七月二十日に、興行の幕は下りた。
小屋を畳み、大事な人形の首や、手足は、航路で、大坂へ送った。
立つ鳥、跡を濁さず。処分すべきものは、灰にして、大川に流した。
晴れ晴れとした、門出だった。
辰五郎親方が、鳶を集めて、木遣りで送るという申し出は、有難く、ご遠慮を願った。
ご本人たちは、勇壮で鯔背なつもりだろうが、ぎゃあぎゃあ呻る、不調和な歌声は、喜三郎には迷惑でしかなかったからだ。
「皆さん、お見送り、ありがとうございます」
暁七ツだというのに、五街道の起点、日本橋まで、大勢が見送りに集まってくれた。
まだ明けるには、間がある。
町木戸は、閉ざされているものの、江戸の町はもう起き出している。
日本橋と江戸橋の間に魚河岸があるので、棒手振が威勢良く、町中へ散っていく。
秋山平十郎が「師匠。お世話になりました」と、丁寧にお辞儀をした。
秋山は、喜三郎から独立し、江戸に残るという。
「ほな。お達者で」
挨拶を交わす、お秀の目も潤んでいる。
「また会おう」
来年は、大坂で、大きな興行をしたい。
大坂にいったん帰り、今度、江戸に下るのは、再来年になるだろう。
江戸とは、しばしの別れとなる。
「来年も、お江戸で興行したらいいじゃねえか」
同じ長屋の、鋏研はさみとぎの老人が、喜三郎の手を取り、名残を惜しむ。
「そういや、お蔦ちゃんは……」
お秀が、伸び上がって、見送りの人たちの中に、お蔦の姿を探し始めた。
「最近、お蔦ちゃんは、家に帰ってへんし、気になったまま、別れっちゅうのもなあ」
お秀は、ほんの少し、眉根を寄せた。
「けど、ほんとにいいのか。俺も大坂に戻らなくて」
振り分け荷物を肩に掛け直しながら、喜三郎は、お秀を気遣った。
喜三郎は、既に西国三十三箇所は、結願していた。
今度は、坂東三十三箇所の観音霊場を巡って、その後、大坂に戻るつもりである。
「うちは別に、観音さんの信仰に厚いわけやないしな」
お秀は、先に大坂に帰る。
老齢の父親の具合が、気になるらしかった。
「なるべく早く、大坂に戻るからな」
第一番札所の、杉本寺から、第三十三番札所の那古寺までを巡拝すると、約三百二十五里(千三百キロ)にもなる。
何処まで回るかは、まだ決めていなかった。
日本橋を出立し、しばらく同行するものの、東海道を西に行くお秀たちとは、途中で別れ、喜三郎は鎌倉街道を行くことになる。
「くれぐれも気をつけて帰るんだぞ」
優しい言葉が、口を突いて出て、自分で自分に驚いた。
「心配あるかいな」
お秀は、さも嬉しげに顔をほころばす。
「うちは旅馴れしてる。〝あまからや〟さんやら、弟子の子ぉやらも、一緒やし、何も心配要らんがな」
お秀は、豪快に笑い飛ばした。
「それにしても、庄助の奴、遅いな。寝坊しやがったか」
庄助もお秀ら一行とともに、大坂に戻ることになっている。
この場にいないのは、おかしい。
「あ。来ました。来ました」
弟子の一人が、一文字菅笠を掲げ、彼方を指した。
「すんまへん。遅うなって」
息を切らしてやってきた庄助は、何故か旅装束ではなかった。
「あんた、どないしてんな。日にち、間違うたんかいな」
お秀が、けたたましい笑い声を上げた。
「いや、そのう……」
庄助は、口ごもった。
「わいは、当分、江戸に残ろう思うてますねん」
「なんでやねんな。うちと一緒に旅するんが、そないに嫌なんかいな」
お秀が冗談半分で、小柄な庄助の襟元を掴んだ。
「実は……」
いつもなら、お秀の相手を買う庄助が、いつになく真面目な顔である。
