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第6話 ドライブ(説明的な回やけどものっそ凝縮しとるで)

「時任さん」

 公用車の助手席に乗ったわたしは、運転するけらけら男に尋ねる。

「なんでしょう」

「わたし、まだ今年で三年目なんですが、戦力になれるんでしょうか。あ、全然これは抗弁ではないんですが、その、配置転換の理由も意図もまるでわかりません。わたし、ノンキャリですし」


「そうだね。ダッシュボード」

 いわれた通りにダッシュボードを開ける。無理に押し込められたであろう、何枚もの写真、それも大半が白黒の戦争写真がばらばらと出てきた。ナパームに焼かれ、裸で走る少女。子と一緒に河を渡る母の姿。銃撃を受けた瞬間の内戦の戦士。火焔放射器で焼かれた日本兵の遺骸。

 ――新しい写真もある。重度の火傷と思しき、顔のパーツがほとんど平らになった礼装の兵士。リンチされて涙を流す黒人男性の写真。ハゲワシの餌となった死体。

「――卒後三年程度でも、ファイリングの仕方ならお教えできますが」


「ちょっとドライブしよう」と時任はいった。祝田橋を左手に、日比谷公園を右手に走る。そのまま三〇四号線を抜け、隅田川にかかる勝鬨橋を渡る。


 車検証を除いてひとつだけ、きれいにファイリングされた資料を見つけた。

 時任がハンドルをぽんぽんと叩いてリズムを取りながら話しだす。


「そう、それそれ。――小田聡一、五十八歳。職業はフリージャーナリスト、戦争写真家だ。現在、身柄は北部議会共和国の現地当局が拘束中。近日中には死刑判決が下るだろうね。小田の逮捕直後、密使が通達した日本政府による文化勲章の叙勲、これを小田は拒否。さらに旭日大綬章の話を持ちかけるも、これもまた拒否。


 ――日本政府の採ったこれらの方法も、内政干渉にも当たりかねないぎりぎりを攻めた。水面下での外交手腕の光る所だったんだけど、小田はより慎重派だった。なぜなら、これら叙勲を国外の、しかも反体制派に与している者へ執り行うとなるとあからさまな挑発行為だ。そのために小田は叙勲を蹴った。人命優先で動いた政府もこれじゃあ、どうしようもない。


 目下、小田を物理的に救出しようと日本だけでなく世界の司法が動いている。やろうと思えば簡単だ。たかだか六、七〇㎏の肉の塊を運搬するだけだ。新兵でも造作もないことだね。しかし、いかに正当性を保ち、合理的で反論を許さない作戦とするにはと考えると難しいんだ。とはいえ小田は敵の手中にあり、明日死刑になるかもしれないし、そうならないかもしれない」


 時任は晴海三丁目の交差点を左折し、そのまま東進する。晴海橋を渡り、豊洲橋を渡る。信号待ちでカーオーディオにUSBメモリを挿し、再生をタップする。


『――私の名は小田聡一。日本国内閣総理大臣に告ぐ。私の自由は人民の自由に非ず。人民の自由が私の自由である。私はいかなる国家にも帰属しない。私が帰属すべきは、民主主義による自由と平和、そして友愛である。日本国の宰相である貴君、そして日本国および国際社会が執るべき行動はひとつである。ありとあらゆる努力を惜しまず、この国において民主化運動を進める者たちを、体制による弾圧から救うことである。私が伝えているのは写真ではない、真実である。貴君らの良識ある行動を切に願う。この北部議会共和国にはカメラの死角がほとんどであり、君たちには何も見えていないのかもしれないことを、どうか自覚してほしい』


 その後、小田聡一は英語、南北語、フランス語、スペイン語で同じ内容を話した。


「この小田ってひと、どちらかというと犯行声明か蹶起趣意書の趣だよね」

 わたしは考えた。


「これは――自分の死を利用して、海外メディアの扇動を企図している?」

 時任は車を東へ走らせ続け、首都高に差し掛かると、その下道を北進させる。


「そうだね。かれは死ぬ気満々だ。なんとしてでも死ぬ気だ。これがジャーナリストという人種なのかどうかは知らないけどね。自分の死、外国人記者の死をよりセンセーショナルに報じさせることが小田の本望だ。もちろん日本の特派員協会や外国人記者クラブ、その他の国際的な記者クラブも黙っていられないだろうね」


「でも、それなら北部議会共和国は死刑を断行するメリットがないじゃないですか」

「確かにね。国際的な政治圧力がかかるデメリットの方が大きいだろう。外圧に強い法治国家、とアピールしたいんだろうが、どうなんだか」


 車はまた隅田川を渡り、日本橋へ近づく。

「さっき話した日本、それに諸外国の司法機関も、かれを拉致するなり誘拐するなりして、別の人間とすげ替えたり、方法はあるにはある。でもいざ実行するとなると、いささか角が立つ。内政干渉はアウトだし、ナイフ一本であっても武力行使、しかも国外でとなれば、戦後日本で最悪の過誤となる」


 時任は車を和田倉門から内堀通り、皇宮警察本部を抜け、宮殿東庭の地下駐車場に停める。

「はい、お疲れさま。あとは係長に出頭するだけだ」

「だけ、って。な――」


「――なんでわたしが?」時任はまたしても人差し指を出し、わたしの鼻の前で振ってみせる。

「それは係長がうまいこと説明してくれるはずだ。じゃ、僕はこれから羽田に行かなきゃならないんでね。グッバイ、向井さん。――あ、どうも、お世話になります。タクシーを、はい、一台。小型車で。ええ、お願いします」そういいつつ、時任は紺のブレザーに袖を通す。

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