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19「今世の意味」


 ベルナが拉致された。


 そう知らせてきたネオンと共に、現場であるベルナの商会の本部へ向かった。


「随分とリフォームして貰ったもんだな」


 玄関がかなり破壊されていた。

 しかし死傷者は出ていないらしい。

 玄関だけ派手にぶっ壊して、中では暴れなかったようだ。


「私にしたのと同じ説明をこの人にもしてくれるかい?」


 ネオンの要望に応えて初めてここに来た時にも会った受付の女が話し始める。


「終業時間も過ぎて昨日は私が夜勤で受付を担当していたんですが、いきなり外から魔術か何かを当てられて玄関が爆発したんです。その後何人も男の人たちが入ってきて、『ベルナを出せ』と……」

「それで? 差し出したのか?」

「い、いえ! ベルナ様がご自身で彼等に着いて行きました」


 この建物や中に居る従業員を守るために自分から?

 相変わらず肝の据わった女だ。

 流石元マフィアのボス……


「そいつらはどこへ向かった?」

「馬車に乗せられて右手へ……その先は分かりません」

「そいつらの特徴は? 組織名とか言ってなかったか?」

「全員強そうでした。でも所属などは……分かりません」

「ベルナから言伝とかないのか?」

「いいえ……」

「ッチ、使えねぇ」

「も、申し訳ありません!」


 どうやら無意識に魔力が漏れていたらしい。

 青ざめた表情で受付嬢が頭を下げている。


「やめなよ。そういうヒントが無いかは確認したし、もしそれでベルナさんの居場所が分かってるなら私はここに居ないよ」

「……あぁ、そうだな。あんたも悪かった」


 とは言え俺の魔力感知でも街全体から個人を探すなんて不可能だ。

 俺の使える探知系の術式を加味しても、ベルナを探し出せる妙案は浮かばない。


 方法は地道な物しかないように思えた。

 一先ず何か見落としがないか確認するためにベルナの私室に入った。


「あんたは……」


 そこには蹲ったシュリアが居た。


「何やってんだ?」

「な、何もないの……どこに連れて行かれたか分からないの……」


 両の手のひらで顔を覆い、籠った声で嗚咽と共に吐き出されたその言葉は、それ以上ないほどにこの女の絶望を表現していた。

 酷く震えたその声は普段の態度とは真逆だ。


 まだ日が昇って直ぐだ。

 ベルナが居なくなってから三時間程度しか経ってない。

 だが、あいつがどこに居るのか分からなければ救出のしようもない。


「ふざけんなよテメェ。何も分からねぇからってやることがただ蹲ってメソメソと泣くことか? テメェみたいなクソガキを幹部にしたベルナには全く見る目がなかったみたいだな」

「黙れ!」


 恨みと怒りが籠ったその絶叫は、さっきのメソメソとした言葉を発した人間の言葉とは別人の如き気迫が籠っていた。

 俺の胸倉を掴み、大粒の涙を零しながら、シュリアは俺に怒りの感情を向ける。


「私のお母さん・・・・を馬鹿にするな!」


 間違いなくそれは……それこそが、シュリアの本心だった。


「……知ってたのか」

「私、自分の苗字知ってるもん。孤児院では呼ばないように言われてただけで大人から教えられはしてるの。それにあれだけ優遇されて理由が気にならないほど馬鹿じゃない」


 次第にシュリアの力は強くなっていく。


「だからネオンを酔わせて聞き出した」

「あのバカ……」

「お母さんが私に母親だってことを言わない理由は……多分、私ができない奴だった時に別の人を跡継ぎにするため」


 違う。


「だから私は頑張らなきゃいけないの。誰に嫌われても、誰にやっかまれても、誰に後ろ指を指されて陰口を言われても……お母さんの期待に応えて、私はベルナの娘だって……シュリア・ミカグラなんだって認めて貰いたい!」


 自分の罪を恥じる母親。

 自分の未熟を恥じる娘。


 互いが互いに認めて貰えるように努力している。


 なのに、その本心を互いは知る由もない。


 ふざけた家族だ。


「でも、ベルナが……またお母さんが居なくなっちゃったら……」


 力が弱まりシュリアはその場にへたり込んだ。


「ベルナとお前が離れ離れになったのはお前がまだ物心つく前の話だろ? そんな母親に認められる必要があるのか?」

「たった一人の家族なんだ。それ以上に大切に想うための理由なんか必要なの? それにベルナは私に会いに来てくれた。私に仕事をくれて、私に教育と成長を与えてくれた。お母さんだよ、ちゃんと、立派な、誇りの……」


