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第53話 通報・中

「笹部君は、豊中だったよね?」

 篠原の家を出た二人は呼んで貰ったタクシーに乗ると、先に笹部が住むマンションへと向かって貰った。雷は止んだが、雨はまだ降っていた。明日の昼までやまない、と篠原の母のやよいが言っていた。


「あ、忘れてました」

 後部座席で並んで座る笹部は、そう呟くとノートパソコンを開いて何か操作する。櫻子は、不思議そうにそれを覗き込んだ。


「何をしているの、それ?」

「今日の、『殺し』が絡んだ大阪と兵庫の警察への通報履歴です。緊急連絡回線にハッキングして、データ化しました。篠原君の家に来たんで、曽根崎警察署から今まで確認するのを忘れてました」

 笹部は、警察官としても違法であることを平然と口にした。櫻子の方が、運転手に聞こえないように小声になる。


「ちょっと、他の人にバレない範囲でしてよ? 私が怒られるんだからね?」

「ボスには、刑事局長がいるじゃないですか。不問ですよ……多分。あ」

 笹部はいつも通りぼんやりと返事しながら、今日の見ていない履歴を確認していた。が、何かが気になったのか指を止めた。


「何?」

「今日豊中で、妊婦が殺されてます。どうも毒殺された可能性があり、また死後暴行された痕跡が確認されているようです」

 笹部は、自分の地元で殺人が起きたという事より、『毒殺の可能性あり』という言葉が気になったようだ。勿論櫻子も、その言葉に飛びついた。


「毒殺? 笹部君、これ調べて!」

「管轄は――豊中警察署で、先に蛍池ほたるがいけ交番の制服警官が現場に向かって確認したようですね」

「お客さんら、お巡りさんですか? 物騒な言葉ばっかりやなぁ」

 タクシーの運転手が、怪訝そうにルームミラーで櫻子と笹部をチラリと見た。

「そうよ、偉いお巡りさんです! 行先変更よ、豊中警察に向かって!」


 最近では珍しい毒殺殺人が、こんなに日を空かずに起こる確率は異常だ。同一犯と考えた方がいい――だが、『死後暴行』とは? 犯人は、女のはずだ。それなのに、これはどういうことなのか。

 ビールで少し酔っていた頭は、すっかり酔いが覚めて自分でもびっくりするくらいだ。大阪に帰ってきた時に、伊丹空港がある蛍池に一番に着いた場所だ。それに、自分の生家にも近い。櫻子は、何故か焦りのような感情で息が詰まりそうだった。


「雨のせいで、鑑識がはかどってないみたいですね。カバンや身分証明関係の様な何か、というような情報が上がっていません。ただ、多分妊婦という事で豊中の病院に検査に来ていた患者だろうから、そっちからの方が早く分かりそうですね」


 妊婦が死んだ、と聞いて梶の事を思い出す。そして、櫻子は確信する。妊婦を――梶が手にかける訳がない、と。あの涙が嘘なら、自分に人を見る目はないのだと。


「そう言えば、病院の方に向かうお客さん乗せた時えらい道混んでましたねぇ……それが今調べてはる事件ですか?」

「ええ、そうよ。それ何時ごろの事?」

「ちょっと待ってくださいね」

 タクシーは信号が赤になるとブレーキを踏んで、運転日報を見直す。

「多分、十八時過ぎですわ。無線でも、検問やってるって知らせが入ってきたような……」

「あ、青よ。ちゃんと前見て運転してね?」

 一刻も早く現場に向かいたかったが、焦って事故でも起きては困る。櫻子は嫌な予感を感じながら、雨が叩きつけられる車の窓を何処かソワソワして見ていた。


「ボス」

「何? 何か分かったの?」

 慌てて振り返った先で、笹部は先ほどと変わらずノートパソコンを見ていた。それは、いつもと変わらない見慣れた風景だ。


「ボスも、小さい頃家族で手巻き寿司祭りしたんですか?」


 それは、どちらの家族の事だろうか。


 父も母も出世とは無縁だが警察官である誇りを持ち、同時に時間を作り近くの公園で花見をしたり、小さな動物園を仲良く手を繋いで回った。

 叔父は仕事人間で忙しくしていたが、金銭面は全く不便がなく、また専業主婦の叔母が良くしてくれた――どちらも、櫻子にとって大事な家族だ。


「――忘れたわ。大阪では、たこ焼きパーティーの方が多かったし」

 暗くなった空の下、車の窓に映る自分の顔を櫻子は見るのが怖かった――泣きそうになっていないかが、気がかりだった。

「そうですか――僕も、忘れてしまってるのかな」

 篠原は不思議そうにそう呟くと、再び画面に集中しだしたようだった。そうして、先ほどまで『何か』に焦っていた櫻子は、自分が落ち着きを取り戻したことを感じた。


 程なくして、タクシーは豊中警察に到着した。

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