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9「取捨選択」


 決着までは数分だった。


 まずは足場の感覚が消失した。

 俺が空に立ててたのはリアが空気を圧縮して俺の足場を形成してくれていたからだったらしい。

 落下を防ぐために浮遊の魔術を発動させた頃には呼吸ができなくなった。


 息を止めて動ける時間は数分。

 激しい運動をすればその分制限時間は短くなる。

 単純な剣術で比べればリアの能力は俺より低い。

 だが、流石に呼吸困難かつ相手にのみ足場が存在する状態での戦闘となれば、俺に勝てる見込みは皆無だった。


 唯一の希望となったのはやはり他の魔術と併用できない龍太刀だ。

 浮遊の魔術を解除さえすれば落下しながらでも出せる。

 だがリアはこの空間を解除しない限りそれは使えない。


 龍太刀の発射速度と切断能力は俺が使用可能な全魔術の上を行く。

 おそらくリアにとってもそれは同じだろう。

 防御も回避も難しいこの一撃ならリアに戦闘継続不可能なダメージを与えられる可能性はある。


 魔力は底を尽いている。

 体力も残り数秒と持たないだろう。


 だけど諦めたくない。やめたくない。

 何を捨てても挑んでみたい。

 絶対に勝てないと思わせるこの魔術ぜっけいに。


 黄金の魔力が俺を包む。

 それはいつか見た諸刃の魔力。


 俺はこの人生を捨ててでも、全力でリアへ挑みたい!


 だから魔力不全の危機があっても、それでも俺は体内の魔力をうねらせて、刃へと収束させた。


 終奥――


 キン――!


 は?


