二階を案内された。
出入りの貸本屋を囲んで、笑いさんざめく女郎たちの横を通り過ぎ、一番奥の部屋に通された。
「おお。来ましたな」
小日向屋は上機嫌だった。
「黛は、いま風呂ですよ。今日が、月に一度の髪洗いの日とは、ついていましたな」
小日向屋は、暇そうに振袖新造に肩を揉ませている。
時折、市松人形のように無表情な新造の尻を触って、黄色い嬌声を上げさせ、にやけている。
(助兵衛親父め)
心の内で蔑みながら、喜三郎は、黛の部屋を見渡した。
商家の造作を、取り急ぎ、妓院の形に改めたからだろう。
置かれた屏風が鴨居よりも高かったり、妙に造作がちぐはぐである。
床の間に違い棚がなく、ろくに道具も置いていない味気なさだった。
(全てが、見世物の籠細工のように、はりぼてだ)
もともと吉原自体が、虚飾の世界である。
仮宅になって、化けの皮が半分、剥がれている。
着飾った花魁も、実のない、はりぼての女だと、喜三郎は思った。
獅子噛火鉢のそばで、藍染め布子の着物を着た禿がうたたね寝し、寝言で「アイアイ」と返事をした。
番頭が、『後でお仕置きだ』とでもいうように、禿をぎろりと睨んでから、「では、ご機嫌よろしゅうに」と、小日向屋に向かって愛想笑いをして部屋を辞した。
「喜三郎さん。わたしは、黛のことが、可愛いてならん。できるものなら、身請けしてやりたいが、そうもいかん。だからね。せめて、贔屓にしてやりたいと思ってね」
小日向屋には、立派なご新造さまがいる。
番頭から女婿に入った小日向屋が、女房と離縁し、花魁と所帯を持つなど、もってのほかである。
そもそも、花魁の身請けには、法外な大金が掛かる。
年季明けまでに、稼ぎ出すであろう金子まで勘定に入るので、千両とも言われている。
大店の主でも、おいそれと出せる金額ではなかった。
「札差が栄華を誇った、明和から天明の頃ならいざ知らず、このご時世、札差も楽じゃない。登楼の金の工面のためにも、興行を成功させないといけません」
小日向屋の言葉は、自分自身に対する決心、叱咤激励めいて聞こえた。
(なんで、そんなにこの女にのめり込めるんでえ)
喜三郎は心の内で苦笑した。
「実は黙っていましたがね」
小日向屋が、喜三郎の近くに躙り寄ってきた。
小日向屋に代わって、振り袖新造をからかっている庄助に聞こえぬよう、声を落とす。
「黛は、わたしの〝落とし種〟なんですよ。つい去年、知ったのですがね。娘と分かれば、毎日でも会いに来たい。〝可愛がってやりたい〟のですよ」
「え」
喜三郎の頭に、かっと血が上った。
(なんてえ、畜生なんでえ)
実の娘と〝床入り〟をしているさまを想像して吐きそうになった。
好き者にも、ほどがある。
呆れてものが言えない。
「それでも親か」と、この場で殴りつけたい。
が、肝心の人形作りのためには、私憤は我慢である。
「ほう。それはそれは……」
喜三郎は、つい揶揄する口調になった。
「わたしがまだ奉公人だった頃、贔屓にしていた、大鳥という名の、小見世の部屋持ちの子でしてね。幼名は、かねと言ったそうだが。里子にやられた先が、難渋して、七歳でここに売られましてね。禿から振袖新造、振新から引込新造。で、さる丑の年(嘉永六年)に、目出度く花魁として〝道中の突き出し〟と、相成ったわけですよ」
恥を自慢げに口外する、小日向屋の気持ちが皆目わからなかった。
疑問も湧く。
「けど、大鳥ってえ女も女郎でしょ。相手した男は大勢のはずなのに、なんで、小日向屋さんの種だとわかるんですかい」
小日向屋は、「なんてことを言うんだ」とでも言いたげに、眉根をきつく寄せた。
「わたしには、お美代という、ひとり娘がおったのですよ。七つになった年の春に、御役三病の痘瘡で、あっけなく亡くなりましたが」
小日向屋は、細い目に、一瞬、悲哀の色を浮かべた。
が、すぐさま、気を取り直したように、早口で捲し立てた。
「黛はね。お美代と、瓜二つなんですよ。これほどはっきりした証拠がありますか」
一つ感情を込めて、大きく息継ぎをする。
「もちろん、お美代は、わたしには、これっぽっちも似てやしませんでしたよ。お美代は、器量よしで評判だった、わたしの母親にそっくりだったんですよ」
(七つの幼女だの、年老いた母親だのと瓜二つと言われても、『はいさようで』とも承服できねえなあ)
喜三郎の表情に、おそらく『まだ半信半疑』と出ていたのだろう。
「喜三郎さん。あんたに信じてもらわなくたっていい。我が子は我が子なんですよ」
小日向屋は、自分自身にも言い聞かせるつもりか、語気を強めた。