭い和室の中に沈んだ声が響く。
その独白の声を屋根裏から盗み聞く者がいた。ユーグリッドのシノビ、ユウゾウである。
(これは、大変なことになったぞ)
ユウゾウはアルポート王国の行く末に不穏を感じながら、こっそりと屋敷を脱出した。