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第4話 都合の悪い事実

『伝説』→ ……ゆえに真実はただ一つなどという慣用句は戯言と思ったほうが良い。いくつもの真実が存在し人を幻惑するのだ。ただ一つなのは実際に起こった事である。観察者の主観を入れない事実のみ。だから……




 旅籠のドアが開く、意外に大きなギイッという音が、早朝のキンと張り詰めた空気に響いて消えていく。俺は寄りかかっていた壁から体を起こした。


「あなたは嘘をついている」

「ん? なんだおまえか」


 老人の背中に投げつけた嘘という言葉。城の宿舎で俺が一晩中考えて出した答えだ。


 この老人は嘘をついている。英雄なんかじゃない。この老人は……。


「ふむ。私が出てくるのをそこでじっと待っていたと」

「そうです。早朝に出立されるとうかがっていたので」

「朝はまだ冷える季節なのにご苦労なことだ。しかし嘘つきとは聞き捨てならんな」

「昨晩、あなたが俺たちに話したことは嘘だらけだ」


 腰に帯びた剣の柄に手をかけ、老人を睨む。相手は余裕の態度でゆったりそこに立っていた。


「話してみろ。おまえがそんなくだらない疑念を抱くに至った経緯を」

「心が読めるのなら、わざわざ聞かなくても分かるのでは?」

「フッ。そう構えなくてもよい。おまえの言葉を聞くほうが面白い」


 いきなり殺されたりしないだろう。俺は肩の力を抜いた。


「魔物を封じるところを見せていただいたが、いろいろおかしな点がある」

「ふむ。それで?」

「現れたあなたの娘が言ったこと。そしてそのあとに出現した魔物らしき黒い影は、女の声で"愛しい人"と言った。それはあなたのことでしょう」

「ほう。あの声が聞こえたのはおまえが初めてだ。そうか……なるほど。続けろ」

「女の声に応えてあなたの唇がこう言った。"姫よ。今宵こそわが胸に来たれ"と。俺はこの目で見たんだよ」


 いきなりゾクッと背筋に戦慄が走った。思わずその場から飛び下がる。目の前の老人から放たれた禍々しい気配に、俺の無意識が瞬時に反応したのだ。


 この邪悪で悍ましい気配は、やはり英雄なんかじゃない。


「声には出さなかったはずだが、唇の動きを読んだのか」

「ええ。そうです」

「おまえを見くびっていたな。だが、それだけで私を嘘つきと断定するのはいささか尚早だと云わざるを得まい」

「確かに。でも気付いたんです。そんな些細な疑問など吹き飛ぶような現象に」


 喋りながらジリッ、ジリッと老人の左へ回り込む。利き腕の外側に回り込めば攻撃されにくくなる。そんな作戦がこの老人に通用すればだが。


「現象だと? 面白い。言ってみろ」

「あなたは魔物を封じると言った。三百年の時を経て現れる魔物を封じると」

「ああそうだ。確かに言った。そしてそのとおりに……」

「それは違う」


 深呼吸をし、俺は次の言葉を腹に力を入れてハッキリ言い放った。


「あなたは封じたんじゃない。眠っていた魔物をあなたが目覚めさせたんだ」


 一瞬の静寂のあと、高らかに笑う声が響いた。その声に含まれている悪の気配に背筋が凍る。


「これはこれはおかしなことを言う。言いがかりも甚だしいぞ」

「そんなことはない」

「では論理的に立証してみろ。私が魔物を呼び寄せたなどと、どうやったらそんなくだらない考えがその馬鹿な頭に浮かぶんだ」


 嫌な汗が全身に吹き出して気持ちが悪かった。だが、ここで気圧されるわけにはいかない。俺はへなへなと崩れそうになる膝に力を入れて踏ん張り、精一杯虚勢を張ってみる。


「俺たちが桜の木に到着した時、何も起きていなかった。不審な気配すらなかった。それなのに、あなたが奇妙な杖を地面に突き刺すと振動が始まって、それがだんだん大きくなって魔物が現れた。発端はあなただ。順序が逆なんだよ。魔物の出現が先ではなく、あなたの行動が先にあって魔物が現れ、あの派手な封じ込め劇が始まったんだ。あらかじめ魔物を封じると言われていた俺たちは、先入観に騙されたんだ」

「おお。なかなか鋭い観察眼だ。そんな指摘をしたのはおまえだけだ」

「褒められても嬉しくない。あなたは英雄じゃない。三千年生きているのも嘘じゃないなら、あなたはそんな長い永遠とも思える時間を、魔物を復活させる為に捧げてきた悪魔のような存在だ」


 嘘だという証拠を突きつけてみたものの、内心は恐ろしくてたまらず膝が笑っている。近づいたら剣を抜く構えを取っているが、こんなに怖気付いていてはいざという瞬間に抜けるかどうか、はなはだ疑問だ。


「悪魔とは随分な言われようだな」

「論理的に考えた結果だ」

「今日は一人なのか? あのケンとかいうお調子者はどうした」

「昨夜、あなたを相手に酒を飲み過ぎた。だからまだ宿舎で寝ているよ」

「ほう。そうか。悪魔を糾弾するのに一人で来るとはいい度胸だ。それともただの愚か者なのか」


 ずいっと間合いを詰められ、構えていた剣を……抜けなかった。


 えっ?!

 剣がないっ!

