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第11話 荒唐無稽(来るで……急転直下が来るで……)

「お、おまえ、ばっ、馬鹿じゃねえの?」


 夜のうちに考案した小田の案件についてのプランを話し終えると、榊係長はすべての動きを停止し、わたしを叱責しにかかった。

「だいたいな、これは、小田のは高度な外交施策に基づく繊細かつ微妙な駆け引きなんだよ。おれがいうのもなんだが、もはや勲章がどうこういう次元じゃねえんだ。そんな人命のかかった問題が、たかだか卒後三年のおまえの思い付きで好転したらだ、外務省の幹部は全員、馘、馘だぞ?」


 係長は眼鏡を外して顔を撫でた。

「当初、課長からはおまえのことをすごい逸材を見つけた、って聞いてたんだが――課長もとんだ人選ミスだ。傑作だよ」


 わたしは凛として姿勢を正す(元より姿勢はよいのだが)。

「失礼ながら、このプランで問題となるのはどの部分でしょう」


「はあ? 全部だよ、全部。分かってるだろ。コンプラも取れなきゃビザも取れねえ。国交のない外国への渡航は許可できんのだ。人ひとりの命がかかってたのが、今度はふたりになる。栄典どころじゃなくなるんだ、これは。要するに荒唐無稽。そういうこった」


「なるほどねえ、傑作かもしれないよ、これ」


 かつかつと靴の音を古びたリノリウムの床に響かせ、紺のブレザーを脱ぎながら時任はいった。


 まじか。いや、でもこのタイミングはいくらなんでも無茶だよ――そうじゃないか、けらけら男?


「課長ねえ、いくらなんでもリスクが大きすぎます。まだ学生の民間人を北共に送るなんて、無茶にも程ってのがありますよ。少なくとも自分にはそう思えますがね」

 榊係長はオフィスチェアに深々と沈み込みながらため息をつく。わたしと考えていることはおおむね一緒だ(わたしはそのうえで実行しようとしているのが大きな差異だが)。


「たしかにね。ただこの、向井さんの古典的な作戦には、ある程度セオリーというものが存在する。ゆえに危険要素や事後処理も、準備さえ怠らなければ回避出来たりするし、先行きも読めたりするんだよね。現地での協力組織を選定する作業は不可欠だろうけど、まあ、その辺は例の大国のかたに頼みましょうよ」


 そこまで聞いて係長が「む、無茶苦茶です! 気は確かですか、課長。そんな、トム・クランシーじゃあるまいし」と頬をわなわなと震わせて抗議した。


「そう、だからだよ(はあ? と係長が眉を吊り上げる)。北議軍にせよ、おともだちの軍にせよ、不用意な交戦は絶対に避けるはず。たとえその事実が生じたとしても、お互いに物取りを装うなどして迅速かつ丁寧に隠蔽するだろうね。いずれにせよ、両国も後先を考える。それくらいの考えはあるさ。

 ゆえに、実行部隊は万一のことがあっても軍や国家とは切り離せられる――いってみれば拷問でも口を割らない特殊部隊となるだろうね――もしくは現在潜入中の工作員か。ただ、後者は訓練や潜入にかかった費用などに鑑み、可能性は希薄だけど」


 いっときだが課内は静まった。


 時任課長は課を見渡し、「どうしたの? 小田の案件に入れ込んでるとか思っちゃってる?(時任は一息置く)――それは違うね。そうだ、僕の話をしよう。僕の外務省時代には何人もの、本当に何人もの邦人が渡航先で死んだ。表面上はギャングの仕業だったけどね。たしかに純然たる強盗もあったけど、実際にはそのほとんどが公安調査庁や防衛省情報本部、内閣情報調査室の人間だ。中でも公安庁は多くの者が殉職した。

 小田はそれら『正義の味方』のうちのひとりにすぎない。ただの、ひとりの日本人。しかし小田は民間人だ。それもニュース性の高い人物となれば――人命の軽重を問うことは控えるが、いま彼に死なれたらとても困る。日北間の国交もにも鑑み、いたずらに北議を国際社会に孤立させるのもまずい。非常にまずい」


 賞勲局の山本課長もそうだったけど、このけらけら男も年齢と役職からいってキャリアだ。キャリアとひと口にいっても様々だろうが、しかしまるきりの馬鹿でもないだろう。課内はけらけら男に注視している。


 キャリア、すなわち国家公務員採用I種試験、いまでいうところの国家公務員採用総合職試験をパスした人間ということだ。

 我が国には、およそ公務員と呼ばれる人間が約三三三万人おり、その中核を担うのが国家公務員である。地方公務員などを除いた、その国家公務員は数にして約五八万人。国の中枢を担う国家公務員組織の中へ、年に約一万五千人程度の新人が入庁する。中でも彼ら新採用の国家公務員のうち、ほんの上澄み程度の上位七〇〇人がいわゆるキャリア――国家公務員採用総合職試験を通過した者たちである。


 キャリアにも時任のような奔放な人間がいるのかと、少し驚いた。不動産屋とかのワンマン社長ならまだ分かる。それどころか非常にしっくりくる。しかし、時任のこと以上に、わたしの所属部署に似つかわしくない発言のオンパレードにいささか面食っていた。


「で、時に向井さん。この場合どこのキャンプから兵員を持ってくるつもりだったんだい?」時任はエアコンに取り付けられたファンがゆっくりと回転するのを見上げて訊いた。


「――在フィリピン(係長が目元を押さえてうつむく)。フィリピン駐留の友軍なら地理的にも他国への政治的な刺激を避けられます。水上、航空といった兵力を有効に利用でき、また天然のブッシュなど、遮蔽物にまぎれてのゲリラ戦を展開できるのも島国フィリピンの強みです。沖縄や南線独立国などのキャンプは確かに兵力で圧倒していますが、なにぶん角が立つのと、今回の件では、その、『おともだちが勝手にやった』という風体で進めるならいささか不利かと思われます」


 時任は自分のデスクのへりにかけ、「いい答えだ。模範的といってもいい。卒後三年にしてはね」と称えた。

「卒後三年でこんなのを計画立案するなんて、将来を嘆きますね、わたしは。防衛省内局ならまだしも、パージで宮内庁に追いやられた言向司で息巻いたって、何にもなりゃしませんよ」と、係長は顔を手で覆う。


「ふうん。僕はそうは思わないね」

 時任はオフィスチェアに座り、くるくると回りながら朗らかな口調で断じた。

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