目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

刺客

 5月の夜の9時頃、ユーグリッドはアルポート王国の王城にある、中庭に建てられた海城王の墓の前までやってきていた。


 それは王の墓とは思えぬほどとても簡素なものであり、ただ四角刑に加工された石に”海城王ヨーグラス・レグラス”といみなが刻まれているだけであった。こうした何の飾り気もない墓石になってしまったのも、ひとえに国の財産がないことに起因していた。


(父上……)


 その無情な光景に感傷的な気分になり、土に埋められた首のない父の亡骸に思いを馳せる。尊敬の念と後悔の念、そして今すぐにでも父親に縋り付きたい甘ったれた感情が込み上がってくる。そしてしばらくすると、父の生前の姿がポツリポツリと頭の中に浮かんできた。


 父は偉大であり、武芸に長け、誰からも尊敬されるまさに王者にふさわしい人物だった。皇帝からも認められたアルポート王国の正統なる王であり、かつて朝廷で武名を上げた功績によってその王の位を築き上げた。


 アルポート王国の王になったばかりのユーグリッドは、いかにその王座を守ることが大変であり、いかに海城王である父が大きな存在であったかを身を持って知ったのである。


(だが俺は、そんな父上を殺してしまった……)


 ユーグリッドは自分の両の手のひらをじっと見つめる。その手には父を突き殺した感触が今でもまざまざと残っていた。


 ユーグリッドはあの日自分が犯した凶行が、本当に正しかったのかどうか判別できずにいた。あの時父を殺さねば、覇王との勝ち目のない戦争は確実に引き起こされていた。父は自分の理想のために、臣下や領民を巻き添えにして死のうとしていたのだ。だから自分は、そんな父の無理心中とも言える無謀な行為を止めた英雄ではないかと考えることさえできる。現にユーグリッドは自分にそう言い聞かせることで、自分を正当化しようとしてきたのだった。


 だが、現実は違う。臣下も領民も父親殺しのユーグリッドを認めることはなかった。毎日出会う臣下たちからは白い目で見られ、城下町を視察する時も領民たちから逃げられるように避けられていた。


 この父親殺しの烙印は消えない。ユーグリッドは王であると同時に大罪人でもあった。そしてユーグリッド自身もその罪の意識にいつも苛まれていたのである。


(この俺の罪は永遠に消えることがないものなのだろうか? 俺は一生父親殺しの罪人として、人々から後ろ指を指され生きていかねばならぬのだろうか? 俺はずっと、誰からも慕われない木偶人形の王として生涯を終えるのだろうか?)


 ユーグリッドは深く悩み入り苦悶する。だが大きくかぶりを振って、その煩悶を断ち切ろうとした。


(そんなのは嫌だッ! 俺は孤独になりたくない! 俺だって誰かから愛されたいのだ! 誰か俺に、俺に心の底から味方してくれる者はいないのか!?)


 ユーグリッドは絶望の果てにこいねがう。それは一人の王としてではなく、一人の平凡な青年としての悩みだった。


 海城王の一人息子だったユーグリッドには他に親族もなく、母親も物心が付く前に亡くなっていた。箱入りに育てられたユーグリッドには友人もなく、海城王の名声の下に付き従ってきた臣下たちからの人望もない。ユーグリッドは今まで海城王の息子として表面的にしか人と接したことがなく、信頼できる者は誰もいなかった。


 過去を思い返し、そして今の現状を思い出しユーグリッドは涙する。覇王の奴隷となり、リョーガイに借金を背負わされ、そして何より誰からも愛されることのない自らの境遇を悲嘆する。これからはただ一人、嫌われ者の王として人生を送らねばならなかったのだった。


(こんな惨めな思いをするくらいなら、いっそ父上と共に戦って死ねばよかった!!)


