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第4話

「つれないなぁ」

とやや不満げに答えたものの飯田は自分の話を打ち明けることができて満足そうだった。

 飯田と別れ、俺は新宿大ガードの下を歩いていた。飯田は自宅が京王線沿いにあるので、西口の方に去っていく。

ガード下の暗がりに視線を感じた。

 青いシャツにジーパンの男と、黒いトレーナーにチノパンの男が二人並んでこちらを見ているように思えた。どちらも30前後くらいか。無表情なのが気になった。

 しかし彼らは特に何か動きを見せることもなく、俺はそのまま傍らを通り過ぎた。

 ガード下を出たところの喫煙所に入る。飯田は吸わないので、遠慮していたのだ。アクリル板の囲いの中に入った。

 1本吸って外に出て、俺は顔をしかめた。さっきの男たちの姿がまた目に入ったからだ。俺は試しにまっすぐ駅構内には向かわず、歌舞伎町方面に進路をとった。「歌舞伎町一番街」のけばけばしいネオンの門から中に入ってみた。後ろをうかがいながら歩いていると、ポケットのスマホが振動した。

 またも固定電話からだった。少し迷ったが、出ることにした。

「もしもし」

「夜分にすいませんな。今、どこにいらっしゃいます?」

 馬場だった。まったくすまないとは思っていない声音だった。

「何時だと思ってるんですか。もう、家で寝るところです」

「そうですか? やけに騒音がしますが」

「テレビの音ですよ」

 いらいらした。すぐに分かる嘘でも言わずにはいられない。

「いちいち、どこにいるかなんて、あなたに教える筋合いではないでしょう」

「教えてくださらなくても結構ですが、われわれは調べないといけませんのでね」

「方向が間違ってやしませんか。俺は、本当に昨日はたまたま事件に遭遇しただけです」

「あなたがそう思っていても、実はそうではないかもしれないじゃないですか」

「どういう意味です」

「それを今捜査しているところでして」

 俺は通話終了ボタンを押していた。

 が、スマホをポケットにしまい、元来た道を戻ろうとUターンしたところで、俺は電話を切ったことを後悔した。背後に、先ほどの2人の男が行く手をふさぐように立っていたのだ。すばやく視線を左右に動かすと、右の視界に他にも2人、似た風体の男たちが立っている。

 無視して通り過ぎようとしたが、男たちは俺との距離を縮めた。通せんぼを食らった形だ。

「何ですか」

 不愛想に言うと、1人が答えた。押し殺してはいるが、妙に甲高い地声だった。

「お兄さん、ちょっと付き合ってくんない。聞きたいことがあるんだ」

 ありがちな脅し文句に苦笑しそうになったが、下ろした右手からナイフの切っ先が見えた。サバイバルナイフ。他の連中も上着のポケットにこれ見よがしに片手を突っ込んで何かを握りしめている。

「とりあえず、俺たちと一緒に歩いて」

 俺が沈黙したのを見てとって、さっきの男がまた言った。仕方なく一緒に歩きだすと、連中は周囲の目をごまかすためか、しゃべりだした。

「それでよ、昨日は池袋まで行って、いい店見つけたんだ」

「なんだ、何て店?」

 どうしたものかと思いつつ、隙をうかがいながら、数メートル歌舞伎町の奥の方に歩いた。先を行くチノパンの男が、角を折れる。やばいな、陰に入る。と思ったとき、思いがけない声が耳に飛び込んできた。

「片桐さん、片桐さんじゃないですか」

 俺も、男たちも、反射的にそちらに目をやる。そこには、仕事帰りのOL風の若い女性が満面の笑みで手を振っていた。

 俺の方が早かった。一瞬虚を突かれた傍らの男が我に返るより先に、思い切り蹴ってやった。ストライク。ほぼ同時に女性が信じられないような金切り声を上げた。

「きゃあああー、人殺し、誰か、誰か!」

 俺は呻きながら体を曲げた男をもう一人の男の方に力まかせに突き飛ばして、さっと男たちの輪から抜け出した。持っていたビジネスバッグを薙ぐように大きく振り回す。ゴツ、と手ごたえがあった。PCが入っているので、数秒間の打撃は与えられただろう。PCは壊れただろうか。

 あとから思うと、俺は彼女の眼から、一瞬でメッセージを読み取っていたのだ。まだわざとらしい悲鳴を張り上げている彼女の手をとって、全速力で走りだす。驚いたことに、彼女は俺の足にしっかりとついてきた。二人で歌舞伎町一番街を疾走し、門をでるとすぐにタクシーを拾った。

「初台まで」

 彼女ははっきりと運転手に告げ、後ろから俺が乗り込むが早いか、タクシーはドアを閉め、走り出した。男たちの姿を見極めようと振り返ったが、ネオンの光にぼやけてしまった。

「初台というと、オペラシティの近く?」

 業務的な口調で運転手が尋ねる。

「ええ、そうですね。裏手の、水道道路に入ってください」

 慣れた調子で彼女が答えた。まだ興奮を抑えられないまま、俺は女性の横顔をじっと見つめた。ついさっきの息の合ったアクションが思い出される。自分でも驚いていた。彼女は顔をこちらに向け、運転手に見えないように、唇に指を立てた。黙っていろという合図。俺は前を向いた。

 方向が逆だったため、タクシーは大回りをしながら進路を変え、初台方向に向かった。深夜割増料金のメーターがどんどん上がっていくのを眺めながら息を詰めた。考えてみれば、昨日から何かと非日常に巻き込まれている。それなのに、どうしてか俺はワクワクしていた。それは、この不思議な彼女への抜きがたい好奇心に尽きる。

 何ごともなかったかのように澄ました表情を浮かべている女性。白いカーディガンに薄ピンク色のブラウス。ベージュのスカート。セミロングのストレートの黒い髪。清楚で落ち着いた恰好だ。歳は、20代半ばくらいか。横顔のラインが美しい。だがそれよりも、先ほどこちらを見たときの彼女の黒目がちの眼が、俺の心をとらえていた。

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