次の日の朝。曽根崎啓達署に着くと、珍しく篠原と笹部の姿があった。いつも櫻子より五分ほど後に来る笹部は、今日は櫻子が着くよりニ十分前には来ていたそうだ。
「話は、笹部さんに聞きました。すみません、うちに呼んでしまったせいで、帰りが余計遅くなってしまったみたいで」
篠原は豆をミルで砕きながら、申し訳なさそうに頭を上げた。櫻子は笑顔で「気にしないで」と答えた。
「家に帰るまでよかったのよ。署長に会えたし、スムーズに情報が得られるわ」
「あの署長、よほどボスに気に入られたいみたいですね。昨夜遅くに、ボス宛に検死解剖の結果を送ってきてました。今どきFAXですが」
一課のFAXに届いていたのを、先ほど宮城自らが持って来たらしい。「今はどんな事件に首を突っ込んでるんや?」と、呆れら様に聞いてきたようだ。篠原が正直に堂島の羽場の話と蛍池の妊婦の話をすると、「三人しかおらへんねんから、手を広げすぎるなよ」と零して一課に戻ったそうだ。
「カバンなどの所持品は未だ見つかっていませんが、明け方蛍池交番に妻が帰らないと相談に来た二十四歳の男性がいます」
笹部はそう言うと、小さな金属加工をしている町工場のホームページを開いた。そこには、『
「金属加工……」
櫻子は思わず呟いた。ここなら、シアン化ナトリウムがあるはずだ、と考えたようだ。
「この工場の三代目になる予定の、吉川
工場のホームページに、社員一同が並んで映っている写真があった。真ん中に現社長夫婦らしい五十代手前の男女と、その左に映る若いまだ初々しい男女が笑顔を浮かべていた。その周りを、社員たちが囲んでいる。
「璃子さんは高校まで女子高に通っていて、大学の時に祥平さんと知り合って卒業と共に結婚。妊娠が分かってからは、豊中の産婦人科に検診に通っていてそこで出産予定だったそうです」
篠原の淹れた珈琲の香りが、辺りに香ばしく漂う。櫻子のカップが机に置かれると、彼女は自分の机に向かって椅子に腰を落とした。
「家族構成は?」
「現在の二代目社長であり祥平さんの実父の吉川
「美晴さんは結婚してないの? 仕事は?」
珈琲の香りを楽しんでから、櫻子は一口飲んで笹部に尋ねる。「美味しい」と、呟いてからだ。
「美晴さんは、二十九歳で未婚です。教師を目指していましたが、現在はハンドメイド作家として人気があり、そちらで生計を立てているようです」
笹部の言葉に、篠原が首を傾げた。
「ハンドメイドって、内職の一種ですよね? 内職でそこまで稼げるんですか?」
「今は、ハンドメイド業界はすごいみたいだよ。作風が気に入られれば、本業みたいに結構稼げるみたいだね」
笹部はそう答えると、パソコンを操作して何かを見ながら話す。
「美晴さんは大学では美術の教員を目指していたらしく、特にガラス工芸を専攻していたみたい。ステンドグラス風の作品が、得意みたいなんだよ。学生時代、ガラス工芸の全国大会の賞も取ってたんだ。だから、有名だったみたいだね。彼女のハンドメイド販売は、ガラス製品からネックレスや指輪みたいなアクセサリーがあるみたいで、ハンドメイド作品を売るアプリで顧客が多いみたいだよ」
販売アプリ会社でも、実績のある販売員が登録しているのは看板になるので、優遇していたのかもしれない。
「どこのサイト?」
「いくつかありますが……『HAND』では、制作ブログが特集されていたり、大きく彼女の作品を広告しています」
櫻子はスマホを取り出して、『HAND』を検索してみる。吉川美晴、と明るい茶色のショートヘアの細身の女性が、笑顔で映っている。彼女の販売のページは『KOKOMI』と表示されていて、制作のコツと書かれたブログは有料会員用だ。読者は一万人ほどいるので、この収入だけでも生活に困らないように感じた。
「家族関係は良かったの?」
「特に問題なさそうですね……小姑になる美晴さんは忙しくハンドメイド作品を制作している上に、別居。
幸せな家族だったようだ。再び櫻子は珈琲を口にした。これだけ見れば、ただの通りすがりの犯行に感じる。
「死因は?」
篠原が、慌ててFAXの検死報告書を手にする。
「毒物中毒です。使用された毒物は、シアン化ナトリウム。死後レイプされていますが、コンドームを使っている上、彼女のもの以外の体液等は発見されていません」
篠原はそう言ってから、付け加える様に呟いた。
「子供は、二十週目。女の子でした……子供の死亡も確認されています」