 ユーグリッドは中庭に生えた木に両手をついて嗚咽を漏らす。夜の静寂の中には、ただユーグリッドの無様な泣き声だけが響き渡る。


 しばらくしてユーグリッドは腰に携えた、海城王を刺し殺した短剣を抜く。両手に持った短剣を翻し、自らの喉元に突きつける。両手の震えが止まらず、短剣を何度も滑り落としそうになる。だがユーグリッドは遂に覚悟を決め、短剣をぐっと握り直す。そして力を込め一気にその喉元へと――

「何をやってるのですかな? ユーグリッド陛下」


 突然不審な声が耳に入ってきた。


 涙に塗れたユーグリッドは驚き、素早く振り返る。


「そんな刃物を喉に突き付けたら危ないでしょう? あなたに死なれたら、我々も厄介なことになってしまいますのでね」


 暗闇から姿を現したのは、アルポート王国の警護をする衛兵であった。それが10人ばかり、こちらに向かって集まってきている。


 兜を深々と被っており、ユーグリッドにはその者たちの正体がわからない。何故いきなり下郎である衛兵が、自分に声を掛けてきたのかも理解できなかった。


「何者だッ! この中庭には誰も入るなと俺は申し付けていたはずだぞ! お主らがどこの部隊の者かわからんが、早急に持ち場に戻るがよい!!」


 ユーグリッドは激高して命令を下す。だがその最前衛にいた衛兵は不敵に口元を歪ませるだけだった。


「それはできませんなぁ、陛下。何せ我々には、この城の警備よりも重要な任務を預かっております故」


 前方にいた衛兵が突然剣を抜く。ユーグリッドは驚き、短剣を構え直す。


「何の真似だッ!! 主君に向かって剣を向けるとは! かような狼藉が許されるとでも思っているのか!」


「ご安心なされよ。あなたを傷つけるつもりは毛頭ない。ただ大人しく我々の縄についてくださればいいのです」


 そう告げると、剣を抜いた衛兵がゆっくりと鎧の音を鳴らして近づいてくる。その歩みはどんどんとユーグリッドに迫り、ゆらゆらと不気味に揺れている。


「近づくな下郎! 人を呼ぶぞッ!!」


 ユーグリッドはたじろぎながら警告する。だが衛兵は薄気味悪く笑うだけで歩みを止めなかった。


「陛下、ここは陛下ご自身の命令で誰も寄り付かぬように取り計らった中庭ですぞ。人など呼んでも誰も来やしません」


 目の前まで来た衛兵は、ユーグリッドに剣の切っ先を一振りして突きつける。


「さあ、陛下。その短剣を地面に置いてください。大人しく従わねば、我々はあなたを傷つけてしまうやもしれませぬ」


 ユーグリッドはしばらく沈黙し、短剣を持ったまま屈み込む。だがそれは剣を置く振りをした見せ掛けであり、突然衛兵に斬りかかった。衛兵がその奇襲を剣で防御したことを皮切りに戦闘が始まった。


 ユーグリッドは父より教わった剣術を、懸命に思い出しながら短剣を振るう。短剣での戦闘はいかに相手の懐に飛び込めるかが生命線であり、剣撃の手数を増やして相手の隙を作ることが基本戦術である。


 ユーグリッドはその教えに忠実に従い、素早く衛兵に連続攻撃を繰り出した。だがそのどの攻撃も、衛兵は最低限の剣捌けんさばきで弾き返し、とても隙など生まれない。ユーグリッドには圧倒的に実戦経験が不足していたのである。


 そして奮闘虚しく、ユーグリッドの短剣はとうとう虚空へと弾き飛ばされてしまった。ユーグリッドはその勢いで尻もちを付き、そしてそのまま喉元に剣を突き付けられる。


「大人しくしてください陛下。さもなくば痛い目に合いますよ? 余計な手間を取らせないでください」


 ユーグリッドは成すすべなく、両手を地面についたまま体を強張らせた。

それを見て取ると衛兵は警戒を緩め、後ろに控えていた他の衛兵たちの方へ顔を向ける。


「誰か縄を持ってこい! それと猿轡もだ! ユーグリッドをあのお方の元まで連行するぞ!」


 戦っていた衛兵が命令を下し、他の9人の衛兵たちも迫りくる。ユーグリッドは万事休すの思いとなり、深く目を閉ざす。


――だがその時だった。


 ユーグリッドはその大声に紛れて足音を聞いた。本当に微かな物音であり、耳をよく澄まさなければ聞き取れない。だが絶体絶命の危機に陥っていたユーグリッドの感覚は研ぎ澄まされ、その影のような足音を聞き取ることができた。その駆け足は素早く、どんどんとこちらに迫ってきている。


――そして


 気づいた時には目の前の衛兵の生首が飛んでいた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?