洞窟から出た俺たちは飛行魔術によって空からダンジョンを見下ろしていた。
湿地、森林、山岳に分かれたその景色は、確かに俺の知るストレ大迷宮の環境と酷似している。
それに地下のアンデッドが出る洞窟があるというのも確かにストレ大迷宮の情報と一致する。
「元々、我と同じ権限を保有する者は五体存在した。それぞれがそれぞれの種族を率い生存競争を繰り返すことで進化を促しダンジョンの戦力を上げる、そういう意味でこのダンジョンはバランスの取れた設計だった。しかし七十年ほど前にどこからともなく現れた白い龍がその一角を絶滅させたことでダンジョンは衰退を始めている」
「なるほどな。で、その龍はどこに居るんだ?」
「山岳地帯の山の頂上だ。基本眠っていて、起きるのは侵入者が来た時のみだ」
なんだそれ、飯やクソはどうしてんだ?
まぁ、気にするほどのことじゃないか。
そんなことを考えながら俺の視線は、飛行魔術の移動も自然と山岳地帯を向いていた。
何度もここを訪れた。
一人で訪れたことの方が圧倒的に多いのに、このダンジョンについて俺は色々なことを知っているはずなのに、それなのに……
どうしてリンカの顔を一番多く、鮮明に思い出すのだろう。
「はぁ……」
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。それよりあれがそうだよな?」
近付いたことで大きく見えるようになってきた山岳地帯の方を指差す。
そこには三つの山があり、一番高い真ん中の山の頂上に確かに巨大な白い龍が鎮座している。
「あぁ、あの龍はあの場所から動かない。まるで何かを見張っているかのように」
「じゃあちょっと行ってくる」
龍の姿を見ればそれは一目瞭然だった。
あれは間違いなく六度目の俺の人生を終わらせた龍だった。
自分の仇だ。報復するのにそれ以上の理由なんかいらないだろ。
あぁ、いらないはずだ……
リンカはあの龍のブレスから逃げ切れたのだろうか。
その後は龍の脅威から逃げ切れたのだろうか。
もう七十年も前のことだ。
獣人の寿命は多く見積もっても八十年もない。
生きてる可能性なんかほとんどをない。
というか、天寿を全うして死んだのなら、満足できて死んだのなら、それで構わない。
けれどもしも、あいつの命をあの龍が奪ったのだというのなら……俺は百の命を捧げてもあの龍を殺す。
最初はめんどくさがってたはずなのに、最近他者を慮る気持ちが強くなってる。
きっとリアに会ったからだ。
まぁ、知らねぇ奴にまで気を配る気は全く湧かんけど。
「待て、何を言っている? 聞いていなかったのか? あれはどうやっても勝てない相手だ。このダンジョンの全ての魔獣が徒党を組んでもあのドラゴンには敵わない。そんな存在だ。それに挑むと?」
リアと出会い、あいつに対する未練が自分の中に多量に残っていることを知った。
同時にリンカやヨスナに対しても、俺の中には未練があると自覚した。
どれだけ忘れた振りをしようとも、どれだけ引き剥がそうとしても、その顔やその名前、その声を忘れたことはない。
俺は確かめたい。
あいつ等がちゃんと幸せに死ねたのかを。
俺は自分を納得させたい。
俺を殺した龍であり、リンカを殺したかもしれない龍を殺す。
この敵意は、俺の転生人生で一番強い殺意だ。
「行ってくる。お前は着いて来なくていいぞ」
そう言い残し、飛行魔術を最大速度にして龍が根城とする山の頂上へと向かう。
このダンジョンの中で最も雲に近いその場所は、俺がオークロードを殺し、そしてこの白龍の息吹によって焼却された、その場所だった。
「てかそもそも【魔力逆流】でヘロヘロだった俺に留め刺しただけの分際だろうが。横取りの漁夫の利で、俺に勝った気になってんじゃねぇよ」
俺の声なんか聞こえてないだろう。
仮に耳に入ってても意味なんか理解してないだろう。
それでも、接近する俺を視界に捉えたその龍は体勢を起こし大口を開く。
「
魔力効率向上。術式処理量削減。魔力一点集中。
