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第7話 企画調査課(榊係長はホントはええ奴なんや……)

 どうしたものか。とりあえず辞令通り着任の事実がないと、いつまでたっても帰れない。

「ふん」

 不安を鼻息で吹きとばす。


「企画調査課――企画調査課――」

 そういえばネームプレートも賞勲局のままだ。異動直後だし、これはこれで見分けがつきやすいのかもしれない――あった。企画調査課のプレートが、学校教室のそれと同じように掲げられている。

「――すみません」がやがやとやかましい課内へ入る。わたしは入り口で姿勢を正す。


「お忙しいところ失礼します。向井しのぶ、本日付で賞勲局より企画調査課へ着任いたしました。よろしくお願いします」

 十度の敬礼。一呼間おいて、頭を上げる。


 ――だれも見ていない。パソコンを打ち続ける者、紙を吐き出し続けるコピー機、ひっきりなしに鳴る電話。

 声が小さかったのか。いや、忙しすぎたのか。それか――無視されたのか?

「失礼し――」

「でかい声出すなよ、ねえちゃん」パソコンのモニターから目も離さず男性職員がいう。

 は? 『ねえちゃん』だと? この時点ですでにセクハラ案件である。だが事件態様も初犯も、罪の軽減を促すものだろう。ここは武士の情けか。わたしは背中に旗竿を入れる。


「本日着任、向井しのぶと申します。以後、お世話になります。係長のデスクはどちらでしょうか」とよどみなくいう。

 男性職員はちら、と眼鏡越しに見上げ、「ここで合ってるよ、ねえちゃん」とにらんだ。いま見えたネームプレートでは、『榊』あった。


 はあん。

 職員綱紀粛正、マナー講習、ハラスメント講習、その他再教育一式が必要かもしれないな。いや、そうであろう、そうに違いない。

 わたしが榊という者のグラデーションのかかったつむじを眺めていると、榊は「これ」と足元の書類箱を顎で示された。「今日中に読んで。帰るまでに覚えて」


「これは――」

 中を少し見てみた。雑然と詰め込まれたとしか思えない、紙束がどっさりとある。

「今現在と、過去五年間の叙勲辞退の希望者、そのリストと詳細」係長はやや開いた口のまま入力を続ける。「全部、紙ベースですか?」

 榊は眼鏡を外し、目薬を差しつつ話す。

「う、ああ――電子化は情報漏洩の基礎疾患。ちなみに、ここのLANは端末同士とコピー機だけで完結している。もちろんWi-Fiも飛んでないから、スマホも自分の回線容量で勝手に繋いでろ」

「は、はい、了解です。ただ、係長。ここに来るまでの間、時任――さんより、小田聡一の案件で説明を受けております。それはどのように対処しましょう」


 榊係長はこれまでの動作すべてを止め、椅子をくるりと回してわたしの方へ向き直る。

「それ、君の力でどうにかできる案件なの?」

 わたしは絶句する。

「ああ、もう。課長も変なのばっかり回して来ないでほしいんだがなあ。とにかく、うちの分掌の案件、あらましを理解して。そうしたら自然に仕事もできるようになるから。卒後二年だか三年だか知らんが、少しでも早く使えるようにならないとこっちも困る。必要なサポートはするから。期待はしてるよ、向井さんよ」と係長は意外にもまっとうなことをいった。


 昼だ。

「向井」

「はい、榊係長」

「『係長』だけでいい。名前は省け」

「あ、はい。なにか不都合でも?」

「――カ行の連続」

「は?」

「向井、おまえ舌っ足らずだろ。カキクケコがちゃんといえてないぞ。まあ、その、飯でも食ってこいよ。二時だ」 

 見れば係長はコンビニ弁当をデスクで食べていた。右手はマウスと割り箸、左手は資料とキーボードといった具合だ。

 たしかに外へ食べに出たいが、足元の段ボール箱を見やる。係長に与えられた資料の読み込みはややスローペースだ。榊係長に許可を取って書類箱やバインダーで整頓し直している自分の判断も仇となっている。仕方ない。仕方ないにもほどがある。バッグから潰れたサンドイッチとぬるいカフェオレとを取り出し、資料の横に置く。読み込みながら食べる。



 夜。

 部署内で残ったのは私と榊係長だけとなった。「係長」

「なんだ?」

「その、時任さんが企画調査課の課長にあたるんですよね。時任課長に着任後のことはすべて係長に訊けとうかがっています」

「だからまずその案件をすべて読ん――」


「ア行から行きます。会田和美、七十三歳。大学教授、副学長。文化勲章を辞退希望。理由として、遺伝子工学は発展途上であり叙勲は相応しくない、と。現在当課は文化庁を通じ、所属する研究室へ大きく予算を計上、再来年の秋の叙勲まで多剤耐性のスーパー雑草、これの除去法確立を目指しています」


「――樫井由美」


「樫井由美、六十九歳。瑞宝単光章を辞退希望。自治医大を卒業後、指定病院に九年間勤務。学費の免除が適用されたのちも、その病院で地域医療に携わる。限界集落を周回して訪問医療を行うなどするも、パーキンソン病を発症し引退。辞退理由として、注射も打てないのに勲章をもらったってしょうがない、です。今現在、総務省と連携し、叙勲すればさらに僻地に特化した入試枠を自治医大に設ける、という条件を提示し、交渉中です」


 榊係長はやや押し黙ってから口を開く。「り——」


「りは一名のみです。両儀聡、九十三歳。みぞの商店街復興会、名誉会頭。震災でいっときはすべて潰して更地に戻す案も出た三園一帯、これを取りまとめ、陰では『鬼軍曹』と戦中のあだ名で呼ばれるなどの辣腕を発揮し、震災復興のモデルケースとまでなるなど、その名が響いた人物です。該当する褒章が複数あり、再来月の高齢者叙勲において、瑞宝小綬章の授与が適当と判断されましたが——その、本人が大綬章への変更を要求しています。歳も歳ですし、多少、認知症も入っているのかもしれないとのことです」


 榊係長は何秒か黙り込んだのち、

「それ、ぜんぶ覚えたの?」と尋ねた。

「そういう指示でしたので」

「一〇〇件以上あったんだぜ?」

「一一五件でした」

 榊はまたも黙り込み、「暗記力だけじゃやってけないよ、この仕事は」と腕を組んだ。

「はい。少しでも早く戦力になれるよう努力します」

 榊は脂の浮いた眼鏡を拭きながら「じゃあ、北部議会共和国にいる小田の案件も目を通したんだな」とにらむ。


「娘を人質に取る案件ですね」

「向井、おまえ、おまえな、さらっというけどな、最初から最後まで非公開のものなんだぞ、この仕事は」

「はい」

「は、いや、はい、って――向井、あんた、やばい部署にいるって自覚あんの? 思想にしろ、やり方にしろ、うちは一番とんがってるからな」

「はい、説得がどうしても困難な場合は推薦自体、無効とすることも理解しました。それに伴い」、マスコミやSNSなどへの情報操作についても同様に」

「――なんか調子狂うな。ちっ、七時だ、もう上がっていいぞ。おれは少し雑用してから帰る」

「あ、はい。お疲れさまでした。明日もよろしくお願いします」


 たしかに一一五件、なにがなんでも叙勲させようとする気概があった。そういう職場なのだから、仕方ないだろう。だが、辞退希望への対処法はどれもおおむね理に適っており、別段荒っぽいことや、無茶苦茶なことはなかった。

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