〝風流人形〟〝見立人形〟と呼ばれる〝生人形〟を見せる、喜三郎の大小屋では、正月からの興行の準備で大わらわである。
「なあ、兄ぃー」
喜三郎の背後から、藍染めの半纏を着た庄助が、いつものごとく、大坂訛り丸出しで、のんびりと声をかけてきた。
「こないだは、鯰が大地震を起こしてけつかって、えらい災難やったけど、わいらにとったら、『災い転じて』なんとやらや。かえって『北風を追っ手にあまた 帆掛舟』でんがな。商いの好機到来でっせぇ」と、出っ歯を剥き出した。
「庄助。それを言うんじゃねえよ」
口にするには憚られる話題を露骨に出され、喜三郎は苦笑した。
喜三郎自身、興行の客の入りが増えることを期待していないわけではないが、さすがに口にするのは、憚られる。
なにしろ、地震の被害は、死傷者七千人、家屋の倒壊が一万五千戸以上と言うのだ。
「浅草猿若町の芝居の三座は、去年に続いて、またもや貰い火で、全部ごっそり、焼け落ちよりましたやろ。茶屋やら役者の住まいかて、すっきり灰になりましたがなぁ。歌舞伎小屋の建て直しは、三月頃まで掛かるっちゅう噂でっせぇ」
「芝居小屋がまだ開かねえ今、細工物、軽業に、長崎渡来の動物と、見世物小屋は、客の入りを期待して、大張り切りには違いねえな」
喜三郎は、大きく伸びをした。
「おい。その人形の手の向きはなんでえ」などと、弟子や手伝いの職人に細かい指図するだけでも声が枯れる。
「なあ、庄助。〝生人形〟ってえ言葉を使い始めたのは、他ならぬこの俺さまでえ。もっともっと江戸、いや、諸国津々浦々にいたるまで、人と同じ背丈をして、まるで息をしているような、生人形の名を知らしめてやろうや」
興行の日が迫るにつれ、日増しに気合いが入る。
「江戸者は、あないな地震じゃ、へこたれまへんでぇ。大火事が、しゅっちゅう起こってるし、振り袖火事なんか、被害かて、大地震と桁が違いまっせぇ」
江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火による死者は、三万人とも十万人とも言われる。
まだまだ、足下に、鯰の小踊りを感じるが、江戸っ子は元気を取り戻し、大地震から三ヶ月と経たぬ今でも、ご府内は目ざましい復興ぶりである。
特需によって大いに潤う材木屋を始め、大工、左官、屋根屋などの職種も恩恵に浴している。
年も改まっての初春ともなれば、寺社で厄を落とし、見世物を楽しんで、災厄をすっきりさっぱりと忘れたいところだろう。
「娯楽を求めて、貴賤を問わず、大勢の客が殺到してくるってところだろうよ」
喜三郎は懐から出した手で、丁寧に剃り上げた顎を撫でた。
「けど、せっかくの好機だってぇのによ。出し物に、まだまだ〝当て込み(客受けを狙って最近の話題を織り込むこと)〟が足りねえんだよあ」
喜三郎は、汗を拭き拭き、藍の万筋縞を腕捲りし、苛立ちながら、小屋の内外を駆け回っている。
「ま、吉原かて、一面の焼け野原になったっちゅうても、早々と、仮宅で稼業再開でっから、逞しいもんでんがな。見世物かて、負けてられまへんでぇ」
庄助は、品のない笑いを浮かべた。
庄助は、唐辛子売りから身を起こした、『あまからや』と称する〝口上〟芸人の倅で、まだまだ修行中の身といったところである。
喜三郎の大坂興行での口上を担ったあまからや親子は、江戸下りにも同行してくれている、頼もしい仲間である。
庄助の気安さ、気の置けなさが、こと人形に関しては、すぐさま癇を立ててしまう喜三郎の救いでもあった。
周囲の女連中からすると、猿顔の庄助のお陰で、喜三郎は、何倍も苦み走った色男に見えるらしい。
「吉原いうたら、わし、仮宅のほうへ、だいぶ通うてますねんでぇ」
庄助の目が急に輝き出す。
「俺は、けばけばしくて、嘘で固めた夢なんて要らねえよ」