三種の詠唱を重ね合わせ、俺はその息吹へ対抗するべく術式を構築していく。
「フゥゥゥゥ……」
咆哮というよりは
「――【蒼炎龍咆】」
対する俺の魔術は龍の肉体を経験したことで習得したブレスの模倣。
されど三種の詠唱によって強化したこの術式の火力は、龍だった時の
――白い光線と蒼い
あの時は抵抗の余地もなく消滅させられた。
俺の全力の龍太刀でも軌道を若干曲げる程度のことしかできなかった。
しかしそれは龍太刀が劣っていた訳ではない。
面を圧殺するブレスに対して線を切り結ぶ龍太刀では範囲が足りなかったという話だ。
同じ龍のブレス。
それも俺に可能な最大詠唱を乗せれば、その効果範囲は奴の光線に並ぶ。
「さぁ、」
双方のブレスは対消滅する形で終了した。
「こっからが本番だ」
魔剣【龍太刀】を骨の腕に重ねて召喚しながら飛行術式で熱気によって歪む空を駆け抜ける。
ブレスとは龍にとっての奥義のようなものだ。
一息に体内の空気のほとんどを使うその一撃は、とてもじゃないが連射できるような代物じゃない。
「お前がぶっ殺してくれたおかげだ。俺は三度の転生を果たして強くなったぞ」
付与――【蒼炎】。
魔剣召喚による龍太刀の発動は、龍太刀が『他魔術と併用できない』という唯一の弱点を克服している。
「――蒼炎・龍太刀!」
俺の放った蒼い炎を纏う飛翔する斬撃に対し、白龍は腕を宛がうように上げた。
少し距離が長すぎたか、速射性能が飛びぬけて高い龍太刀も遠くから撃つならその分到達に時間が掛かり、相手に対応する
だがこの技は剣聖『タガレ・ゲンサイ』が開発した奥義だ。
その名である『龍太刀』とは龍を断つの意。
人の身では決して到達できない天災に挑もうと研鑽を積んだのは俺だけじゃない。
あの偉人はもう故人となったが、それでもこの技は俺が生かす。
「龍を殺すほどの威力はないがそれでも、龍が最強と呼ばれる最たる所以である【鱗】は――もう無敵じゃなくなった」
俺の太刀筋を受けた腕の鱗が切り裂かれ、そのまま手首が切断され大地へ落ちる。
付与された炎によって焼かれた傷口を眺めながら白龍は喘ぐように鳴いた。
「フゥゥゥゥ……!?」
あぁ、行ける。
俺はこいつに勝てる。
ブレスという極意を凌ぎ切り、一刀でその腕を斬り落とす。
俺の今までの全てが俺の力量を作り上げている。
死の経験が――
生の体験が――
俺に消えることのない火を灯す。
己の
次の一撃で奴の両腕を殺す。
次は翼か胴か、それとも背中か尻尾か……
何れにしても、このまま頭か心臓を抉るまで放ち続ければいい。
それを白龍も理解したのだろう。
焦ったように大きく翼を広げていく。
よく見れば通常の龍種とは違いこいつには後ろ脚がない。
樹の根のような一本の尾があるだけだ。
逃げたいのか?
無駄だ。その巨体と飛翔速度じゃ俺の斬撃からは逃げ切れない。
西洋のドラゴン、東洋の龍、どちらにも見られない二翼と一本尾のそれは滞空を始めたが、俺はそれへ向けて更に【蒼炎・龍太刀】を叩き込んで行く。
白龍の身体にはいくつもの焼け跡が刻まれていく。
鱗が次々と剥がれて大地へと落ちていく。
圧倒的な攻撃力を持つ息吹。
圧倒的な防御力を持つ龍鱗。
「両方潰されれば、もう取れる手は残ってねぇか?」
勝利とは強さを証明する唯一の手段だ。
俺の逆転した思考回路は、それでも勝利の美酒の度数を忘れてはいないらしい。
翼も尾も身体も、幾つもの斬痕と焦げ跡が残るその姿で、白龍は飛翔していく。
「まさか逃げてんのか? 龍のクセに? ふざけんなよ……」
俺は龍の自負を知っている。
圧倒的な全能感と自信を覚えている。
そんな種族がスケルトン如きにビビッて逃げる?
「恥を知れよ。爬虫類」
これで最後だ。
首を狙う。
「蒼炎・龍――」
「フゥゥゥゥ」
「フゥゥゥゥ!」
「フゥゥゥゥ……」
「フゥゥゥゥ?」
「あ?」
上を見ていた俺の死角。
下から飛び掛かってきたそれは、まるであいつの身体をそのまま縮小したかのような魔獣だった。
何体……何十体居やがる……!?