 ……俺の龍太刀は完成までは至らなかった。

 剣を鞘に納め、その技を繰り出そうとした時、剣の尻に抑え込むような強い力を感じた。


 この空間に存在する全ての風を操る魔術によって俺が斬撃を放つために腕と剣を振るうための空間の風を凝固させられたのだ。

 魔力を練り上げタイミングよく剣を振らなければ龍太刀は完成しない。


「またね。今度はお前の方から会いに来てよ」


 リアが俺にそう呟く。

 同時に、加速したその身体は一瞬で俺の目前にあった。

 風を纏った拳が俺の鳩尾に突き刺さる。


「カハッ――!」


 俺の呼吸は限界に達した。



 ◆



「くっそ……」


 目が覚めるとそこはいつもの牢屋じゃなかった。

 転生した? いや、身体はリアと戦った時と同じものだ。


 ふかふかのベッドの上で、視界の中には豪華なシャンデリアがあった。


「だから言っただろう。棄権した方がいいって」


 ベルナが横から顔を差し込んでそう言ってくる。


「冗談だろ。棄権なんかしてたら一生後悔することになってた」


 本当に凄かった。

 今の俺じゃ何をしても負けていた。

 どうすればその境地へ至れるのか想像もできない。


 精霊眼という特異な才能。

 長命種の圧倒的な時間の蓄積。

 しかもリアは俺と違って肉体のリセットが発生しない。

 一々魔力や身体能力を鍛え直す必要がない。

 その習熟速度は十年のラグがある俺より速くて当然だ。


 とはいえ、あいつも相当努力したんだろうけどな。


「一生の後悔か……もし死んでいたらそんな感情すら抱けなかったんだぞ」


 そう言ってベルナは俺に水の注がれたコップを手渡してきた。


「一週間も眠りこけやがって……全く世話をやかせる奴隷だよ」

「一週間?」

「そうだ。医者が言うには体内の魔力の殆どを使い尽くして、それでもまだ魔力を練ろうとした結果らしい。一生魔術が使えないレベルの障害くらい覚悟しておけと言われたよ」


 二度の龍太刀。龍のブレスの模倣。それ以外にも魔術を多用した。


 今の俺の身体はマシになったとはいえそこまで多くの魔力を宿していない。


 確かに最後の龍太刀を撃てたのは魔力を逆流させたからだ。

 しかし、それにしては……


「けど……問題はなさそうだ」


 魔力の状態を調べてみるが阻害される感覚は全くない。

 通常通り魔力を使うことはできるだろう。

 寧ろ以前より魔術の発動速度が上がってる気さえする。


 魔力の逆流現象を起こすのは二度目だ。

 まさか、無意識に身体が壊れない魔力操作を行ったとでも


「問題ない? そんな訳ないだろ、良く見せてみろ」


 そう言ってベルナはベッドの上に身体を上げて、俺の頭を抱き寄せて目を合わせてくる。


「おい、俺は負けたんだぞ」

「これはご褒美じゃなくて検診だ」

「お前に魔力の異常が感知できるのか?」

「無理だな」


 じゃあなんの時間なんだよ。


「離れろよ」

「なんだ? 昨日までとまるで態度が違うじゃないか。もう反抗期か?」


 確かに、この身体は未だに母性を求めている。

 だけど今は、罪悪感みたいなものを感じる。

 肉体の求めるものと記憶の求めるものの乖離。

 面倒な話だが、うまく付き合っていくしかない。


「うるせぇな。つうか今更だけどここどこだよ?」

「お前の宿だよ。牢は嫌だと言っていただろう?」

「マジか? やったぜ」

「扱い易い時と扱い難い時の差が天と地だな。まぁしばらく剣闘士は休め。街も自由に出歩いていいから」

「なんだよそれ、俺はまだまだ戦いたいぞ」

「それは無理だな」

「なんで?」

「一位も二位もあのエルフに半殺しにされて、全治二週間以上かかるそうだから」


 リア……ストレスでも溜まってたのか?

