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第18話 カラシニコフ(メリケンB級なりゆきアクションはじまりはじまり~

 しかし妙だ。なにかがおかしい。

 出発前にわたしたちはテロリストということで武器弾薬を持たされた。また、係長のいうにはこのチヌークに搭乗している友軍兵士も、ストックホルム症候群――人質が犯人をかばう異常心理現象――のため(それにしてもかなりの飛躍だが)、武装している。だが、素人目にもこれはおともだちの制式装備ではないことは自明だ。


「エイ、ガイズ?」わたしはかれらに向かって呼びかける。「ホワイ・ユー・ハヴィング・カラシニコフ? ホェア・アー・ユア・M4カービン?」

 隊員たちはきょとんとして互いに顔を見合わせて、肩をすくめたり、やれやれと首を振ってみせた。


「向井。ここにいるのは兵士だと思うな。おれたちに感化されたテロリストだ。AK-12を持っていようがM4カービンを持っていようが今は関係ない。弾が前に飛べばなんでもいいんだ。麻帆子、おまえさんもだ。今はあんたは人質なんだから、そこを忘れんなよ。もうじき、あんたは腹に鉛玉を食らう予定なんだ。チョッキ越しとはいえ、弾着はな、痛いぞ」

 係長にすごまれた小田さんはお腹のケチャップを撫でる。


「いいんです。父を救うことで、それが北議のためにならなくても。なんだか、なんていうか、いいんです」


 おだやかな面持ちで小田さんは頬笑む。六本木からの道中、かの女のなかでなにか、しかし確たる変化が起こったのは明らかだ。ブラックホークやオスプレイでの混乱を乗り越え、機内で夜を越したあと、またバサ基地での落ち着きようも、かの女を一段と強くしていた。

 わたしは麻帆子と交換したスマホを取り出す。慣れないAndroidを操って、気づけばかの女の勇気、奮闘を称え、かの女への感謝を綴っていた。いや、ちゃんとした遺書を書こう。もし――。


『――お父さん、お母さん。もし、わたしが小田さん親子や、あるいは自分の信じた――その場の判断、自己犠牲、その他死ぬに値する――道において命を落としたら、お父さん、お母さん、どうか許してください。そしてどうか、わたしの選んだその道を受け入れてください。ごめんね、こんな娘で。わたしは天国で、ふたりが叱りに来てくれるのをずっと、ずっと待っています。ありがとう、愛しています』


 榊係長が無線を開く。

「バサから北議まで大体一二〇〇キロだ。この型のチヌークなら、巡航速度は一六〇ノットぐらいか。七時間半で下降地点に到達だ」

「――係長、その、いま何と?」

「下降地点だ、下降地点。そこからは懸垂下降だ。ロープを伝って、一・五秒以内で降りる。二秒かかったら死ぬと思え。機体が収容所の直上でホバリングしたら、あとはターザンみたいにラぺリングしろ。楽しいぞ、一瞬で降りられるぞ? いよいよクライマックスだが、安心しろ。ど素人のおまえらは隊員が一緒に下降する」

「――係長はひとりでロープ使って降りるんです?」


 係長は顔をずん、と前に寄せ「レンジャーでは常におれは迅速に下降していた。トップなんだ。なぜだかわかるか、テロリスト向井?」

 わたしはやや顔をそむけつつ「す、すみません――なぜです?」と問うと、係長はにやりと口角を上げ、「体重が一番重かったからだよ」といい放ち、呵々と笑った。「ジョークだ、向井。昔とった杵柄だ。問題ないさ」

「は、はあ」


 その後、係長は無線でひっきりなしに英語で(Fワードを駆使しつつ)連絡をしていた。サハラ、とかフジイ、とかが聴こえたが、気のせいかもしれない。あまりにも早口で話の半分も聞き取れなかったが、兵員の配置や装備といった内容が少しだけ聞き取れた。


 そのまま洋上を飛行する。低空飛行といってもいい。チヌークには機関銃だって装備されているのだ。周辺の防空網は誰か、強大な者の手により丸裸にされているといってもいいだろう。窓は隊員が壁となり、護衛の戦闘ヘリが飛んでいるかどうかも分からない。そもそも、ミサイルが一基でも飛んで来たらそこで一巻の終わりだ。チヌークなどの輸送機にミサイル回避装備が備わっているとは考えにくい。なにか、なにか不自然だ。これでは、安全以外の何ものでもない。


「オーケイ、諸君。予定通りの航路で本機は航行している。配置を説明する。まず、われわれテロリスト・チーム、正面で交渉と陽動。交渉決裂時は退避。アルファ・チーム、交渉決裂時にキティ・シェリー奪還を最優先。目標奪還後は速やかに離脱。ブラボー・チームは先行。隠密に散開し待機、目標奪還したアルファー・チームを掩護。チャーリー・チーム、テロリスト・チームを掩護しつつ本機の護衛。質問ある者は生きて帰ったのちに受け付ける。以上」