 ……そうか。

 だったら助け出さねぇとな。


「俺はダンジョンに行く」

「え? なんで?」

「ベルナを隠すのに一番都合が良くて、一番見つかりにくい場所だから」

「……確かに」

「お前とネオンは商会の力を総動員して街中を全力で探せ」

「ちょっと待って、あんた一人でダンジョン全部を探す気? ダンジョン内がどれだけ広大だと思ってるの、魔獣だって大量に居るのよ?」


 分かってるさ。

 だから俺じゃねぇとダメなんだ。


「心配するな。俺にとって魔獣は敵じゃねぇ。シュリア、街の捜索はお前に任せた」


 シュリアは涙を拭い、立ち上がる。


「分かった」


 覚悟のある良い目をしたこいつには子供らしさはあまりなかった。



 ◆



 俺はダンジョン内の白い部屋まで全速力で戻って来た。

 するとビステリアとエルド、それにリンカも戻ってきている。

 他の三体の上位種も揃っていた。

 しかし一度死んだことで彼等の【恐解の約定ゾルドルート】は解除されている。


「ネル、ベルナのことですね?」

「あぁ、探すのを手伝ってくれ。ダンジョンに居る可能性がある」

「すでに行っています。魔獣の視覚情報にアクセスし目撃情報を集めています。確かにベルナはこのダンジョン内に居るようです」

「やっぱりか……」

「しかし現在地の特定にはもう少し時間が掛かります。ネル、今の内に契約を進めては?」


 エルダーリッチ、餓鬼の救世主ゴブリンブレイバー泥性粘魔液マッドネススライム天空獅子グリフォン


 ここにはその四体が揃っている。


「彼等の力はベルナの捜索、奪還にも役立つでしょう」


 まだこいつらを召喚する術式は使えない。

 しかし【恐解の約定ゾルドルート】の対象にさえなっていれば遠隔の命令はできる。

 それはこいつらが命令権を持つ配下の魔獣へも電波する。


「分かった。お前らもそれでいいんだな?」

「あぁ構わない」

「構わわねぇぜ。灼骨の……いや、ネルの旦那」

「キュウ」

「よければ儂と此奴にも名を与えて欲しい」

「分かった」


 【恐解の約定ゾルドルート】を四度、こいつら全員に発動させる。


「エルド、ソウガ……泥性粘魔液マッドネススライム=ラムス、天空獅子グリフォン=リクウ。白龍討伐までの期限付きの隷属じゃなく、お前たちは今から俺の配下だ」


 スケルトンとゴブリンは膝を折り、スライムは体をできる限り低く広げ、グリフォンは頭を地へ付けた。


「ネル、ベルナの現在地を特定しました。山岳地帯、元はオーガロードの根城としていた山脈から伸びる洞窟の内部です」


 俺が最初に白龍に殺された時、元々は山岳地帯の異変を調査するという依頼だった。

 オーガロードが発生したのは白龍という危機による種の生存本能かと思っていたが、どうやらオーガロードは白龍が原因で発生したわけではなく、ストレ大迷宮の未踏破領域に隠れていたみたいだ。


