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第6話  黛花魁の人形を作るんですよ

  またも、横合いから庄助が口を出した。


「数も多うて、豪華六四体だっせぇ」


 招き人形の近江お兼に続き、小屋に一歩入れば、いきなり『浅茅ヶ原一ツ家』の恐ろしい場面が展開する。


 一軒家の荒ら屋で、鬼婆が妊婦を捕え、包丁を片手に迫る場面や、鬼婆が、観音の化身の童子を殺めようとするのを、鬼婆の娘が必死に諫める場面が続く。


「今にもこちらを向いて、襲って来そうですな。作り物と分かっていても、恐ろしさに背筋がぞっとしますよ」


 小日向屋も、老婆の人形の出来に、思わず溜め息をつく。


 人形の材料は桐で、一木づくりに近いものもあるが、多くの胴組みは『提灯胴』と呼ばれる、提灯のような円筒である。

 着物を脱がせれば身も蓋もない、空虚な張り子、張りぼてだった。


 反面、頭、手、足などは精緻に作られ、本物らしく凝った衣装を着せているので、生きているかのように見える。


「小日向屋さん。まさに、『信心と遊楽の一体を目指す』です。ご当地、浅草寺の縁起にも関わる題目なのが良いでしょう。観音さまの利生譚ですから」


 喜三郎は、観音を信仰しているので、〝観音さま〟の一語に、思わず力がこもる。


 興行の合間に、西国三十三カ所を訪ね、三十三番結願所の、美濃の国、谷汲山の観音には、つい先月、お参りしたばかりだった。


『浅茅ヶ原一ツ家』の場では、娘が助けた旅人を観音の化身の稚児姿とし、観音についで信仰する不動明王の姿も背景に取り入れた。


「当て込みですな」

 小日向屋が、満足げに頷いた。


 まさに市中の話題を当て込んだ出し物だった。


 今年になって、人気の歌川国芳が、一ツ家の絵馬を観世音開帳に合わせて奉納した。

 関連した錦絵も何枚も出され、大評判になっている。


「けど、話がちとおかしいような……。浅茅が原の鬼婆と、安達ヶ原の鬼婆が混ざってやしませんか」

 小日向屋が矛盾を指摘した。


 浅茅ヶ原の言い伝えでは、《娘を餌に旅人を誘い込んで殺す老婆がいたが、ある夜、娘が旅人の身代わりになって死に、悔やんだ鬼婆が姥ヶ池に身を投げて死んだ》という筋立てである。


「《妊婦の腹を割いて、胎児の生き肝を取り出す》ってーのが、安達ヶ原の鬼婆伝説なのは、じゅうじゅう存じてますがね。鬼婆の恐ろしさを増すほうが一層、でえじかと思いやしてね」