喜三郎は、喉にひっかかったものを吐き出すように言った。
「そやけど、黛っちゅう花魁は、えらい別嬪でしたがなぁ」
庄助が、短めの鼻の下を、可笑しいほど長く伸ばした。
「そういや、そんな名前だったっけな」
聞き分けのない馬鹿な女郎という印象しか残っていなかった。
「えええーっ。な、な、なんとー」
庄助が呆れ顔で、芝居がかった所作を見せた。
「総籬(大見世)の佐野槌屋の、呼び出し昼三金一両。黛花魁の名前を忘れるたあ、喜三郎兄ぃの石部金吉金兜は筋金入りでっせぇ」
地震のおりの、激しい苛立ちが、昨日のように、ありありと思い出された。
「いったい何様だと思ってやがる。救い出してやったのに、礼を言うどころか、亡八夫婦のことを案じて上の空たあ、思い出しても向かっ腹が立つ」
喜三郎は土間に唾を吐いた。
「女郎の駆け引きやら、つれなさがまた、通人の心を掴むのと
庄助は、黛の肩を持ち、ずれた返答をよこした。
「享保のころ、名妓と謳われ、お大名さま相手でもひけを取らなかったという、高尾太夫や薄雲太夫の時代ならいざ知らず。今じゃ、太夫も格子もいねえ。花魁たって、もとはたかが散茶女郎じゃねえか。ま、遊び女に腹を立てるほどのことじゃねえか」
喜三郎は、頬の引き攣りを押さえるように、掌でぴたぴたと叩いた。
ちなみに、散茶とは、寛文の頃、江戸各所の風呂屋の湯女などの私娼が、幕府によって吉原に強制的に送り込まれて女郎になったものをいう。
「そない言うたら、兄ぃは、あの晩かて、女郎と遊ばはらへんかったんでしたなぁ。もったいない。わっしが二十八で、兄ぃかて、まだ三十一や。精気みなぎってるはずやのに、きれいどころを目の前にして、なんとも思わはらへんかったんでっかいなぁ」
あの晩、小日向屋の金で女郎をあてがわれたが、喜三郎だけは女を抱かなかった。
「やっぱし、その……。何でっかいなあ」
庄助は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「兄ぃは、姉さん女房のお秀さんに〝義理立て〟でっかいな。そらまあ、去年の四月に夫婦にならはったばっかしでっからな」
大柄で、お世辞にも美しいとも可愛いともいえぬ、お秀の顔が、目に浮かんだ。
「馬鹿。そんなはずあるかい。あん時ゃ、お秀は、大坂の家に留守居をしていて、吉原行きを知るよしもなかったんでえ。気兼ねなんぞするもんかい」
喜三郎は、きっぱりと言い切った。
「へえへえ。そうでっかいなー」
庄助は、笑いを堪えている。まだ冷やかし半分である。
「頭ン中の一番の関心が、女、ってえ、庄助に、説明してもわからねえよ」
喜三郎は、態と臭く、ぷいと横を向いた。
「お師匠さま。こりゃまた、失礼つかまつりましたでござりまする」
庄助が、大袈裟に自分の額を、小ぶりな掌で叩いた。
「あの日、吉原のあちこちで、ずっと似面絵(似顔絵)を描いてたおかげで、今度の人形作りに、大いに役立ったってえわけだ」
喜三郎の生人形は、写実が命である。
実在の人の顔や体つきを、そっくりそのまま人形に写し替えるのだ。
若い頃に絵の修業をしていた喜三郎は、花魁、新造、禿、女芸者に遣り手といった女たちから、見世番、風呂番、不寝番の男まで……。
吉原に生きる種々雑多な人々の顔形を、あれこれ漉き返しの紙に模写して、暇を潰した。
大地震のどさくさで、絵の大半は無くしたが、きっちり頭の中の箪笥の引き出しにしまい込んである。
「吉原なんてところは、俺らが行くとこじゃねえ。庄助も、吉原って怪物に魅入られねえうちに、大概にしねえと……」
言わずもがなな小言を垂れながら、喜三郎は、小屋の入口へと戻り始めた。
「〝奥山〟でも一等地も一等地に陣取ってるわけでっからな。わっしらも、たいしたもんでんがなー」
庄助が、話の矛先を変えながら、喜三郎を追い抜いて先に立った。