 しかし復活している上位種は未だこの四体のみ。

 オーガロードを復活させるにはまだ迷宮内の環境調整ができていないのだろう。

 だからその間も抜けの空になっていたオーガロードの住処を誰かが発見し、ベルナの誘拐に利用しているといったところか。


「ネル様、私も行きますよ」

「リンカか。まぁ、戦力が多いに越したことはないな。頼む」

「はい」


 今の俺には魔力が足りてない。

 それを補うにはこいつらの力が必要だ。


 四体の上位種、そして俺とリンカの六名で俺達はビステリアが発見したベルナの所在地へ向かった。



 洞窟の中は薄暗かった。

 壁面から覗く発光石の僅かな灯りを頼りに俺たちは進んで行く。


 すると少し広めの空間に出て、


「なんだお前?」


 そこには武装した人間が数人待ち受けていた。

 全部で十五人か……

 隠れてる奴は……居ないな。


「ここに居るベルナを返して貰いに来ただけだ」


 俺がそう言うと男たちは武器を抜き始める。

 俺たちが自分たちの味方ではないと気が付いたらしい。


「付与――【魔転吸刃エーテルスティール】」


 ソウガから模倣したこの魔術は、剣戟を交わした相手の魔力を奪い自分の物に変換する術式。

 今の俺が真面に魔術を行使するためには必須の術式だ。


「そんな女はここには居ねぇな」

「女なんて俺は一言も言ってねぇがな」

「ッチ、やっちまえ!」


 剣、短剣、槍、弓、盾と武装のレパートリーは豊富な集団だ。

 魔術師風の奴も数人見える。

 だが、今更それがなんだ。


 ――俺を殺したいのなら、龍くらいは連れてこい。


 剣士の一撃を紙一重で避ける。

 撃ち放たれた水と氷の魔術を火球で撃ち落とし、前衛を盾にすることで射速の早い魔術を牽制する。


 頭上から飛び掛かってきた小柄な短剣使いを魔力障壁でいなし、剣を振るって弾き飛ばす。

 魔力吸収率は悪くない。

 相手の魔力量によるところはあるが、大体一撃で火球一発分の魔力は回収できる。


 まぁ、それでも上限を増やせるわけじゃないから消費魔力の多い術式は使えない。


 地道に削って行こう。


天馬の加護ペガリレス 千の夕凪サイレス 真色の風鈴フロンティア


 魔力効率向上。

 術式処理量削減。

 属性力強化。


 最大詠唱で術式を使用することで、少し強めの魔術も一応使える。


「術式合成【蒼炎球】」


 指先サイズまで凝縮させたその魔術を、緩やかな速度で剣士へ向け進める。


「うおっ!」


 一瞬の驚愕と共に剣士が後ずさる。

 それを見て軌道を変更。

 加速と共に弧を描く起動で後衛の中心へ叩き込む。


 剣士の体が盾になっていたせいで俺の魔術に気が付いていなかった後衛は、対応できずに爆炎に飲まれた。


「もういいか」


 こいつらの力量はおおよそ理解できた。

 冒険者の階級で言えば銀級から白銀級ってところだろ。

 元々俺は聖銀級という白銀級の二つ上のランクだった。


 こいつらに負けるとすれば『数』と『魔力総量』だけだが、連携能力もそこまで高いわけじゃなく【魔転吸刃エーテルスティール】で魔力は回収できる。


「もういい。お前ら、制圧しろ」


 俺の言葉に従って魔力を隠していた五名が姿を現す。

 エルド、ソウガ、ラムス、リクウ、そしてリンカ。


「魔獣……だと?」

「ここは安全地帯じゃなかったのか!?」


 もとはオーガロードの住処だ。

 そこに寄り着く魔獣は居ないだろう。

 だがそれはオーガロードと同格であるこいつらには適応されない理屈だ。


「ネル様、私たちを控えさせて威力偵察をするなんてお遊びが過ぎますよ。相手が想定より強かったらどうするつもりだったんですか?」

「その可能性を考えてるから一人で様子見したんだ。俺だけなら逃げるのは簡単だしな」

「それでも今のネル様を一人で行かせるのには抵抗があります。私のことも少しは信用してください」

「そうだな。いや、信用してないわけじゃねぇよ」


 たった数カ月のことではある。

 けれど獣人の成長速度というものは俺の常識を凌駕していて、リンカは驚くべき成長を遂げていた。


 こいつは本当に強くなった。


獣魔纏伏じゅうまとんぷく【黒狼】」


 変貌を始めるリンカを追い抜いて、俺は奥の通路へ向かって歩く。


 けれどリンカは尋常ならざる速度を持って、旋風と共に俺の横を通り抜けて俺が歩みを進める前に前方を塞いでいた敵を昏倒させていった。

 この力を使い熟せるようになった今のリンカは、すでに今の俺より強い。


「全員気絶させ、後の拘束は魔獣の皆さんにお任せしてきました」

「あぁ、よくやった」

「この先にも敵が居る可能性があります。今度は私も最初から戦いますからね」

「ったく、分かったよ」


 俺とリンカは並んで通路を進んで行く。


「あの、ベルナさんという方はどういう人なんですか?」

「あー、そういやお前会ったことなかったっけ?」

「はい。ネオンさんやビステリアさんから話は聞いていますが、実際に目にしたことはないです」


 まぁこいつがベルナに会わなきゃいけないような都合もなかったしな。

 そもそもリンカは修行のためにほとんどダンジョン内で過ごしてたし。


「あいつはまぁ、頭の良い女だよ」

「ネル様は随分とその方を信頼しているのですね」

「そう見えるか?」

「はい。だってこの数カ月、ネル様が街に行く時は決まって彼女に会いに行くためでした」


 日用品や調味料、それに衣服の調達も全部ベルナのところでしてたからな。


「分かってるんです。私はネル様に助けられてばかりで、起きたのも全部が終わった後で、今だって弱体化したネル様より少し強い程度の力しかない。私は未熟で貴方に期待される資格なんてなくて……」