 鬼女の登場する一ツ家伝説には、浅茅ヶ原と安達ヶ原があり、古くから混同される。


 喜三郎も最初は間違いに気付かず、場面の想を練っていたが、途中で気付いた。

 が、出し物の面白さ、扇情性を優先するために、あえて混ぜた。


「けど、喜三郎さん。これだけでは、まだ足りませんな。二月のように、大仕掛けな象もないし」


 小日向屋は、またもや、竹田絡繰りの〝象大道具〟を引き合いに出して、意地悪く呟いた。


 いや、意地悪くというより、心配げというほうが当たっているだろう。


 客の入り、金の入り具合に関しては、小日向屋と喜三郎は、一蓮托生なのだから。


 思案に、場が重く沈み込んだ。


「そや。聞いてんか」

 庄助が突然、頓狂な声を上げた。


「日本堤で水茶屋をしてた親父からから聞いた話やけど。あの水茶屋の婆ァ、昨日、ぽっくり死によりましてんて」


「え」

 喜三郎は、絶句した。


 喜三郎は、地震のおり助け起こした縁で、水茶屋の老婆と懇意になっていた。


「それは気の毒に。あの婆さんのお陰で、真に迫った人形が作れたのだがなあ」


 梅干しのように皺くちゃだが、金壺眼を鋭く光らせた、老婆の顔が目に浮かんだ。


「自分を写した人形を見ずに、おっちんじまったってわけか。ま、鬼気迫る、極悪非道な鬼婆の人形だから、出来上がりを見ねえほうが良かったかもしれねえな」


 喜三郎は、今回の一ツ家の生人形の主役、鬼婆の顔には、凝りに凝った。


 幸い快く引き受けてくれた、水茶屋の姥の顔を絵に写しとり、おかげで迫真の人形が出来上がった。


 老婆は、若い頃には、客を無理矢理ぐいぐい引っ張り込む噂で悪名高い、羅城門河岸の女郎をしていたという。

 まさに鬼婆がこの世にいれば、かくやという絶好の素材だった。


 出来映えは、改心の作と言えた。


「婆さんには悪いが……。これは使えるぞ」

 名案が閃いた喜三郎は、膝を打った。


「小日向屋さん。婆さんが死んだことを吹聴するんですよ。で、この人形が、夜な夜な小屋の中で恐ろしい声を上ると、噂を流すんです」


 怪異話は、大衆に受ける。

 早々に、前宣伝になる、引き札の題材にされるだろう。


「『水茶や姥の魂入候とて大評判大入になる』っちゅうわけでんな。そうなれば、もう一度、いや、何度でも吉原に連れて行ってもらえまっせ。剛毅な〝銀主〟はんにー」


 庄助が、間の手のように、口を挟んだ。


 大坂では、銀が流通の主流なので、金主のことを銀主という。

 癖が出たのか、金儲けばかりに執着する金主を揶揄したつもりなのか。


「笑い事じゃない。そう上手いわけに行きませんよ」

 小日向屋は、庄助を睨んだ。



『一ッ家』に続いて、『為朝島廻り』『粂の仙人』『吉原仮宅』などの場面をざっと見て回った小日向屋は、


「目玉が『一ッ家』では、ちょいと弱いですな。興行前に、色刷りで引き札を刷ってもらうには無理がある。辰五郎さんに頼んで、次からは、竹田絡繰りの人形と興行をさせてもらいましょうかね。竹田の人形のほうが、よっぽど当て込みが上手い」と、渋い結論を出した。


 またも竹田縫之助の肩を持つ小日向屋の言葉に、喜三郎の堪忍袋の緒が切れた。


「あんなつまらねえ木偶のほうが勝ってるたあ、どういう了見だよ。いくら金主さまだからって、言って良いことと悪いことがあるんだよ」


 喜三郎は〝破談〟覚悟で、小日向屋の分厚い胸ぐらを掴み、四角い顔を見下ろした。


「うちとしては、既に三百両ばかり注ぎ込んでますからね。喜三郎さんは〝当て込み〟が弱い。弱いんですよ。わたしは本当のことを言っているだけですよ。それを力尽くでとは無体な」


 恰幅の良い小日向屋が、太短い腕を目一杯に伸ばす。


 痩躯の喜三郎の胸ぐらを掴み返して、揉み合いになった。

 両者の剣幕に、小日向屋の若衆や丁稚がおろおろする。


「まあまあ。今になって喧嘩はあらしまへんで。どちらはんも、興行間近の今ここで手ぇ引いたら、大損ですがな」


 庄助が猿顔をさらに猩々緋色にして、間に割って入った。

 猿顔が、必死さゆえ歪んで、皺々になっている。


「中に立ってもろた、辰五郎親分の顔もありまっせ。辰五郎親分の機嫌を損ねたら、兄ぃは、この先、江戸で興行できまへんで。それにや。小日向屋さんかて、火事のとき、〝を〟組はんに、あんじょう、火ぃ消しに来てもらえんようになりまっせ」