つうか、どっから湧きやがった?
あいつが何かしたなら俺なら確実に気が付いてる。
今の鋭敏になった魔力感知を誤魔化してこんな芸当は……
「ッチ、剥がれた鱗が媒体かッ……!」
よく見ればこのミニ龍共はあいつが鱗を落とした山頂から飛来している。
剣を薙ぎ迫って来るそいつ等を撃墜していくが数が多すぎる。
線でしか攻撃できない龍太刀じゃ相性が悪い。
とは言え、俺の最大火力である【蒼炎龍咆】も無詠唱でこいつ等を全滅させるには至らないだろう。
そもそもの問題は俺の飛行魔術の速度じゃこいつ等を振り切れないってことだ。
今すぐにでも白龍本体を追いたいってのに……
そもそもあいつは逃げてどうする気なんだ……
「なんだと!?」
恨みを込めて白龍へ睨んだ瞬間に気が付いた。
腕を、爪を天へと伸ばし雲の上へと逃げようとする白龍――
手が再生してやがる……
超速再生に自己複製……そんなの龍の能力じゃねぇ。
人間の魂が転生した訳でもねぇ普通のドラゴンがそんな特殊な魔術を会得しているとは考え難い。
あいつ……本当にドラゴンなのか?
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇ。再生するってことは逃げられちまったらまた最初からってことだ。
「クソが!」
白龍に龍太刀を無理矢理に飛ばす。
しかし、雑魚共が軌道上に無数に配置されていて威力が減衰されていく。
白龍へと到達する頃には龍の鱗を突破するような攻撃性は失われていた。
ダメだ。
龍太刀じゃこの状況を打開できない。
無理なのか?
やっぱりこの身体じゃ……人間やスケルトンじゃ……龍には勝てないのか?
生まれ持った肉体の性能こそがその強さを確定させるのか?
――ネル様と出会えて幸せでした。もっとネル様と一緒に居たいんです。
違う。俺の人生が無価値だなんてことは到底納得できやしねぇ。
あの龍は俺が殺す!
「魔剣召喚――解除。飛行術式――解除」
重力に従って落下を始めるのと同時に残りの魔力の半分をブチ込んで術式を構築する。
「
左手の平を大地へと向け、完全詠唱で俺の最大火力をぶっ放す。
「反動軽減無効化――【蒼炎龍咆】!!」
術式に組み込まれた反動軽減効果を意図的に排除することで、反動による俺の身体の移動を可能とした。
最大火力を推進力へと変換し、飛行術式では実現できない超スピードを手に入れる。
身体の負荷は凄いわ魔力消費はアホだわで真面に使えるやり方じゃない。
「追い付いたぞ――」
「フゥゥゥゥ!?」
ミニ龍を振り切り、刹那の速度で龍の懐へと到達した俺は右手にもう一つの術式を構築させる。
龍太刀じゃこの速度のままタイミングを計って振るうのは無理だ。
「
だがこの魔術なら、掌を敵に向けたまま突撃するだけで蒼炎龍咆の推進力を上乗せした衝撃を発生させられる。
「ブハッ!!」
腹部に俺の魔術がクリーンヒットしたことで発されたその声は悲鳴か絶叫か。
同時に口から何かが飛び出して落下地点が爆発音を発した。
龍の規模にもなると痰を吐くだけで凄ぇ破壊力だな。
だが少なくとも手応えありだ。
腹は龍の鱗で守られていない弱点。
モロに魔術込みの掌底を叩きこんだ。
人間なら腹を破裂させてるところだが、奇妙な特性を持っていても龍は龍。
斜め上に吹き飛んでいくその巨体は未だ原型を留めている。
「ッチ……」
まだ倒し切れてねぇ。
まだ奴は逃げようと翼をバサバサと揺らしている。
けど魔力がもう残ってねぇ……
逆流を使うか?
いや、身体の方ももう限界だ。
これ以上【蒼炎龍咆】による超速移動を行えば骨が砕ける。
人化の法で身体を再生させればもう少しは動けるか?
ダメだ。奴には再生能力がある。
逆流によって魔力を得られる時間は長くない。
俺の猛攻を掻い潜られれば、後遺症によって再戦は叶わない。
奴隷の時は後遺症なしで復活できたが、あれは偶然みたいなもんだ。
奇跡が何度も起こることに期待するのを全力とは言わない。
どうする……?