「リンカ」

「……はい」

「俺はそもそも誰にも期待なんかしてなかった」


 そもそも自分の能力以外のものに依存したって人生ってのは碌な結果になりゃしねぇ。


 他人に時間を掛けたとしても、その他人が俺の元からいつ消えるのかなんて分からないんだから。


 自分テメェの人生と添い遂げてくれる人間は、自分テメェだけだ。


 その考えは今でも変わらない。


「だけど、俺は他者から感じた幸福の返還もできないような人間にはなりたくない。だから俺はお前と一緒に居る。そもそも、街に行ってベルナと会うのは多く見積もっても週に一回くらいだろ。お前と会う頻度は『毎日』じゃねぇか。一々嫉妬してんじゃねぇよ」

「嫉妬なんて……別に……」


 俺から目を逸らしたリンカは、少しだけ口角を上げて……


「決めました。私は強くなります。ネル様よりも、誰よりも……」

「言うようになったじゃねぇか、やってみろ」

「はい!」


 通路を抜け、俺たちは洞窟の最奥へ足を踏み入れる。

 そこには確かに目的の人物が居た。


「ベルナ……」


 いつか見たことのある首輪を嵌められ、両手両足を鎖で縛られた裸の人間。

 それを見下し冷酷で可逆的な笑みを浮かべる人間。


「なぁガレス、お前は私のなんだ?」

「はい、わたくしめは貴方様の従順な犬にございます!」


 スゥ……


「見なかったことにして帰るか」

「そうですね……」


 裸のおっさん。

 ガレスとか言っていた街一番の商会の会長だ。

 それがベルナの奴隷になってやがった……


「ネルか、まさか助けに来てくれたのか?」

「そりゃ来るだろ。つうかどういう状況だ?」

「ガレスが私に何かすることは読めていたからな。こいつに私の隷属術式を込めた首輪を流し、私にそれを使うように仕向けた。当たり前だが、開発者である私に【恐解の約定ゾルドルート】は通用しない」