 庄助の話は、どんどん大きくなった。

 身振り手振りも大仰になる。

 飛び上がらんばかりになりながら、短い腕を振り回す。


 庄助の顔の珍妙なさまに、喜三郎も小日向屋も、思わず可笑しくなった。


 憑き物が落ちたように冷静になり、お互いの手を離した。

 喜三郎も小日向屋も、大人げない諍いが恥ずかしくなって、黙りこくった。


「ところで、黛花魁のことでっけどなぁ」

 庄助は、絶好の間合いを見逃さない。


「え。黛がどうかしたのかい」

 黛の名を聞いただけで、先程の怒りはどこへやら、小日向屋は、相好を崩した。


 苦虫を噛み潰したような顔が、円満至極な、目出度い恵比寿顔に豹変する。


「北町奉行の井戸対馬守様から、ご褒美を賜ったて、読売(瓦版)に書いてありましたがな。たいした評判ですなあ」


「ほお。庄助さんも知ってたのかい。そんなに評判なのかね」

 小日向屋は、ますます目尻を下げた。


 細い目がなくなってしまう。


「黛はん自身も大きな被害を被らはったのに、大枚金三十両もはたかはって、御救小屋へ炊き出しの鍋を、仰山、贈らはったそうでんなぁ。これは誰にでもでけることやあらしまへんで。みんな、黛はんの善行に感謝するやら、感心するやら。小日向屋はんは、大店の奥ででんと座ってはるから、下々の噂に疎いかも知れまへんけどなぁ。町中、黛はんの噂で、そらもう、ほんまに持ちきりでっせぇ」


 庄助は、さすがに舌先三寸で生きている口上である。

 たちまち小日向屋の機嫌をとることに成功した。


「黛は、世情を救済する観音さんというわけだな」


 小日向屋は、少し白髪の混じった鬢の当たりを、得意げに撫でた。


 喜三郎は〝観音〟という一語に、頭に血が上った。


(どうせ、売名のためだろうよ。金は小日向屋にねだったか、でなきゃ、他の馴染みに出させたに違いねえ)


 こざかしい真似が人々の賞賛を受けていることに、むかっ腹が立った。

 遊び女の話題に、篤く信仰する観音さまの御名が出るなど、汚らわしいにもほどがある。


(そうだ)


 喜三郎は、腹立ち紛れに、黛を利用することを思いついた。


(黛を、助兵衛な客どもが大喜びするような、品のない、色気過剰な人形に仕立ててやろう)


 客受けと、ささやかな意趣返しが、一挙にできるではないか。


「小日向屋さん。良い案が思いつきましたぜ」


 喜三郎は、黒い笑いを隠し、満面の笑みを作った。


「黛花魁の人形を作るんですよ。この度の興行では、吉原仮宅で、遊女が化粧やら髪結いやら、身仕舞い(身ごしらえ)する、〝内証〟の場を作ったんですがね。それだけじゃ、趣向が足りないと苦慮してたんでさあ」


「おお。そりゃいい。まさに本当の〝当て込み〟ですな」


 案の定、小日向は、芒で切ったように細い目を輝かせ、身を乗り出した。


「黛さんを人形に写すにゃ、もう一度、間近でじっくりと見てえんです。特に、肌の色を確認してえんですが……」


 記憶の中にも黛の姿は焼き付いている。

 だが、本物に接して、もっと趣向を得たい。


 他にも理由はある。


 黛の出方によっては、『そちらさまは、礼のひとつも言えねえのですかい。豪華に着飾って、勿体をつけてたって、さすが、散茶ですなあ』などと、嫌味のひとつも言ってやりたい。


「合点承知の助ですよ。わたしを誰だと思ってるのですか。それに、今の吉原は、仮宅での営業ですからね。なおさら融通も利く。早速、明日にでも、手筈を整えますからね」


 小日向は、裏口の木戸をくぐり、さっさと大小屋の外に出た。

 まだ子供じみた顔立ちの若衆と、縞木綿に前掛けの丁稚が、大慌てで後を追った。



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