翌々日の三月二十八日、浅草寺奥山でも最奥にある念仏堂で、人形の供養が行われた。
大勢の鳶に混じって、火消し装束に正装した辰五郎の姿も見える。
どう見ても、大張り切りだった。
喜三郎の姿を見て、(わしに任せておけ。ちゃんと片付けてやる)とばかりに、鷹揚に頷いた。
読経が続く中、積み上げられた人形に、火が点けられる。
人形は、桐材のほかは、反故紙や藁縄、駄布などでできている。
潔く、一気に燃え広がった。
すぐに、すべてが灰になって、跡形もなくなるだろう。
「灰を集めて、大川へ流しゃあ、一件落着でえ」
燃える人形を眺めながら、丑之助は、晴れ晴れした顔である。
奥山一帯は、夏頃まで、見世物小屋や、そのほか、露店が並んでいる。
今日も朝から、大変な人出である。
奥山の賑わい目当てで遊びに来た客が、(何をやっているのか)と、念仏堂まで大勢、流れてくる。
物見遊山の気分で、祈祷の場を見守っていた。
「古狸の仕業だそうな」などと、したり顔で話す、情報通もいる。
「兄ぃ。あれは、お蔦ちゃんの小屋の……」
庄助が、耳打ちした。
群衆の輪の向こうに、楽屋番の豊吉らしき顔が見えた。
皺の深い顔は、薄笑いを浮かべている。
「あの野郎。面白がって、見に来やがったな」
喜三郎の頭に血が上る。
野次馬の中を、豊吉を目がけ、突進した。
「い、いねえ」
気配を察知したものやら。
豊吉がいたと思しき狛犬の横に、小男の影も形もなかった。
「見間違いかも知れまへんで」
後から追ってきた庄助が、掌で、自分の頭を叩いた。
炎は勢いを増す。
火の粉が、灰が、高く舞い上がる。
最後の輝きを見せながら、消えていく。
「あ」
鬼婆の頭が、燃えながら喜三郎を睨んでいた。
目が合った。
人形の頭は桐材で、前と後、二材を彫り出し、貼り合わせている。
嵌め込まれた珠の目は、奥から取り付けてある。
光る瞳は、人形の元になった、水茶屋の姥の目だった。
怒りとも、悲しみとも、いや、安らぎとも取れる、不思議な色を湛えて、灰になる。
焼かれて灰になる人形が、喜三郎の前途を暗示していた。
「踏んだり蹴ったりたあ、このこった」
喜三郎は、炎を見詰めながら、一人ごちた。
「誰もが断る、鬼婆の人形だったのに。機嫌良く似面絵を描かせてくれた、あの水茶屋の婆さんには、申し訳ない気がするな」
「迫真の人形に出来上がったゆえの〝惨事〟でしたなあ」
庄助が、顎に手をやった。
ふと気付くと、喜三郎も、懐手した手で、顎を撫でている。
(庄助の奴。仕草まで俺に似てきやがる)
外見は、似ても似つかないが、いつの間にやら、喜三郎の癖が、庄助に移っている、と思えば、庄助の猿顔も可愛さが増す。
……などと、和む話題を頭の中で考えようとするが、目の前の光景に、やはり心が沈んで行く。
「同じ奥山で、軽業やら何やら、華やかに興行が続いてるってえのによ。俺っちは……」
喜三郎は、小松石でできた狛犬の台を、足で蹴った。
「実地検分が入ってから、まだ二週間と経っちゃいねえが、えらく昔のような気がするもんだ」
人形が灰になって、大川に流されるまで、見届けられなくなった。
「庄助。俺はもう帰る。ここにいたって、しょうがねえやな。また後で、改めて、辰五郎親方に挨拶に行けばいいだろ」
庄助の「辰五郎親分には、わいから上手いこと言うときま」という返答を半分、聞き流しながら、念仏堂の前を、小走りで離れた。
奥山の興行地とは地続きである。
急に人が多くなった。
軽業の音曲が、五月蠅く響いてくる。
二十軒茶屋の女たちが、大きな声で、客を誘っている前を、無言で通り過ぎた。
水茶屋の並びを過ぎれば、若宮稲荷である。
お蔦のいる、蛇遣い小屋が見えた。
小屋のすぐ前隣は、ぽっかりと広い更地が広がっている。
「ここで、華やかに興行してたってえのに」
更地になってみれば、たいして広くはない。
「昇り龍のように、天にも昇るはずが、あえなく、地面に墜落でえ」
いつか見せてもらった、辰五郎の体には、見事な雲龍が、幅を利かせていた。
倅の丑之助も〝を〟組を背負って立つ頃までには、彫り物を〝背負う〟のだろうか。
「辰五郎が、名前の通り、竜だから、丑之助は、さしずめ牛の彫り物かい。龍と牛じゃ、見劣りなんてもんじゃねえな」
愚にも付かぬことが、思い浮かぶ。
丑之助が剛胆であれば、鬼婆の夢など見なかっただろう。
辰五郎なら、夢を見たとしても、笑い飛ばすか、退治しようとしたに違いない。
まだまだ一人前とは言えぬ、丑之助の小心さに、恨みめいた気持ちが湧く。
(元はといえば、庄助が騒ぐから、こうなっちまったんだ)
八つ当たりと思うが、つい庄助が憎くなる。
「なんだか、疲れたな。誰が悪いってもんじゃねえ。運ってえもんだ」
喜三郎は頭を二度三度と振り、側頭を掌底で、軽く叩いた。
「今日も、お蔦は頑張っているのか」
お蔦の小屋の前では、痩せぎすな木戸番が、声を張り上げている。
喜三郎の小屋の盛況に押されていたときは、精彩を欠いていたが、今は大張り切りで、元気が良い。
呼び込みの口上の意気が上がれば、声の調子も明るく、景気よくなる。
客も入る。
「この前までの様子じゃあ、商売にならず、小屋を仕舞うか、という瀬戸際だったが、皮肉なもんでえ。俺っちの小屋が綺麗さっぱり消えてなくなったおかげで、ここまで盛り返すたあな」
またも、豊吉が、奉行所に訴えたのではないかという、疑惑が浮かんだ。
「お蔦の小屋の盛況具合を見りゃあ、考えられなくもねえな」
さきほど見た、豊吉の醜い笑い顔が、脳裏に蘇った。
後ろから掛けられた「喜三郎」という、老人らしい掠れ声に、喜三郎は振り向いた。