「操られたフリをして逆にそいつを隷属させたってわけか……」

「そういうことだ。もう少し時間はかかるだろうがこいつの心を折り切って、ベレアス商会はミカグラ商会に吸収される」


 ってことはそもそも俺は要らなかったってわけだな。


「それでネル、そっちの彼女は?」

「あぁ、紹介しておくよ。こいつは俺の……」


 さて、なんと言うのが正解なのだろうか。

 少し考えたが一つしか思いつかなかった。


「弟子……ってところかな」

「リンカと申します。ネル様がいつもお世話になってます」

「ベルナ・ミカグラだ。私はネルの……今は友人と言ったところかな」

「そうですか……」

「あぁ、二人とも助けに来てくれてありがとう」


 ベルナの救出は思ったよりも苦労することなく達成された。



 ◆



 その後も特別目立った問題が起こることはなく日々は経過していく。

 ミカグラ商会はベレアス商会を吸収合併したことで迷宮都市ストゥーレの最大手商会となり、次は国一番の商会を目指すらしい。


 シュリアはあの後も、ベルナが母親だと知っていることを隠している。

 俺もそれをベルナに伝えることはしなかった。

 互いだけで解決するべき問題だと思ったから。


 シュリアの成長は凄まじかった。

 誘拐の件で商会を纏めてベルナ捜索の指揮を執ったことで、部下からのシュリアへの印象が少し変わったらしい。

 シュリアはどんどんベルナの仕事を引き継いでいき、ベルナと似た覇気を宿すようになった。


 俺とリンカ、それにネオンは商会の用心棒として雇われたが、日々の生活は殆ど変化することはなく平穏平和な日々が流れていく。


 問題は、俺は四体の上位種を召喚する術式を完成させた以外は一切強くならなかったということだ。

 現在の魔力量。そして四十に迫るこの体では今の技量を維持するのがやっとだった。



 ◆ それから更に五年が経過した。



 ベルナと俺の身体は齢四十を超えた。

 そして、今までの心労が祟ったかのように。

 ベルナは突然倒れた。


 その病は『癌』と呼ばれ、魔術を含めた今の医療技術では治療できないものだった。

 ビステリアにも確認したが、ビステリアが現在解放されている技術レベルでは回復させることは不可能という結論を出された。


 ベルナに呼び出されて屋敷の中のベルナの部屋へ行くと、年相応に皺の増えた顔でベッドに横たわるベルナが居た。


「ネルか、来てくれたんだな」

「あぁ」


 見舞いに持って来たバナナを剥きながら、俺は短く答える。

 俺はあまり人をあの世に見送ったことがない。

 大体、俺の方が先に死ぬから。


 剣の師匠と……あとは、遠い昔に一人くらいだ。


「もうあまり猶予はないみたいだから、最期にお前の顔が見たくなった」

「そうか」


 バナナを一口頬張りながらそう答える。


「お前が食うのか」

「いるか? 食いかけだけど」

「いる」

「……まぁ、いいけど」


 ベルナが上体を起こすのを支えながら、俺はベルナの口へバナナを運ぶ。


「ネル……お前はこれからどうするんだ?」

「あの白龍を倒してからは、目標が明確だった時がねぇ」


 いや、そもそも白龍を倒したいと願ったあの瞬間から、俺の目的はブレていた。

 魔力逆流の後遺症があったとしても何かできることはあったはずだ。

 だが俺はリンカの修行を見てやったり、商会の仕事を手伝ってやったり、リンカやネオンやシュリアやベルナとどうでもいい買い物に出かけたりもした。


 今の俺は本質的じゃない。

 その自覚があるのに、この時間に甘えている。


 挑戦を止め、保身に走り、脳神経の成長が止まったように、年齢相応の弱さが浮き上がっている。


「俺は弱くなっちまった……」

「私もだよネル。シュリアを残して……お前を残して逝く自分の弱さが口惜しい」

「お前は立派だと思うよ。底辺からここまで昇ってきたんだから」


 術式の開発者としての異才も。

 経営者としての努力も。


 家族を思いやる愛情も。


 どれも常人には難しいことだと思う。


「そんなことはないだろう。私は世間的にも、母親としても、失格者だ。街一つを血の海へ変え、母親としての責任など何も果たしていない。自分の娘に自分が母親だと名乗ることすら憚れる、愚かな人間だよ」

「世間とか一般とか知らねぇよ、ただの俺の感想だ」

「……お前からそう言われるのが一番嬉しいよ」


 俺にとってこの女はなんだ?

 前世ではただのパトロンだった。

 対戦相手を用意して、寝床や武器を提供してくれる存在。


 ただそれだけの、互いに利用するだけの関係だったはずだ。


 それがいつ変化した?

 どうして俺はこいつが居なくなるという現実がこんなに嫌でたまらない?


 これが……残される人間の気持ちって奴なのか?