雑魚も迫って来てる……
考えてられる時間は長くねぇ……
「多重詠唱【氷槍・雷線】!」
迫っていたミニ龍が雷撃を浴び、氷の槍に貫かれ、墜落していく。
「エルド……なんで来た?」
「我は確信した。其方であればあの龍を倒せると……」
「当たり前だ。あいつを倒すのが俺がここに居る最大の意味になる」
この迷宮の魔獣に転生した理由は分からない。
俺の術式に干渉した誰かの意志も、その目的がなんなのかは分からない。
だが、関係がねぇ。
俺は俺の進化のために、俺を殺し、リンカの仇かもしれないあの龍をブチ殺す。
「故に其方を失う訳には行かぬ。あの龍の強さを知ったはずだ。特異性を理解したはずだ。我が居れば、もっと多くの仲間が居れば、あの幼龍は撃墜できる。其方と白龍の一騎打ちを邪魔するものを排除できる」
「長ぇ。つまり何が言いてぇ?」
「一度
強さとは俺にとって『結果』だ。
俺にとっては結果だけが重要だ。
あの龍に勝てるなら、強さの種類を問う気はない。
それに強さの証明以上の感情で俺はあの龍を打倒したいと願っているんだから、ここで退くだけでアレを倒せるなら今は……頷こう。
「……分かった」
「感謝する」
そう呟いたエルドは様々な魔術を使ってミニ龍を撃ち落としていく。
「炎剣」
剣を模した巨大な炎で一閃し、
「水鏡」
水によって作り出した複製によって敵を攪乱し、
「
見えない刃で敵を奇襲し、
「岩兵鉄拳」
大地から巨大な腕を造形し敵を殴り飛ばす。
今使って見せたものだけで六属性の術式を使った。
エルダーリッチは確かに魔術に優れる魔獣だが、ここまで多様な魔術を使えるものなのか?
つうか、
「お前、俺とやった時は本気じゃ無かったのか?」
「いいや、本気を出すまでもなく勝てないと悟っただけだ。実際今使って見せた魔術をどれだけ上手く使っても其方に勝てぬであろう?」
「九割以上、そうだろうな」
「我は不吉で薄汚いアンデッドだ。卑怯も矜持不足も今更で、其方の言った可能性は諦めるには十分な確率だ。だが可能性とは状況により変動するものだ。勝てないのなら問題を先送りにすることで
何もない骸の瞳で俺を見ながらエルドはそう語り、片手間にミニ龍を倒していく。
「逃げるぞ。キリがねぇ」
「あぁ、我もそう言おうと思っていたところだ」
互いに飛行術式を起動し、俺たちは山岳地帯から離れていく。
「もう追って来てねぇか。降りるぞ、魔力がキツイ」
「どうやらあの幼龍は親を守るために行動するらしいな」
森林地帯の上空でそう話ながら、木々が薙ぎ倒された見晴らしの良い場所を見つけ、俺たちは示し合わせた訳でもなくそこへ着陸した。
「白龍が唾飛ばしてたとこか」
「唾……? 違うぞ、これはあの龍が持つエネルギーの補給手段。体内で生物を飼うことによる恒久的な魔力生成……その能力の副産物である『生きた生物入りの結晶標本』だ」
地面に空いたクレーターの中を覗き込めば、確かにエルドの言う通りそこには人一人が余裕で入りそうなサイズの結晶体が鎮座していた。
なるほどね、ずっとあの山頂から動かずにどうやって餌を取ってるのかと思ったが、そもそも餌が必要ない体質を持ってる訳か……
飯を食ってねぇなら排泄も必要ないだろうしな……
俺と同じように生命維持を魔力で補完してるんだろう。
ますます龍には似つかわしくない能力だが。
「じゃあこいつはあの龍に食われて魔力の製造装置として腹の中で飼われてた哀れな魔獣か冒険者……………………………………………………………………………………」
「あぁ、そうだな。この獣人の娘もまた、あの龍が現れたこの七十年のいつかに食われ、魔力を生成するだけの装置として生かされてきたのだろう」
その結晶を覗けば、それは明白だった。
「それであの龍を倒すための方策についてだが、其方に少し会って欲しい相手が居るのだ。幼龍を倒すための数を揃えるためにもその者との会話は必要だと…………どうした?」
足が震える。
おぼつかない足取りで、それでも自然とその結晶との距離が近づいていく。
結晶に触れながら、その顔を見れば――いいや、見る前から明らかだった。
「リンカ……」