 そんな馬鹿な……さっきまでしっかり柄を握っていたはずなのに。


 狼狽える俺に老人の声が……。


「お探しの物はもしやこれか?」


 ハッと顔を上げた刹那、腹のど真ん中に焼け付くような衝撃が迸る。


「グハッ! 貴様……」

「ふん。他愛もない」


 柄まで通れとばかりに突き刺されたのは、ついさっきまで腰にあったはずの自分の剣だった。


「やっぱりあんたは……」

「いや違う。英雄に無礼を働く狼藉者を成敗しただけだ」

「あんたは英雄なんかじゃ……俺が死んだらあんたの嘘を事細かに記した書状が……国王に届く……手筈になって……いる」

「なんだと」

「嘘……だと……思うなら……俺の心を……読んでみろ」


 込み上げて来た鉄の味のする液体を吐き出し、俺はまた虚勢を張った。どうせもう助からない。死ぬ時ぐらいはカッコつけたいじゃないか。


 だが俺が言ったことはハッタリではない。ケンのような軽い男ではなく、もっと信頼できる同僚に国王宛ての手紙を託してあった。


「どうやら本当のようだな。しかしおまえのたわ言を誰が信じる?」

「な……なに」

「英雄の私と一介の下っ端兵士に過ぎないおまえ。信頼性があるのはどちらだ。んん?」


 くっ……確かに言われてみれば……。


 くそ。

 くそくそくそくそおおっ!

 この悪魔の言う通りだ!

 俺の死は無駄だった!


 ああ……意識がぼやけて…もう立っていられない。


 瞼が下がり、ガクンと膝が抜けて……。


「そら、返してやる」

「は?……え?」


 俺に向かって放られた剣がクルクルと回転し、胸に突き刺さる寸前で受け止めた。


 ニヤニヤ笑っている老人は元の位置から動いていない。俺の腹にも剣で突き刺された穴は無かった。穴どころか傷も無い様子でどこも痛くない。


 何だ。

 何が起こったんだ?


「生意気な若造をからかってみたくなってな。今のはすべて幻だ」

「き、貴様ああ!」

「大きな声を出すんじゃない。今は夜明けの時刻。まだ寝ている者も多かろう」

「くっ、くそぉ」


 馬鹿にしやがって。悪魔のくせに変に道徳的な説教をしやがる。


「おまえの勇気は認める。だが私に敵わぬことは分かった筈だ」

「そんなことは、最初からわかってる」

「ふむ。ならば初めからこの私を討ち取るつもりなどなかったと言うのか?」

「ああ」


 殺せるなんてこれっぽっちも思っちゃいない。この老人の企みに気付いた時から、そんな大それたことなど無理だと悟っていた。


「では聞こう。何が望みだ。おまえの望みは何だ」

「真実が知りたい」


 俺のその言葉を聞いたとたん、老人の顔から、それまで浮かんでいた馬鹿にするような表情が消えた。


「真実だと」

「そうだ。俺が見せられたのは何なのか、何が起きたのか、あの女は誰なのか、本当のことを知りたい」

「本当に起きたことイコール真実であると理解しているなら、おまえは間違っている」

「……あんたの言っている意味がわからん」


 だって真実は真実だろうが。

 嘘偽りのないただ一つの真実とか、よく言うじゃないか。


「おまえが言いたいのは“事実“だろう。実際に起きた出来事だ」

「同じことだろうが」

「まったく違う。いいか、真実は立場や物の見方によって、人によって変わる。その者にとって真実でも隣人にはそうでない場合もある。そうだな、例えば、おまえ好みの、胸も尻も豊かな、髪の長い女が酒場で働いていたとする」

「なっ! なんで俺の女の趣味を知って……」


 そうだ。

 そうだった。

 この爺さんは心が読めるんだ。

 畜生、プライバシーもへったくれもないのかよう。


「そこで酒を飲んでいたおまえは、一生懸命に口説こうとするだろう。違うか?」

「……違わない」

「だがおまえの友人のケンは、幼い子どものような体型の女が趣味だ。有り体に言うなら幼女趣味だな」

「はっ?」


 それは……初耳だ。


 えっ。

 それってヤバい嗜好じゃねえか。

 あいつ危ない奴だったんだ。

 知らなかったぞ。


「おまえにとっては震いつきたくなるようないい女でも、ケンにとっては何の興味も湧かない存在。おまえの真実とケンの真実は違う」

「……なるほど」


 例えが卑近過ぎて萎えた。が、まあ、言わんとしてることは理解した。


「それで? 事実を俺に教えてくれるんだな?」

「教えることなど何もない。言っただろう。おまえが見たことが事実だ。誰の主観も意見も入っていない、見たとおりの現象。だからして私の論評など事実の前には蛇足。無用のもの」

「それは……詭弁だ」

「そうだな。確かに詭弁だ」


 こ、この野郎……馬鹿にしやがって。


 無意識のうちに剣に手を掛け、ハッと気付いて力を抜いた。さっきのような痛い幻は二度とゴメンだ。


「好奇心は命取りとも言う。だが……おまえにお伽話をしてやる」

「そんなものは要らん。俺は事実を……」

「いいから聞け。誰にも語ったことのないお伽話だ。聞く価値はあろう」


 静かな語りかけるような声に俺は黙った。そういえば、いつの間にか、あの邪悪な禍々しい気配が老人から消えている。


「発端は夢だった。ある男の夢に……」



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