「ネル」


 ベルナが俺の手の上に自分の手を重ねる。


「私は……」

「なぁ、結婚しようぜ」

「……」


 目を見開いてベルナが俺を凝視する。

 その表情は驚愕に染まっていた。

 数舜の間を置いて、ベルナは優しく微笑む。


「ありがとう。でも断るよ。お前を私で縛るわけにはいかない」

「……そうかい」

「それにお前は誰かのものになるような玉じゃないだろうしな」


 ベルナが俺の手を引き寄せる。

 弱々しいその力に、けれど俺は反発することなくされるがまま。

 ベルナは俺を抱き締めた。


「愛しているよ、ネル。汚れたこの身を認めてくれてありがとう」

「お前のどこが汚れてんだよ。……今回だけだ」


 俺もベルナを抱き締め返す。


「今回の人生だけは、お前のために生きてやる」

「だったら安心だな。シュリアを頼むよ」



 ◆



 部屋を出ると、壁に背を預けてシュリアが立っていた。


「一度だけ、呼んであげる」

「何を?」

「お父さん……」


 シュリアは俺と入れ替わりでベルナの私室へ入っていった。


 屋敷の外に出るとそこではリンカが待っていた。


「ベルナさんの様態はどうでしたか?」

「変わらねぇよ。そんなに長くはなさそうだ」

「……そうですか。どうしますか? これから」

「あいつの残したモンを守る。シュリアも商会も、全部だ」

「だったら私も手伝います」

「お前には関係ねぇだろ」

「ですね。でも、私は強くならないといけないから、貴方と一緒にいなければいけないんです。少なくともネル様の『今世』は私の修練に利用させて貰います」


 結晶から出て五年近く経っているというのに、リンカの見た目は全く変化していない。

 少し髪型と化粧が変わった程度だ。


「そうか、勝手にしろ」


 その一週間後、ベルナはあの世へ旅立った。


 それから俺は全力でミカグラ商会の拡大のためにできる全てのことをやった。


 シュリアの手腕はベルナから引き継いだ商会をどんどん成長させていき、それに暴力的な介入を目論む全ては俺とリンカとネオンで潰した。


 ミカグラ商会は全世界に名を轟かせる大商会になった。


 ベルナが死んで五年後、まるで緊張の糸が解けたように、俺の身体が異変を起こした。


 それは魔力逆流の後遺症による魔力量減少、それから更に派生した魔力耐性の低下に伴った魔力の過敏症が原因だった。

 魔力に充てられ、身体機能が異常を起こす。


 この世界に魔力が充満している以上、今の俺がその症状を克服することは不可能だった。


 人化の術を使ったとはいえ、ダンジョンの魔獣であることに変わらない俺は死ねばダンジョンに魔力として還元される。

 ビステリアの元で療養していた俺に見舞いに来てくれた三人それぞれへ俺は別れを告げた。


 二十代後半の良い女に成長したシュリアには転生のことは話していなかった。

 このまま黙っていてもよかったが、少し罪悪感のようなものを感じて、素直に話した。


「それじゃあいつでも私の商会を頼りなさい。あんたなら料金はタダでいいから」


 シュリアはそう言って微笑んで俺を送った。


 ネオンは聖剣の影響か姿が十八歳程度のまま固定されていた。

 思えば歴代も殆ど今のネオンと同年代の見た目だった気がする。

 どうやら『勇者』というものは歳をとらないらしい。


「またいつか会える時を楽しみにしてるよ、ネル」

「だったらあんまり無理して死ぬなよ?」

「それは……約束はできないけど、憶えとくよ」

「お前が正しいかは知らねぇけど、少なくともお前は良い奴だったよ」

「……ありがとう、ネル。またね」


 ネオンもまた俺に微笑む。


 そして最後の一人。


「ネル様……」

「なぁリンカ、一つ聞いていいか?」

「はい」

「どうしてお前は歳をとらない?」


 目を伏せて、リンカは言い淀む。

 その反応を見て、俺は殆ど確信していた。


 ネオンは聖剣の担い手で、ティルアートはネオンのことを『勇者』と呼んだ。

 ティルアートには聖剣を担った人間を『勇者』にする機能があるってことだ。

 勇者は老化しない。


 そしてティルアートとビステリアは同種である。


「お前はビステリアと契約したってことか?」

「ネル様を越えるには長大な時間が必要だと悟りました。私にはビステリアさんから提案されたこの方法しか思いつかなかった」

「あいつらは人間じゃない。あいつらの行動は常に自分たちの利益のためだ。それを理解しているのか?」

「はい。それでも私はまだ生きたい。少なくともネル様が終わるまで、貴方を一人にはさせたくないんです」


 リアと同じだ。

 リンカは俺と対等になろうとしてくれている。


 ならば、俺には認めるほかにない。


「ネル様、最期に見て逝ってください」


 リンカは拳を構える。

 その体内の全魔力がうねり始める。

 それはまるで『龍』が渦巻くように。



「終奥――【龍拳】」



 白い部屋の一部が大きく抉れる。

 壁面に巨大なクレーターを作ったその一撃は、形こそ違えど間違いなく『龍太刀』と同じ原理で放たれていた。


 それを見て俺は思った。


 あぁ、満足だ。


 もうこの生に未練はない。


 それよりも早く俺は新たな人生を始めたい。


 リアと、リンカと、対等で在るために。


 リアを越え、リンカに追い抜かされないように、俺はもっと強くならなければならない。


 目を閉じる。


 俺の身体はそれ以降、一切の運動を停止した。



 齢四十七歳、このダンジョンに生まれて十三年。



 俺は死んだ。


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