柔らかな春風が頬を撫でる中、錆びついたバイクを駆る男が、司令部の前で静かに停車した。遠くで小鳥のさえずりが聞こえるが、彼の瞳にはその穏やかな風景は映らない。
軍用の簡素なヘルメットを外し、乱れた髪を乱暴にかき上げる。その鋭い目つきは、春の穏やかな空気とは対照的に、戦場の厳しさと揺るぎない覚悟を物語っていた。彼は、この地に新たに配属された兵士。その背中には、何か特別な使命を背負った者の影があった。
政府がこの地の防衛に10名の兵士を送る予定だったと聞いていたが、実際に現れたのは彼一人だった。どこも人手不足なのだろう。1名でも兵士がいるだけマシなのかもしれない。たとえ10名来たとしても、十分な装備が与えられるとは思えない。これが現状だ。
私が対応に出たとき、彼は煙草を取り出し、火を点けることなく唇に挟んで、目を細めて周囲を観察していた。
「今度のボスを探してるんだが、あんた知ってるか?」
いきなり放たれた言葉に、一瞬、思わず口元が緩む。
「私があなたのボスです。」
彼は少し驚いた表情を浮かべたあと、すぐに敬礼して名乗った。
「失礼しました。第101航空戦術隊所属、東雲彦作、着任しました。」
「ん?……航空戦術隊?……パイロットなの?」
「はい。」
「ここに戦闘機なんてありませんけど?」
「え?」
「え?」
まあ、そんな反応になるだろう。「いったい何しに来たんだ?」とは声にはしなかった。
彼を案内しながら、私はこの状況が彼にとってどれだけ理不尽であるかを考えていた。飛行機乗りを地上勤務に配属し、しかもたった一人で送り込む。政府の無能さはもはや芸術の域だ。
狭い作戦室に彼を案内し、これからの仕事について説明する。
彼の記録を確認しながら、私は口を開いた。
「あなたの経歴を見ました。官邸防衛の作戦、見事でしたね。」
「ありがとうございます。」彼は冷静に頷いて返事をした。
東雲彦作。総理官邸を守る最終防衛ラインでたった一人、最後まで生き延びた男。炎と瓦礫の中、彼は仲間たちの無念を抱え、奇跡的に命を繋いだ。その生存の記憶は、彼に誇りをもたらすどころか、静かな絶望を刻み込んだだろう。
「初陣の戦闘後20分で撃墜され、総理官邸防衛作戦を行っていた地上部隊と合流、3日間の戦いで巨大歩行兵器など複数の戦果をあげるも、部隊は全滅。生き残りはあなただけ。」
「はい、そのとおりです。」
平坦な口調だった。自慢するわけでもなく、悲壮感を漂わせるわけでもない。
「自走砲を操作したとも記録にありますが、本当ですか?」
「はい、本当です。拳銃、ライフル、戦闘車両、ヘリ、航空機……動くものは何でも使います。」
彼の淡々とした言葉には、確固たる信念があった。どれほどの過酷な状況でも、生き延びるために最善を尽くす。それが彼の生き方なのだろう。
「そんなに訓練を受けたんですか?」
「はい、戦闘が始まって以来、いろんな部隊をたらい回しにされ、短期間で強制的に覚えさせられました。」
「たらい回しの最果てがここか。」と心の中で呟いた。だが、それを口には出さなかった。
彦作は続けた。口調に揺るぎはなく、むしろ不思議な熱を帯び始めていた。
「集中力が高まると、少しだけ未来が見えるんです。信じてもらえないでしょうけど。」
彼は微かに笑った。その笑みは挑発でも冗談でもなく、単なる事実を告げているに過ぎないようだった。
「視野がギュッと狭くなるんです。そして、次に何をすればいいかがはっきりとわかる。だから、どんな武器でも使えるし、巨大兵器を破壊することもできたんです。」
「未来が見える?」その概念に困惑を覚えながらも、彼の語りに潜む真実味が無視できなかった。
「はい。」
彼の答えは簡潔だった。超能力者じゃあるまいし、と思いながらも、彼の口ぶりには冗談の影がなかった。
彼の言葉が真実であるならば、これは人間の領域を超えた話だ。
私は息を整え、話題を切り替えた。
「今日からは資料作成と計画の立案が主な仕事です。」
「はぁ?」
彼の反応は予想通りだった。
困惑の色が明らかに顔に出ている。英雄には似合わない仕事だが、今の状況では仕方がない。
「集めた情報を日本の各拠点に送ります。それが仕事です。」
「わ……わかりました。」