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第31話 灰になる人形が、前途を暗示

 翌々日の三月二十八日、浅草寺奥山でも最奥にある念仏堂で、人形の供養が行われた。


 大勢の鳶に混じって、火消し装束に正装した辰五郎の姿も見える。

 どう見ても、大張り切りだった。


 喜三郎の姿を見て、(わしに任せておけ。ちゃんと片付けてやる)とばかりに、鷹揚に頷いた。


 読経が続く中、積み上げられた人形に、火が点けられる。


 人形は、桐材のほかは、反故紙や藁縄、駄布などでできている。

 潔く、一気に燃え広がった。

 すぐに、すべてが灰になって、跡形もなくなるだろう。


「灰を集めて、大川へ流しゃあ、一件落着でえ」


 燃える人形を眺めながら、丑之助は、晴れ晴れした顔である。


 奥山一帯は、夏頃まで、見世物小屋や、そのほか、露店が並んでいる。

 今日も朝から、大変な人出である。


 奥山の賑わい目当てで遊びに来た客が、(何をやっているのか)と、念仏堂まで大勢、流れてくる。

 物見遊山の気分で、祈祷の場を見守っていた。


「古狸の仕業だそうな」などと、したり顔で話す、情報通もいる。


「兄ぃ。あれは、お蔦ちゃんの小屋の……」

 庄助が、耳打ちした。


 群衆の輪の向こうに、楽屋番の豊吉らしき顔が見えた。

 皺の深い顔は、薄笑いを浮かべている。


「あの野郎。面白がって、見に来やがったな」


 喜三郎の頭に血が上る。

 野次馬の中を、豊吉を目がけ、突進した。


「い、いねえ」


 気配を察知したものやら。

 豊吉がいたと思しき狛犬の横に、小男の影も形もなかった。


「見間違いかも知れまへんで」


 後から追ってきた庄助が、掌で、自分の頭を叩いた。



 炎は勢いを増す。

 火の粉が、灰が、高く舞い上がる。

 最後の輝きを見せながら、消えていく。


「あ」

 鬼婆の頭が、燃えながら喜三郎を睨んでいた。

 目が合った。


 人形の頭は桐材で、前と後、二材を彫り出し、貼り合わせている。

 嵌め込まれた珠の目は、奥から取り付けてある。


 光る瞳は、人形の元になった、水茶屋の姥の目だった。

 怒りとも、悲しみとも、いや、安らぎとも取れる、不思議な色を湛えて、灰になる。


 焼かれて灰になる人形が、喜三郎の前途を暗示していた。


「踏んだり蹴ったりたあ、このこった」


 喜三郎は、炎を見詰めながら、一人ごちた。


「誰もが断る、鬼婆の人形だったのに。機嫌良く似面絵を描かせてくれた、あの水茶屋の婆さんには、申し訳ない気がするな」


「迫真の人形に出来上がったゆえの〝惨事〟でしたなあ」 


 庄助が、顎に手をやった。


 ふと気付くと、喜三郎も、懐手した手で、顎を撫でている。


(庄助の奴。仕草まで俺に似てきやがる)


 外見は、似ても似つかないが、いつの間にやら、喜三郎の癖が、庄助に移っている、と思えば、庄助の猿顔も可愛さが増す。


 ……などと、和む話題を頭の中で考えようとするが、目の前の光景に、やはり心が沈んで行く。


「同じ奥山で、軽業やら何やら、華やかに興行が続いてるってえのによ。俺っちは……」

 喜三郎は、小松石でできた狛犬の台を、足で蹴った。


「実地検分が入ってから、まだ二週間と経っちゃいねえが、えらく昔のような気がするもんだ」


 人形が灰になって、大川に流されるまで、見届けられなくなった。


「庄助。俺はもう帰る。ここにいたって、しょうがねえやな。また後で、改めて、辰五郎親方に挨拶に行けばいいだろ」


 庄助の「辰五郎親分には、わいから上手いこと言うときま」という返答を半分、聞き流しながら、念仏堂の前を、小走りで離れた。



 奥山の興行地とは地続きである。


 急に人が多くなった。

 軽業の音曲が、五月蠅く響いてくる。

 二十軒茶屋の女たちが、大きな声で、客を誘っている前を、無言で通り過ぎた。


 水茶屋の並びを過ぎれば、若宮稲荷である。


 お蔦のいる、蛇遣い小屋が見えた。

 小屋のすぐ前隣は、ぽっかりと広い更地が広がっている。


「ここで、華やかに興行してたってえのに」


 更地になってみれば、たいして広くはない。


「昇り龍のように、天にも昇るはずが、あえなく、地面に墜落でえ」


 いつか見せてもらった、辰五郎の体には、見事な雲龍が、幅を利かせていた。

 倅の丑之助も〝を〟組を背負って立つ頃までには、彫り物を〝背負う〟のだろうか。


「辰五郎が、名前の通り、竜だから、丑之助は、さしずめ牛の彫り物かい。龍と牛じゃ、見劣りなんてもんじゃねえな」

 愚にも付かぬことが、思い浮かぶ。


 丑之助が剛胆であれば、鬼婆の夢など見なかっただろう。


 辰五郎なら、夢を見たとしても、笑い飛ばすか、退治しようとしたに違いない。

 まだまだ一人前とは言えぬ、丑之助の小心さに、恨みめいた気持ちが湧く。


(元はといえば、庄助が騒ぐから、こうなっちまったんだ)

 八つ当たりと思うが、つい庄助が憎くなる。


「なんだか、疲れたな。誰が悪いってもんじゃねえ。運ってえもんだ」


 喜三郎は頭を二度三度と振り、側頭を掌底で、軽く叩いた。


「今日も、お蔦は頑張っているのか」


 お蔦の小屋の前では、痩せぎすな木戸番が、声を張り上げている。

 喜三郎の小屋の盛況に押されていたときは、精彩を欠いていたが、今は大張り切りで、元気が良い。


 呼び込みの口上の意気が上がれば、声の調子も明るく、景気よくなる。

 客も入る。


「この前までの様子じゃあ、商売にならず、小屋を仕舞うか、という瀬戸際だったが、皮肉なもんでえ。俺っちの小屋が綺麗さっぱり消えてなくなったおかげで、ここまで盛り返すたあな」


 またも、豊吉が、奉行所に訴えたのではないかという、疑惑が浮かんだ。


「お蔦の小屋の盛況具合を見りゃあ、考えられなくもねえな」


 さきほど見た、豊吉の醜い笑い顔が、脳裏に蘇った。


 後ろから掛けられた「喜三郎」という、老人らしい掠れ声に、喜三郎は振り向いた。

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