阪急電車箕面線は、阪急宝塚線の
箕面線は終点の箕面駅まで、三駅しかない短い路線だ。しかし箕面は歴史が古く、縄文時代から人間が生活していた痕跡が残るエリアだ。奈良時代に箕面寺や
美晴のアトリエ兼住宅がある場所は駅からバスを乗らないといけないので、二人は路線を探してバスに乗った。バスの窓からは山の緑で綺麗に見えて、普段ビルの山しか見ない櫻子は少し心が洗われたような気がした。バスを降りて向かった先――美晴の家は、小さいが一人暮らしには十分な広さの一軒家だ。隣家とも、ずいぶんと離れていた。
『どちら様ですか……?』
インターフォンを一度鳴らしても音沙汰がなかったので、櫻子は二回続けて鳴らした。迷惑になると慌てて篠原が止めようとしたとき、ようやくインターフォンから女の声が聞こえた。
「大阪の曽根崎警察の一条と篠原です。
『……私、何も知らないけど』
「それは、話しを聞いてみて我々が判断します」
やんわりと追い払おうとする言葉に、櫻子は語気を強くして反論する。溜息のような吐息が聞こえて、鍵が開いた。
「失礼します」
櫻子と篠原が家に足を踏み入れた。家の中は、ハーブのような香りが漂っていて、この季節なのに薪ストーブが点けられていた。
「ハーブの香りがきついのは、細工する時に使う『はんだ付け』とかボンドみたいな、化学薬品製品の匂いが強いからよ。ここは山の陰になるから、ずっといると寒くなるわ。湿気も多いし、乾燥も兼ねて春でも薪ストーブを点けているの」
不審げに辺りの様子を探ってしまうのは、仕事柄だろう。仕事場だろう奥の部屋から出てきた皮のエプロン姿の美晴は、明るい茶色のショートヘアに黒い縁の眼鏡をかけていている。しかし、どこか販売サイトの彼女とは、印象が違って見えた。三十手前だが若々しく、笑えば美人と言える容姿に恵まれていた。弟の祥平と、どことなく似ていた。
「璃子さんが亡くなったのに、お仕事ですか?」
「私がいて生き返るなら、実家にいるわ。依頼注文も溜まっているし、お葬式は私も手伝える様に自分の仕事を今片付けています」
エプロンと分厚い革の手袋を外して、それらを美晴は固定電話の上に放り投げた。その固定電話は、何故か電源の線が抜かれている。
「何か大きな依頼が入っているのですか?」
有名で人気なハンドメイド作家であっても、そんなに仕事に追われるような依頼は普通ないだろう。櫻子は、不思議そうに尋ねた。
「長崎の教会から、ステンドグガラスの依頼を受けているの」
「教会から……テーマは?」
櫻子の問いに、美晴は少し驚いた顔をして視線を逸らした。
「……受胎告知よ」
まるで、亡くなった彼女の義妹の事の様だと篠原は思った。櫻子もそう思ったらしい、僅かに表情を硬くした。
「今はそれにかかりきりなの。用件は?」
ソファに腰を落として、美晴は櫻子を見上げた。
「美晴さんは教師を目指していたと聞いたけれど、どうして辞められたんですか?」
璃子の事を聞かれると思っていた美晴は、質問の内容が意外だったのか瞳を丸くした。
「――教育実習先で、生徒に「美術なんて退屈」だって言われたの。それで、挫折して辞めたわ」
「私は、好きだったけれど。残念ながら、選択は音楽だったわ」
櫻子の叔父は「美術の選択は音楽にしろ」と、櫻子に命じた。櫻子は油絵に興味があったのだが、普段忙しい叔父は櫻子の教育には必ず口を出した。櫻子は、それに刃向かう気はなかった。お陰で、クラシックには詳しくなった。
「璃子さんの事が嫌いだったの? 苦手だったの?」
脈絡なく、櫻子は質問した。美晴は再び驚いた顔をしたが、小さく首を横に振った。
「いいえ。好きでも嫌いでもないわよ。弟の嫁、その認識しかないの。私は、仕事が一番だから」
櫻子と美晴の二人が話している時、ふと篠原にあるものが見えた。キッチンとリビングの間にある、飾り棚だ。一番上の棚で、写真立てが倒れていた。故意かたまたまか分からない、それが飾られているだろう写真を見えないように、伏せられるように埃が被っていた。
篠原は何の気なしに手を伸ばして、それを起こそうとした。それに気が付いたのか、美晴が大きな声を上げた。
「それに触らないで!」
その声に驚いた篠原は思わず手を引いた。その様子を見ていた櫻子の視線の先で、その写真立てが再び伏せられたまま、埃を舞わせながら小さな音を立てて元のまま倒れた。
「部屋のものを、勝手に触らないで」
再び櫻子が美晴に視線を向けると、彼女は目頭を押さえる様に指で挟んでいた。
「――笹部君に、帰りはもう少し遅くなると連絡して」
小さく、櫻子は篠原に呟いた。櫻子の言いたい事を何とか理解した篠原は、「少し失礼します」と玄関から家を出た。
「その製作途中のステンドガラス、見せて貰えません?」
怪訝そうに顔を上げた美晴に、櫻子はにっこり笑った。