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第30話 人形が燃やされる!!

 明くる日、三月二十六日の明け六つ。


「どないやったか、早ぅ見に行きまひょうな」と、またも庄助がやってきた。


「こんなに慌てて訪ねなくとも、いいと思うんだがな」


 喜三郎は昨日と同じく、朝飯を掻き込む羽目になった。


 お秀は「うちは、ゆっくり食べますよって。二人で行っとくれやっしゃ」と、膳から離れなかった。


「庄助の夢だったんだから、丑之助さんに、怪異なんて起こりゃしねえよ」


 喜三郎は、気になど一切していなかったが、


「とはいえ、早えほうがいいか」と、思い直した。


 辰五郎親方の大事な〝跡取り息子〟丑之助に張り番を頼んだ手前、早々に結果を聞きに行くことが、礼儀だろう。



 喜三郎と庄助は、神田佐久間町にある、小日向屋の番頭宅に向かった。


「どないでしたやろ。丑之助はんは、えらい強気でしたけんど」


 結果がよほど気になるのだろう。

 庄助は、終始ひょこひょこ、小走りである。


 喜三郎は、長身なので、小男の庄助より、歩幅が倍ほどある。

 早歩きくらいで済んだ。


 神田川の、向こう岸の土手には、柳の並み木が長く続いている。

 今はまだ新芽も固く縮こまっていて、ただの枯れ木だが、もうすぐ鶸萌黄に彩られるはずである。

 死と再生が毎年、繰り返される。



 昌平橋を過ぎ、筋違御門に繋がる橋を右手に見ながら急ぐ。

 神田佐久間町は、もう目と鼻に先だった。


 ゆるく曲がった道の角を曲がったときだった。


「あ。あれは、何でっしゃろ」


 まさしく、目指す二丁目辺りで、騒ぎが起こっていた。


「急げ。庄助」


 喜三郎と、庄助は、脱兎のごとく、同時に駆け出した。


 家の前には、既に野次馬らしき群衆が、黒山になっている。


 近所の商家から出て来た主や使用人、女房連中の姿が見える。枯物ひものを担いだ棒手振までが、商いそっちのけで天秤棒を脇に置き、見物している。


 人垣を押し分けて、前に出た。


「こ、こりゃあ……」

 群衆が見守る中を、火消し装束の鳶たちが大勢、立ち働いている。


「火事があったんでっか。それにしたら、火ぃもなんも見えんし」


 鳶たちは、火事場のように、鳶口を持っていない。


「早く、全部、運び出しちまえ」

 戸口で叫んでいるのは、丑之助だった。


「な、なんだって」


 一瞬、目の錯覚かと、喜三郎は、我が目を疑った。


 喜三郎の目の前を〝浅茅ヶ原一ツ家〟の姥の人形の首が、運び出される。


 まるで塵扱いで、手荒な扱いである。


 植え付けた白髪が剥がれて、白い糸になって、空中を舞う。

 首のほかに、胴体だった部分、手、足が、ばらばらに引きちぎられ、蟻の引っ越しのごとく、家の内から運び出されて行く。


「ま、待っておくんなさい。い、いったいぜんたい……」


 喜三郎は、丑之助の腕を掴んだ。

 衝撃に息が上がる。


「おう。喜三郎かい」

 振り向いた丑之助は、目の回りに黒い隈を作り、血走った目をしている。


「てめえの人形が、夜中に動いたんでえ。こんな怪異を起こす人形なんか、燃やしちまえ」


 大道具、小道具までもが、滅茶苦茶に壊され、大八車に、放り投げるように積まれる。


 庄助が止めようとするが、気の荒い連中に、弾き飛ばされた。


「どんな祟りがあるかわからねえ。俺っちにも、もう婆ぁが取り憑いてるかも知れねえ。寺に運んで、今日にでも、祈祷してもらって、焼くしかねえだろが」


「ちょっと待ってくださいよ。いくらなんでも、勝手にそんなこと……」

 喜三郎の懇願も、丑之助には届かない。


「せめて、苦心の頭だけでも……」


 喜三郎の脇をすり抜け、娘の人形の頭を運び出していた鳶が、喜三郎に気付き、立ち止まった。


「構わなねえ。俺っちが、運べと言ってんだよ。早くしねえか」

 丑之助が、怒鳴りつける。


「辰五郎親方は、御存知なんですかい」


「親父も、『すぐ燃やしちまえ』と、言ってるぜ」


 取りつく島もない。

 辰五郎も承知とあっては、逆らえる状況ではない。


「お願いですから。私がなんとかしますから、燃やすことだけは止めてください」

 喜三郎の悲痛な叫びは、鳶たちの喚き声や、見物人の騒ぎに掻き消された。 

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