「わい、お蔦ちゃんと、所帯を持つことになりましてん」
思わぬ言葉が、庄助の口から出た。
目を見れば、冗談ではなさそうである。
「なんやてえ」
お秀が、目を丸くした。
喜三郎の目も、思い切り丸くなっているだろう。
「ほんとなんだ」
いつの間にか、お蔦が、庄助の後ろに来ていた。
「昨日の晩、庄助が、口説きに来やがってさあ。あたいが、男と遊び回ってるとこに、割り込んできやがったんだ」
「ま、誠意っちゅうもんが、通じたっちゅうこってすわ」
良からぬ男どもと夜遊びを続けていたお蔦を、救い出したのか。
あるいは、嫌がるお蔦を、無理矢理、悪い仲間から引き離したのか。
事情は一切わからない。
男どもと一悶着あったのだろう。
庄助の頬や、目の周りが腫れて、色が紫に変わっている。
「大坂に帰ってしもたら、お蔦ちゃんと、いつ会えるか皆目わからへん。今度もし会うたら、辰五郎はんに囲われてるかも知れん、と思うと、是が非にでもと……」
庄助の目尻は、いつもに増して、下がりっぱなしである。
お蔦は、庄助の肩についた、糸くずのような塵を、指でつまんで取ってやった。
(そういや、前々から、お蔦と庄助は、妙に馬が合ってたっけな。惚れた腫れたの関係になるとは思わなかったが)
俄に信じられない取り合わせだが、目の前の光景は夢ではない。
とにかく目出度い。
「あたいさあ。庄助に口上をやらせて、二人で、小さな小屋をやろうって思ってんだ」
お蔦が幸せそうに、目を生き生きと輝かせた。
「得意の口上で、仰山、客を呼び込んでみせまっせ。最初は小さい小屋でも、そのうち、兄ぃに負けんような、大小屋に出世してみせまっさ」
庄助が腕捲りして、後ろ向けに引っくり返りそうなほど、胸を張った。
「じゃあ、もう、これからは、庄助に口上を頼めねえってこったな」
庄助と、すぐまた組めると、思っていただけに、寂しい気持ちはあったが、これ以上、喜ばしい結末はない。
弟分だった庄助は、美女を射止めた。
お蔦は妾奉公に出ず、見世物稼業を共にできる、良き伴侶を得た。
庄助なら、お蔦を一生ずっと、大事にするだろう。
口上としての腕にも、さらに磨きをかけて、父親のあまからやを凌ぐ名人になるに違いない。
まもなく、夜が明ける。
日が昇り始めれば早い。
「じゃあ、発つことにするか」
名残は尽きないが、しばしの別れでしかない。
また会う機会など、いくらでもある。
「達者でな。また会おう」
辰五郎が、お芳が、名残惜しげに、手を振る。
小日向屋が、橋のたもとで、黙って、門出を見守る。
「兄ぃ。お蔦ちゃんは、任せたってください」
庄助も、今日ばかりは、きりっとした男前に見える。
喜三郎は、橋を渡りながら、何度も、振り向く。
「また、江戸か、大坂か……。近いうちに、何処かの興行地で会おう」
喜三郎は、庄助とお蔦に、大きく手を振った。
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喜三郎は、ついにお蔦の人形を作ることはなかった。
明治に改まってのち、四年。
四十六歳になった喜三郎は、一代の傑作をものした。
それは、限りなく神々しく、しかし壮絶に色香の漂う、生人形、谷汲観音像だった。
白練色の肌が、ことのほか際立つ観音像は、黛と瓜二つながらも、何処か違う面影も宿していた。
『西国三十三ヶ所観音霊験記』の第三十三場面『美濃国谷汲寺縁起』として作られた谷汲観音像は、現在、喜三郎の菩提寺、熊本の浄国寺に残り、観る者を魅了し続けている。
了