次の日の夜、静まり返った空気を破るように、家の扉を叩く音が響いた。こんな夜に訪ねてくる者がいるはずもない。私は警戒心を抱えながら、ゆっくりと扉に向かう。
扉を開けると、そこにはやつれた白髪の男が立っていた。白衣の袖にはシミがつき、目の下には濃いクマが刻まれている。その姿はどこか危うさを感じさせ、どこか得体の知れない危険を感じさせた。
「失礼だが、キヨメさんだね?」
男は私の名前を、確信に満ちた声で呼んだ。彼の背後には、高級そうな黒い車が無造作に停められており、その周囲には銃を携えた数人の護衛が無言で待機している。
「そうですが……あなたは?」
知らない男だが、おそらく大物であろう人物に対峙する恐怖が言葉を詰まらせた。
「私か?ドクター・マーカス・ヴォーンだ。地球統合諜報機関の科学研究者だよ。」
その名を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。彼の噂は聞いている。天才でありながら倫理観を逸脱したマッドサイエンティスト。トラプトニアンやレプリシアンに関する研究の最前線に立つ人物だ。
「急に押しかけて申し訳ないが、君にどうしても話がある。」
ヴォーンは少し前かがみになり、私の顔を覗き込んできた。その目の奥には妙な確信が宿っている。
「話……ですか?」
彼の目的が全く読めない。
「君のレポートを読んだよ。あれには興味深い含みがある。未知の力に触れたような……君だけが知る秘密が隠されているようだ。」
ヴォーンは私の肩越しに家の奥を見つめながら続けた。
「それに……気配を感じたよ。ここには、君以外の“何か”がいるんじゃないか?」
気づかれたか?諜報機関のマッドサイエンティスト。諜報機関のマッドサイエンティストに、私の身辺をすべて調べ上げられたのか?私は動揺を隠せなかった。
その時、家の奥からいつもの声が響いた。
「そいつはい何者だ?」
振り返ると、イモケンピが薄暗い影の中からゆっくりと姿を現した。赤い瞳が薄闇に浮かび上がる。
「おい、召喚主。私を紹介しないつもりか?」
イモケンピは歩み寄り、ヴォーンの肩にそっと手を置いた。
ヴォーンはその瞬間、肩を跳ね上げて後ずさった。
「これは……信じられない。人でもない、エイリアンでもない……」
「人です。」
とっさに出た嘘だ。しかし、それをかき消すようにイモケンピが言う。
「悪魔だ。」
イモケンピは不敵な笑みを浮かべながら答える。その態度は余裕に満ち、むしろ相手を試しているようにも見える。
「私はドクター・マーカス・ヴォーン。レプリシアン技術の研究をしている……」
ヴォーンは震える声で続けた。
「未知なる存在を見るのは初めてではないが、君のようなものは初めてだ。」
「面白い男だな。」
イモケンピは満足げに頷き、私を見た。
「召喚主よ、そいつに話を聞いてやれ。何か面白い話を持っているかもしれん。」
護衛たちを外に待機させ、私はヴォーンを地下室へと案内した。古びたテーブルを囲んで席につくと、ヴォーンは意外にも冷静さを取り戻し、まるで論文を読み上げるように語り始めた。
「私は、トラプトニアンとレプリシアンの技術について研究してきた。」
彼の声には自信が滲んでいる。
「複製人間の生体構造、そしてそれを制御するAIの技術……これらの全貌を解き明かしつつある。」
その話ぶりから、彼がその分野の先端に立つ人物であることは明白だった。しかし、彼が続ける言葉はさらに異質な方向へと進んでいく。
「だが、ここに来たのは技術の話ではない。」
ヴォーンの目が急に鋭くなり、その視線がイモケンピに向けられた。
「魂や心の進化――それを実現する鍵が必要なのだ。」
イモケンピは腕を組み、背もたれにもたれかかり、薄く笑みを浮かべた。
「それで、私の力がその鍵だと言うのか?」
彼の声には興味とわずかな挑発が混じる。
「その通りだ。」
ヴォーンは怯むことなく答えた。
「私はオカルトや神話の領域にも深く踏み込んできた。悪魔の力についても徹底的に研究し、理解しているつもりだ。」
イモケンピは片眉を上げる。
「理解しているつもり、か。人間はいつもそう言うが、その自信はどこから来るのだろうな?」
「今の地球に必要なのは新たな選択肢だ。」
ヴォーンは一歩も引かない。その声には、信念とも呼べる強い意志が宿っているようだ。
「たとえその手段が悪魔との取引であったとしても。」
その言葉に、私は息を飲んだ。彼の提案がどれほど危険で、同時にどれほど現実的なのか、頭の中で交錯する思いが渦巻く。
イモケンピはゆっくりとテーブルに身を乗り出し、ヴォーンをじっと見据えた。その目には冷笑とともに、興味深げな色が浮かんでいる。
「なるほど。」