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第72話 終焉の使者

トラプトニアンたちの間で不安が広がり始めたのは、地球の水を取り入れた後のことだ。最初は些細な異変だった。身体の倦怠感や理由の分からない幻覚。そして、それは徐々に広がり、噂となった。


「地球の水を飲むとおかしくなる――」


そのささやきは船内に蔓延し、恐怖を増幅させていった。乗員たちの間では「これは呪いだ」という声も上がるようになり、原因不明の疫病が蔓延するころには、恐怖が確信に変わっていた。


トラプトニアンたちの目には、漆黒の霧が現れるようになった。それはまるで生き物のように船内を徘徊し、乗員たちの夢や意識の隙間に忍び込んでいった。霧の中に浮かび上がる炎のように輝く赤い瞳を目撃した者は、誰もが息を呑んだ。


「我は終焉の使者だ――」


名も知らぬ存在が彼らの心に囁きかけていた。



混乱が極限に達したとき、石船の評議会議長が演説を行うと発表された。


「我々は惑わされてはならない。この状況は冷静に対処するべきだ――」


重々しい声がスピーカーを通じて船内に響く。議長の言葉は、いつもなら安心感を与えるはずだった。しかし、このとき、誰もが違和感を覚えていた。



「議長、様子がおかしくないか?」


「……言葉が、……頭にに響く……」



その違和感は一瞬で恐怖へと変わった。議長の姿が不意にねじれるように歪み、その身体から炎の目を持つ漆黒の霧が立ち上ったのだ。


「この星の水を飲む者は体が侵される――」


重なり合うような二重の声で議長の口が動いた。いや、それはもう議長ではなかった。霧は形を変え、悪魔の恐ろしい姿がそこに現れた。黒い霧に覆われた体、燃えるような瞳。彼の言葉は一人ひとりの意識に直接突き刺さるように響いた。


「我々は呪われている……」


そう悟った乗員たちは、ついに水に触れることをやめた。


地球の水と終焉の使者の存在は、すでに船内だけでなく地球に待機しているすべての浮遊艦にも知れ渡っていた。漆黒の霧は船内をゆっくりと徘徊しながら、楽しそうに笑っていた。


「お前たちは理解しただろう。この星の力を――」


イモケンピは静かに語りかけた。その言葉は恐怖を与えるだけでなく、不思議なまでの信仰を芽生えさせていた。


トラプトニアンたちの心に終焉の使者の存在が刻み込まれると同時に、彼らはある種の畏敬を抱き始めた。その畏敬は、やがて絶対的な信仰へと変わりつつあった。

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