『伝説』→ ……しかし都合の悪い事実を後世の人々の目から隠す目的で利用される場合もある。勝った者が正義となり英雄と呼ばれ、負けた側は魔物として疎まれ忌まれるのが世の常。であるならば……
我々は村はずれにすくっと立っているSaku-raへと向かった。樹齢五百年以上になる見上げるほどの大木だ。満開を迎え、月の無い星明かりの中、ほの白く佇んでいる。
静かな夜だった。
時折、甘い香りを含んだ風がふわっと吹いて、これから恐ろしい魔物が蘇るような雰囲気ではない。
Saku-raから少し離れたところに我々は立った。と、老人が進み出て、持っていた杖をぐさりと地面に突き刺した。
……何も起こらない。
「やっぱり、この爺さんボケてるんだよ」
そうケンが小声で言った瞬間、震えのようなものを感じた。
地面が振動している。最初は微かだったそれがだんだん大きくなり地響きに変わる。
「君たち、もう少し下がった方がいい」
老人の声色が緊張を帯びている。
耳の奥がキーンとしてさらに振動が大きくなり、そして……唐突に止んだ。
「あれが魔物?」
ケンが意外そうな声を出したのも無理はなかった。
Saku-raの前には小柄な少女が立っていた。真っ黒な長い髪。ドレスのような服は元は白かったのだろうが、あちこちが破れ、さらに血のような赤黒いシミが認められる。
「お父さん」
しんと静まり返った空気に澄んだ可愛らしい声が響く。
お父さん?
この少女は老人の娘なのか?
もしもそうだとしたら魔物はどこにいる?
目の前でいったい何が起こっているかさっぱり分からない。
「
「お父さんはいけないことをしようとしている。もうこんなことはやめて」
「そこを退きなさい」
「退かないわ。ねえ本当にもう……」
老人に向かって歩き出した少女が急に立ち止まった。その痩せ細った体が震えだし、ポツリと一言。
「あの人が来る」
さっき止んだ振動がまた始まり、だんだん大きくなる。生温い大気に満ちる悍ましく禍々しい気配。
出し抜けに少女の周囲の地面が持ち上がった。夥しい花びらが舞う中、俺は確かに何かの姿を認めた。それが、
「愛しい人……」
背筋がゾクリとするほどの妖艶な女の声でそう言ったことも、老人の唇が動いて音もなくそれに呼びかけたことも。
いきなりもう一つ別の影が現れ、声を発した影に重なり、そして……。
長い時間が経った気がした。
気付いた時には辺りは静寂を取り戻し、少女も魔物の姿も消えていた。
月のない星明かりの中、はらはらと舞い落ちるSaku-raの花びら。
「また……三百年か……」
夜のしじまに呻くような声が響く。
誰も動かない。
「すげえものを見たな」
長い沈黙を破ったのは感極まったようなケンの呟きだった。
「本当に魔物が現れて、この爺さん….…このお方が封じた。なあ、おまえも見ただろ?」
「あ、ああ、そうだな」
ケンに勢いよくバシッと肩を叩かれ同意するように頷いたてはみたが、何か引っ掛かる。
何か違和感のようなもの。だがそれが何なのかうまく言い表せない。
「さて。今回も無事に魔物を封じることができた。もうここには用がない。行くぞ」
勢いよく振り向いた老人の顔は少しも嬉しそうではなかった。むしろ逆に絶望と怒りに彩られていたように見えたのは、暗がりでそんな風に見えただけなのだろうか?