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受け継がれる忠誠

 海城王の墓がある中庭では、黒装束のシノビたちによって掃除が行われていた。衛兵の死体を集めて大きな袋に詰め、血のついた土草を取り除き新しいものに埋め直す。


 そのシノビ衆の数は合計8人。

ユーグリッド自身に付いた血も鎖鎌の男によってきれいに拭き取られていた。


「粗末なものですが、新しいお召し物です」


 鎖鎌の男は粗末とは到底思えないような豪華な服を差し出す。


「……ああ、礼を言う」


 ユーグリッドは差し出されるがままに服を着替えた。

鎖鎌の男はユーグリッドから血に塗れた古着を受け取る。


「こちらのお召し物は処分させていただきます」


 鎖鎌の男は畳んだ服を恭しく両手で上げ、ユーグリッドに告げる。


「……ああ、わかった。そうしてくれ」


 気もそぞろに頼むユーグリッドは、どこか夢見心地のような気分だった。

5月の満月の夜の下、アルポート王城の中庭は奇妙な格好の者たちによって清掃されていく。それも父の墓があるこの神聖な中庭でだ。


 ユーグリッドの胸に最初に浮かんだ感情はまず猜疑であった。

何故この者たちはこの俺を助けたのだろう? 

この俺を助けて、何かこの者たちに利益があるのだろうか? 

父親殺しの、何の権威も力もない、人々から忌み嫌われているこの俺を助ける意味などあるのだろうか? 


 ユーグリッドの疑念はますます深まるばかりだった。


「お主らは一体どこの使いの者だ?」


 ユーグリッドは不審に耐えきれず鎖鎌の男に尋ねる。


「一体お主らの目的は何だ? あいにくお主らに褒美をやれるほどの権威は俺にはないぞ。お主らも知っておるだろう? この国の財政は厳しいものなのだ」


「いえ、我々の目的は金ではありません。それに今は仕えている主もおりません」


 ユーグリッドの矢継ぎ早な問いに、鎖鎌の男は明朗に低い声で答える。

ユーグリッドはその正体の知れない男にますます眉をひそめた。


「なら、俺に取り入るために俺を助けたのか? 此度の刺客からの襲撃も、あまりにも助太刀する頃合いが良すぎている。お主らは全く力などない張り子の王に仕えたいとでも申すのか?」


 ユーグリッドは警戒を強めながら問いかける。


「はい。率直に言ってその通りでございます。俺たちシノビ衆はユーグリッド様にお仕えしたいのでございます」


「何故だっ!」


 その愚直なシノビのの献身の表明に、ユーグリッドはとうとう疑心暗鬼が爆発し声を荒げた。父親殺しの不肖の息子の自分に、味方など付くはずがないと固定観念を抱いていたのである。


「お主は先程亡きヨーグラスのシノビだと申していたな。ヨーグラスとはすなわち俺が殺した父上のことだ。父上はお主らをかつて召し抱えていたというのか?」


「ええ、そうでございます。俺たちはヨーグラス様にご寵愛していただいておりました。ヨーグラス様は俺たちにとって敬愛すべき大切な主だったのです」


 そのシノビのはっきりとした海城王への忠誠の表れに、ユーグリッドの戸惑いは頂点にまで達する。


「ならばますます疑問だ! 俺はお主たちの主である海城王を殺したのだぞ。お主らにとって俺は主君の仇なのだ。この俺のことが憎いとは思わんのか?」


 ユーグリッドが喚くように尋ね、頑なに心を閉ざす。

だが鎖鎌の男ははっきりと王に対して敵意がないことを表明した。


「いえ、俺たちはあなた様を憎んではおりませぬ。あなた様がお父上を処断なされたのは、覇王の軍勢との交戦を避けるがため、政治的な判断の上でございます。ならば真にヨーグラス様を殺したと言えるのは覇王にございます。あなた様を憎む道理はありません」


 鎖鎌の男はユーグリッドに解明し、王の否応なしに迫られた苦渋の決断に寄り添おうとする。

それでも若き王は、己の父親殺しの悔恨から逃れられなかった。


「だが、父上自身は覇王との決戦を望んでいた! 皇帝への忠義を尽くすため、その生涯をアルポート王国の名誉を守るために捧げようとしていたのだ! けれど俺のせいで、父上はその最期の信念すら果たせなかったのだぞっ!!」


 ユーグリッドは嘆きながら叫び散らす。あの夜の惨劇の光景を永遠に忘れられないままでいた。


「父上は立派だった! 武名高く、名君であり、皇帝から寵愛されるほど人徳が高かった! 俺のように自分の臆病さに屈して、保身を考える男ではなかったのだ! そんな尊敬すべき父上の思いを俺は踏みにじったのだぞ! 俺は父上の死の間際、呪い殺してやるとまで言われてしまったのだ!」


 ユーグリッドは己の後悔に堪えきれず一滴の涙を流した。その悲しみの雫からは、自分が父をどれだけ恋しがり、寂しさと心許なさで胸が押しつぶされそうになっているのかが露わになっていた。


 鎖鎌の男はただじっと黙し、ひたすらにユーグリッドの曝け出される心境を傾聴している。


「俺はずっと、子供の頃から誰からも愛されなかった! 俺には友もなく、恋人もおらず、俺を信望してくれる家臣もいなかった! 母上も俺が物心が付く前から病気で亡くなってしまい、唯一の家族は父上だけだった!


