「何のご用で?」
「お見舞いです。昨日居あわせたので気になって」
「ああ、それは当然ですね」
自分で言ってはじめて、花や果物など見舞いの品を買ってくるのを忘れたことに気づいた。我ながら抜けている。
「お話の最中なら出直します。あとどれくらいか目途を……」
「面会時間は……。それより高田さん、体のご負担は大丈夫ですか。お疲れですか」
中年刑事が声をかける。そのとき彼の体が動いたので、俺はようやく彼女の顔を見ることができた。
一見した印象はやつれてはいるが大丈夫そうだ。怪我は重くはなかったのは本当らしい。
美沙子夫人は刑事を見上げるようにした。俺が誰だか分からないのだから当然だろう。
「彼が美佳さんを探し出したのです」
夫人は口元だけに笑みを浮かべ、うなずいた。俺を信用したというより、この当たりのよい刑事を信用しているようだった。
「では、終わりましたらお呼びしますから、待合室でお待ちください」
やけに丁寧な刑事である。馬場とは大違いだ。
俺は病室を出たが、この短いやりとりの間中ずっと食い入るように俺をみつめていた美佳の表情が頭に残った。
俺は待合室を通り抜けて外に出た。病院は通り沿いにある。高級とはいかなくても果物か花を手に入れようと思ったのだ。
幸い青果店を見つけることができたので、果物のパックを購入した。病院が近いのでお見舞い用のパックが常備されているようだ。それを袋にさげて病院の待合室に戻ると、驚いたことに美佳がいた。俺を待っていたふうで、こちらが自動ドアから入ると立ち上がり、近づくと丁寧にお辞儀をした。
「昨夜はどうもありがとうございました。対応も早かったので、母も大事に至らなかったと思います。それに、私のことも探していただいて」
やはり大人びた雰囲気のする少女だった。
「怖かったでしょう」
俺は労うように言った。
「ええ。でももう平気です」
落ち着いている。非常に気丈である。
「あなたの名を教えてください」
「ああ、神楽圭介です。実は」
「父の最期に立ち会ったんだそうですね」
知っていたのか。俺は胸をつかれた。
「ええ」
「いろいろとご迷惑をおかけしました。そして昨夜もまた」
「あなたのような子どもさんがそんなに気を遣うことじゃありませんよ」
思わず言っていた。
「大人たちに任せて、あなたはゆっくり休むべきです」
「平気です。そりゃ、夕べ公園に隠れていたときは怖かったけれど」
「ああ、おとめ山公園」
「はい」
「よく知っているの」
「子どもの頃の遊び場でしたから、だからうまく中に忍び込む抜け穴を知っていたんです」
そうなのか。
「ロマンチックな名前がついているね」
すると彼女ははじめて少し微笑んだ。
「公園の名前ですか。違います。『乙女』ではありません」
「昔将軍家の狩猟場だったんです。それで立ち入り禁止だったのでおとめ山、御留、ですね、そう呼ばれるようになったんです」
「へえ、そうなんだ。詳しいんだね」
「ずっとあの場所に住んでいたし、学校もあそこですもの」
「え、君は私立の一貫校とかではないの」
「ええ、父の方針で、小中は近くの公立がいい、と」
「そうか」
だとすると高田家の不幸のうわさは学校はおろか近所一帯に知られてしまうことを意味するだろう。
「掛けませんか。まだあの人たちの母とのお話は続きそうでしたよ」
美佳に促されて俺は待合室の長いすに座った。美佳も隣に腰かけた。
はかなげな外観は相変わらずだが、以前のイメージとは違った。聡明で大人びた、凛としたところのある少女。俺はこの少女に好感を持った。
「今更だけど、お父さんのこと」
「いいんです。何も言わないでください。かえって困ります。ただ」
「ただ?」
「最期のようすだけは、聞いておきたいです」
これは困った。難問だな。
中学生の娘にどの程度話していいものか。大人としての節度も考えなくてはならない。ただ他方で、この少女に下手なごまかしは通用しないとも感じていた。
俺ははっきりと短く、高田秀俊の最期を伝えた。そうする以外になかった。彼の苦痛の表情や絞り出した言葉については話さず、「さほど苦しまなかった」と付け加えた。
彼女の沈黙の横顔。
それからこちらに顔を向けて、
「ありがとうございました。父の最期に立ち会ってくださって」
本当に成り行きにすぎないことではあったのだが、心底感謝しているらしい彼女の目に俺は胸を衝かれていた。
「とんでもないことです。本当にお気の毒でした」
ふと俺は彼女の顔をまじまじとみて、彼女が父親にまるで似ていないことに気づいた。母親に似ているが、もっと整っている。
「実は」
ほんの少し迷いを見せた上で、彼女は切りだした。
「こんなお話、今どうかとも思うのですが、父と私との間に血のつながりはありません」
「え」
「養子なんです。母方の伯母が、早くに私を残して亡くなったもので」
「それではお母さんも?」
「母の姉でしたから、血のつながりはありますし、けっこう似ているとも言われます。でも父は全くの義父です」
「そうだったんですか」
「でも」
彼女は言葉を切った。
「それでも私の父に対する思いが弱いわけではありません!」
はじめて彼女の声音が強まった。
「父は本当に実の娘のように私をかわいがって育ててくれました。一緒に遊びに行ったことも。……実をいうと母より父の方に愛情を感じていました」
何といえばいいのだろう。俺は黙って大きく頷いていた。
「ごめんなさい。こういうことを、誰にも、親族には誰にも話せないし、でも話しておきたくて。友人は私は実の子と思ってますし。……母に似ているから疑われることもなかったんです。でも、今、どうしてもこのことを話しておきたかった」
「分かりました。あなたの思いは、僕がしっかりと聞きましたよ。そして胸のうちにとどめておきます」
俺がはっきりと言ってもう一度頷いて見せると、ほんの少し頬を染めて「ありがとう」とつぶやいた。本当に気丈な少女である。