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第8話 遊女は、客から金を騙し取る商売でえ

 新橋を上から、幕府艦船が格納された、十四棟の御船蔵が見えた。


 深川は、小さな橋が多い。

 元禄の頃から、この地に移された、多くの木置き場も、橋で繋がれて、南東に点在している。


 霊巌寺、浄心寺、永代寺・富ヶ岡八幡宮が近接し、門前町として、色街が栄えていた。


「なあ、兄ぃ。櫓下の辰巳芸者が、羽織を羽織って、啖呵を切る、ちゅうのも、粋で宜しおまんなあ」


 江戸城の辰巳の方角(東南)なので、辰巳芸者と呼ばれ、火の見櫓の下に、軒を並べている。


「話してる間に、もう着きましたがな」


 二人で歩けば、道のりも短く感じられる。

 目指す、仲町はすぐ先だった。



 雪を被った町家の中に、吉原の仮宅が、何軒も並んでいる。

 細い木の札を屋根や家の傍に立て、何々屋何々仮宅と筆太く書いてある。


 雅客の往来は、まだ見られない。

 店の腰高障子に大蒲焼きとある、商家の隣、佐野槌屋の立て札の立った見世は、大きな家だったが、吉原にあった妓廊とは比ぶべくもなかった。


 竹格子に簾が掛かっている。吉原では牡丹などの浮き彫りが施された、竹格子の下の板張りの横桟も、仮宅ゆえ粗末である。

 表口には、手桶を積んだ用水桶が置かれていた。


「奥で、小日向屋の旦那がお待ちかねですぜ」


 番頭を名乗る、あばた面の男が、ぞんざい手つきで手招きした。

「……で、そちらのお連れさんは?」


 番頭は、いかにも脛に傷を持っていそうな、凶悪な顔つきである。鋭い目つきで、庄助を睨んだ。


 気圧されて、庄助が、肩を竦める。


「わたしの小屋の口上で、庄助といいます。小日向屋さんもよく御存知です」


 喜三郎の言葉に、番頭は、ふんと鼻を鳴らし、『ついてきな』とばかりに、顎でしゃくった。



 一階の様子は、吉原と変わらない。

 女郎が居並んで客がつくのを待つ、往来に面した張見世、廊主の部屋である内所、台所、風呂場などがあった。


 中郎と呼ばれる若い男や、振袖新造(姉女郎についた若い遊女見習い)たちが、拭き掃除をしている。


 女郎は、昼見世が始まる、昼九ツ(正午)までに湯に入り、食事をし、化粧に懸かる。


 黛は、昼見世には出ないので、小日向屋とともに、ゆったりとした時の中にいるのだろうか。


「顔形の綺麗な花魁はたくさんいるがね。黛は気っ風が違う」

 階段に差し掛かったとき、番頭が、誇らしげに振り向いた。


「俺っちの前に、『これをかたに金子を工面してくんなんし』って、でえじな櫛やら笄やら簪やらを差し出されたときゃあ、さすがに仰天したぜ」


 ここまで一気に語り、急いで息継ぎをする。


「金銀、象牙に、鼈甲なんぞ……。どれも高けえ代物なので、三十両も借りられたんだが」


 言うだけ言って、やや急な階段を、さっさと上り始めた。


「そ、そうだったんですか」


 金を客に出させたのではなかったと聞き、喜三郎は驚いた。


 だが、すぐに思い直した。


「仮宅じゃ、髪に挿すものも自粛でえ。どうせ当面、要らなかったからだろうよ」

 喜三郎は、聞こえぬように毒づいた。


(美談で、客の気を惹く、手の込んだ手練手管か。結局、客に入れ上げさせて、元を取れるって、魂胆に違いねえ)


 ひねくれた憶測が思い浮かんだ。


(遊女は、客から金を騙し取っていくらの商売でえ。端っから、損得勘定はできてるってえこった)


 海千山千の廓の番頭までが、感心し、欺かれるくらいなのだから、鼻の下の長い、小日向屋ら贔屓が、いくらでも損失を穴埋めし、さらに上乗せしてくれるだろう。


(まあ、俺っちには、関係ねえこった)


 喜三郎は、番頭に続いて、軋む階段を上った。

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