 だが、そのたった一人の肉親すら俺は殺してしまった! 父上は20年間ずっと俺を男手一人で育ててくれたというのに、その恩を仇で返したのだ! 俺は、俺は、父上を裏切った親不孝の罪人だ! その咎は永遠に消えることはない! 俺は誰からも愛されず、殺してしまった父上の恨みを一生背負い続けなければならないのだ!」


 ユーグリッドは天を仰ぎ咽び泣く。その逃れられない業に身を焼かれるほどに悶え苦しむ。ユーグリッドの心の飢えは満たされない。


 だがその王の地獄の釜の底のような苦しみを、鎖鎌の男は真っ向から否定した。


「いいえ、違います! あなた様は孤独な王ではありません! ヨーグラス様は確かにユーグリッド様のことを愛していたのです!」


 その力強い言葉に、ユーグリッドはハッとなって歪められた顔を元に戻す。心情を露わにした慟哭が止まり、思わずシノビの男の目元しか見えぬ顔に視線を向ける。その双眸は熱く真っ直ぐであり、この証言が真実であるということを懸命に伝えようとしていた。


「父上が、俺を愛していた?」


 ユーグリッドは涙に濡れた目をみはり、オウム返しに聞き返す。


「はい、確かにヨーグラス様はユーグリッド様を愛しておりました。そして俺たちはそのヨーグラス様の最期の思いに応えるためにここにいるのです」


 そして鎖鎌の男は海城王の遺志を語り始めたのだ。


「ヨーグラス様はあの日の覇王が到来した夜、俺たちにこう命令しました。


『もしお前たちが生き残ることができるのであれば、ユーグリッドの命を守れ。例えアルポート王国が滅びることになったとしても、息子の幸せを願いたい』と。


 ヨーグラス様は死を覚悟した間際でも、あなた様の幸福を望んでいたのです。

だからこそ、俺たちはご子息であるユーグリッド様の命を守りたい。俺たちはヨーグラス様の家臣として、主の最期の願いを叶えたいのです!」


 鎖鎌の男が熱意を込めて語る。その素肌の上の双眸は真心に満ちており、ユーグリッドに亡き主の愛を伝えられることを願っていた。


 その父の遺言を知った瞬間、ユーグリッドは嗚咽を漏らした。父が最期の時まで自分を愛してくれていたという真実を知り、その家族の親愛を初めて肌身に感じられたのだ。


 それでもなお、ユーグリッドは亡き父の愛情に戸惑い受け止めきれず、悔恨の念を吐露する。


「だが、そんな父の想いは、もうとっくに消えているはずだ。俺が父上を殺した時点で、俺はもう父上の子ではないのだ。父上もきっと、天の上で俺のことを恨めしく思っている

……」


「いいえ!」


 鎖鎌の男ははっきりとした口調で王の嘆きにかぶりを振る。そのユーグリッドの父の愛情の拒む躊躇いを断ち切ろうとする。


「ヨーグラス様は確かにあなた様を愛しておりました。その愛は深く、誰よりもあなた様の幸せを望んでおりました。俺たちシノビ衆は10年間、ヨーグラス様の傍でお仕えした中で、どれだけご子息であるユーグリッド様を大事に思っていたかを知っております。そのご子息への親愛に嘘偽りはございません。


 そして俺たちの胸の中には、今でもヨーグラス様の最期の命令が生きているのです。俺たちシノビ衆はあなた様を、亡きヨーグラス様の遺志を継いで守り抜きたい!」


 鎖鎌の男が熱い忠誠を王にぶつける。その曇りのない誠心誠意を籠めた眼差しを受けて、ユーグリッドは父の愛が本当にあったことを確信する。ユーグリッドはようやく亡くなった父の愛を受け止めることができたのだ。

そしてこのシノビの敬愛もまた、自分にとって掛け替えのないものだと理解した。


 やがてユーグリッドが辺りを見渡すと、いつのまにかシノビ衆全員がユーグリッドの周りに集合していた。皆真摯な瞳でユーグリッドを見つめており、覚悟と信念を秘めている。ユーグリッドを主として心の底から慕っていたのだ。

ユーグリッドはその光景に感動が止まらず、温かい涙をまた流した。


「......良いのか? 俺は父上ほど立派な王ではないのだぞ? お前たちは本当に俺を主君として認めてくれるのか?」


「はい、あなた様ならきっと立派な王になれます。俺たちはそのためにあなた様のご命令を果たすのです。


 俺たちは、ユーグリッド様はきっとヨーグラス様の後を受け継ぐにふさわしい主君であると信じております!」


 シノビ衆たちが一斉に変装を解き、ユーグリッドの前に素顔を曝け出す。皆一様に凛々しい面立ちをしており、その新たな主への忠誠を誓おうとしている。

そしてユーグリッドはやっと誰かに心を許すことができたのだ。


「ユーグリッド様」


 鎖鎌の男を中心にシノビ衆たちが一斉に跪く。


「俺たちをユーグリッド様の家臣にしてください」


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