「先輩」小田さんが窓枠に肘をつき、頬杖したまま訊く。

「なあに?」

「この作戦の指揮官、というか司令官って、あのキム係長さん、ですか? こんなに大掛かりなのに、見えているだけでも、命令系統がシンプル過ぎます。このチヌークのなかに兵員も三個分隊、搭乗してるのに――だれの命令なのか。それに反し、こちらの要求は小田聡一、ひとりだけ。それにしては兵員や装備、作戦の規模、つまりリスクに対してベネフィットがあまりに軽く見えます。先輩はそういうこと、考えたりしませんでした?」


 わたしはため息をひとつつき、係長の方を横目でちら、と見る。係長は笑みを浮かべてゆっくりとうなずく。

「おともだちはね」


「かっこいいことするのに、理由なんていらないのよ」

 わたしは硬いシートの上で身をよじった。チヌークの設計者は体圧分散なんて毛ほども考えていないのだろう。


「あと、日本の公務員は」

「日本の公務員——ですか」

「そう。日本の公務員というのは――」

 小田さんが黙って言葉を待っている(かの女が居ずまいを正すのを気配で感じた)。

「――書類に不備があったり、筋を通さなかったら、その先一歩たりとて応じない決まりなのよ」


 もちろん、わたしだってこの作戦の全容なんて理解できているわけがない。小田さんならいよいよもって分からないだろう。ひとついえるのは、係長はただの切り込み隊長で、本元にはトビアス――時任課長と、あるいはそのさらに上の判断が働いている。佐原さんも藤井さんも、裏で手ぐすねを引いているはず。

 小田さんもわたしもやがて黙り込み、いつしかふたりともその沈黙に慣れっこになっていた。わたしはだんだんと頭の働きが鈍っている。眠いな――それに、最後にご飯を食べたのはコンビニのパスタだったっけ。もう一度、落ち着いて食べたかったな――。


「――総員起こし! 総員起こし! 居眠りしているお嬢様はここで降りろ! 海水浴してもらうぞ!」


「い、いま何時。ここどこ」口の端のよだれを拭う。誰も見てない、よね。

 小田さんが呆れたように「もう真っ昼間ですよ、先輩。じきに作戦空域に入ります。っていうかすでに領空侵犯してます。一機もスクランブルされてないところを見ると、先輩の部署は相当やばいってのが分かります。まったく、世の中ってのは何が起きるやら」と首を左右に振ってみせる。「いえ――ごめんなさい。わかってます。父もわたしも、昔から没頭すると周りが見えなくなるんです。自分以外のひとの命をどれだけ危険にさらしても、まだ北議人として殉ずる、なんてうそぶいちゃって。ほんと――申し訳ないです。でも、それでも父は父なんです」


 陽光に目元が光るのが見えた。かの女は窓の外を見る。


 ワイシャツに防弾ベスト、目出し帽をかぶった肥満体――係長がいった。

「さあ、タイムリミットまであとわずかだ。六分後に下降地点に到達する。武器弾薬、懸垂装備を確認せよ。素人のふたりはハーネスを確実に着けたか確認してもらえ。リー、オニール、姫君の子守りを頼む」


「サー、イエス、サー」ふたりの女性兵士はそれぞれ、わたしと小田さんに着けたハーネスのカラビナやベルトを引っ張って確認する。

「向井さん、安心してね」

「リーさん!」リー三等空軍曹、バサ基地でわたしに防弾ベストを着けてくれた下士官だ。目出し帽と種々雑多な装備で気がつかなかった。

「多少揺れるとは思いますが、スピードでカバーします。大丈夫です、懸垂下降はわたしたちにしてみれば初歩の初歩ですから。そのための訓練はしていますので、ご安心を」


 白昼堂々の作戦だ。

 小田さんのいう通り、この大きな輸送ヘリはフィリピンのルソン島を飛び立ち、ミサイルやスクランブルなど、なんら邀撃なくして敵陣深くまで切り込んだ。ぞわぞわするほど不気味だ。


 わたしは昨夜より頬の内側をずっと歯で噛んでいた。厚木に着くころには口いっぱいに血の味がしてきたが、不安で仕方なく噛まざるを得ないのだ。爪を噛む癖は高校に進学するころには治まったが、頬を噛むのは露呈しにくい。この歳になってまで噛み続けている。

 このチヌークはバスとは違い、ボタンを押したら降りられるようなものではない。しかし逆説的に、これがバスであったらわたしは即座に降りていただろう。頬の血豆を噛み潰す。ほわっ、と鉄の味が広がる。若干の安心感を得る。

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