 族長補佐とか忙しそうだしなぁ。



 ◆



 リアは俺に勝った翌日に二位を、その翌日に一位を倒して街を出て行ったそうだ。

 しかしリアの規格外の実力を見せられればその事実も納得できる。

 自分よりも下の順位の奴と戦うことが無意味とは思わないが、今はリアとの記憶を濁したくない。


 ベルナの言葉に頷いた俺は、街に出ていた。


「あ、ネルじゃん。なにしてんの?」


 声を掛けられた方向に顔を向けるとネオンが俺に手を振っていた。

 俺の返事を待つこともなくネオンは俺の方へ駆け寄ってきた。


「いや~、会場で見てたけどこの前は残念だったね。怪我はなかったの?」

「昨日まで寝てたけど、まぁ身体に異常はねぇな」

「そっか、それは良かった」


 純粋な笑みを浮かべ、ネオンは俺に微笑む。

 負けた相手を一切の混じりけなく純粋に労い心配できる。

 それがこいつの異常性せいぎかんなのだろう。


 そりゃ聖剣サマに選ばれる訳だ。


「それにしても凄かったよねあのエルフの人、あんな魔術見たこともないよ。ていうか結界のせいで肝心なところ見れなかったから聞きたいな」


 エルフの人という言い回しが正しいかどうかはさておくとしても、リアのことを他人にペラペラと話す気はない。

 それはベルナ含め誰であっても同様だ。


「あ、なんか私地雷踏んだ?」

「別に、あいつのことは誰かに話すつもりはねぇってだけ」

「そっか、じゃあ聞けないね。それじゃあさ、今日はどこへ行く予定だったの?」


 俺の顔色を見て話題を変えようとするネオンは少し意外だった。

 もっと図々しい性格かと思ってたから。


「なんかお前って思ったより普通なんだな……」

「何それ、私のことなんだと思ってたのさ」

「偉そうな奴」

「何それ……一応言っておくけど私だって怒る時は怒るんだからね?」

「俺にしてみれば、誰かを助けてやろうなんて思考回路がもう既に偉そうにしか感じられねぇんだよ。けど、思ったよりは人の話を聞ける奴だった」


 聖剣所持者もあまり人の話を聞かない奴が多かった。

 自分の正義を貫く代償とは得てしてそういうものなのだろう。

 例外はヨハンくらいだ。

 あいつは自分を疑える人間だった。

 まぁ、俺だって人に言えるほど人の話を聞いてねぇけど。


 今のネオンからは少しヨハンに似た気配が感じられた。


「君に負けたからかな。私の信じていたものがどれだけ幻想的だったのか、少し分かったんだよ」


 真面目な表情で俺の首輪を一瞥し、ネオンは気を使ったように笑みを浮かべ直す。


「……そうか。じゃあ行くか」

「え?」


 人との関わりなど無意味だと思ってた。

 今でも俺を強くするのは俺だけだと信じてる。

 だが、リアという高みを知ったことで俺の熱量は確実に増した。


 リンカが、ヨスナが、ベルナが、ヨハンが、俺に強くなる切っ掛けを齎したことは事実だ。


 だからって訳じゃない、これは俺の単なる気まぐれだ。


「実はベルナから外出の許可が今日初めて出てな、街のことなんか殆ど知らんから案内してくれよ」

「え? うん! 勿論だよネル」



 ネオンと街を歩いていると何人もの人間に声を掛けられる。

 露店の店主に、別の剣闘士に、冒険者や鍛冶師……奴隷すら……


 その誰もがネオンに感謝や応援を送っていた。


「この前はありがとう。良かったらこのみかん持ってって」

「おぉ、ネオンの嬢ちゃん。俺の店で武器買ってけよ、あんたには恩があるから安くしとくぜ」

「先日は助けていただいてありがとうございました。お陰で主人に怒られずに済みました」

「ネオンちゃんだ、今日も素振り見せてよー!」


 一緒に歩いてるだけで疲れるほどに、こいつはこの街の住民から人気がある。

 けれど、皆がネオンに期待して感謝していたとしても、そいつらどうしはそうじゃない。


「奴隷なんかと仲良くしない方がいいぜ」


 とネオンに耳打ちする奴が居る。


「あそこの店は奴隷を差別するんです」


 とネオンに懇願する奴隷が居る。


 誰かが罪のない誰かを貶めようと言葉を発す。

 その度に、ネオンの目尻がピクリと震える。

 バグったカラクリのように、どちらに味方するべきなのか判断できないのだろう。


 それでもネオンは笑みを作って答える。


「私は皆に幸せになって欲しいんだ」


 と。



「ごめんねネル、いつもはここまでじゃないんだけど……」


 人の少ない通りまで移動し、俺たちはベンチに並んで座った。

 するとネオンは俺にそう謝ってくる。


「別に気にしてねぇよ。街のこともなんとなく分かったしな」

「そう言ってくれるとありがたいよ」

「けどあんな奴等の願いを一つ一つ聞いてもキリなんかねぇだろ」

「だとしてもだよ。今すぐには無理かもしれないけどさ、いつか奴隷だとか差別だとか、そういう意識を皆が考え直してくれるようになるかもしれないでしょ?」

「俺にはそんな未来は想像できねぇな……」

「……だとしても、私にはそれ以上の方法が思いつかないんだ。それに誰かが困ってるのを見て見ぬフリもできないでしょ?」


 こいつの願いが叶おうが叶いまいが俺にとってはどうでもいいことだ。


 なのに無性にイライラする。

 俺は想いの力って奴が嫌いなんだ。

 目的がないと強くなってはいけないと、強くなることはできないと、そう言われているようだから。


「なんでお前がそんなことする必要がある?」

「したいから。それにこの剣を拾っちゃったんだから、皆の幸せのために使いたいじゃん?」


 それはヨハンが語った戦う理由と全く同じだった。


「俺は……救おうと思った人間全員救って来た人間の言葉なんて信用しない。全てを救えると思ってる人間には取捨選択なんてできないからだ」


 普通の人間の数倍の時間を持つ俺が、半分も歳を食っていないリアに負けるように。


「自分の全てを投げ打っても、それでも届かない場所はある」


 勝利をもたらすのは、何かを捨てる強さだ。


 人生を繰り返す俺は、強さのために命を擲ってきた俺は、きっと誰よりも知っている。


「だから、全てを手に入れようなんて思考回路は人生を嘗めてるとしか思えない」


 俺の目をジッと見つめ、ネオンは黙って俺の話を聞いていた。

 憐れむような、慈しむような、それでいて悩むような。


 そんな不安の濃い顔でネオンは言った……


「君は、何を失った時に始まったの?」


 その言葉は酷く鋭利だった。

 嫌でも思い出す。最初の人生を。

 絶望という奇跡より発現した俺の属性。

 怨念によって生み出された転生の術式。


 それでも過去には戻れない。

 それでも死人は生き返らない。


 だから俺にできるのは、それを越えたと自己満足して死ぬことだけだ。


「まぁいいや……私みたいなぽっと出に事情を詳しく教えてくれる訳ないよね。だから、今はいいや。それよりその剣って新しい奴だよね、何か特別な効果とかあるの?」


 ネオンは俺に深入りしてこない。

 相手の感情を察する能力が高いんだろう。

 俺には備わっていない能力だ。


「あぁあるぞ、魔剣師専用の特別な効果が。まだ使い熟せてないんだが……」


 今はその優しさに甘えることにした。



 ◆



 それから四年。

 俺は一位と二位の剣闘士を打倒し、この街の最年少かつ最強の剣闘士になった。


 今、この街で俺と真面に戦えるのは二位に昇格したネオンだけだ。

 聖剣の力を向上させていくネオンの成長速度は俺に迫っていた。

 しかしネオンとも七戦やって俺が七勝している。


 俺は未だ、リア以外に負けていない。


「ネル……」


 俺が年間契約している宿屋の最高級部屋で、ベルナは酒の入ったグラスを傾け呟く。


「よくやってくれたよ」

「一回負けちまったけどな」

「あれは事故みたいなものだ。それにあのエルフは四年も前に街を出て行ったんだからもう関係ないさ」

「それにしても珍しいな、お前が酒を飲むなんて」


 こいつは意外と真面目な奴だ。

 次の日も、その次の日も、いつだってこいつには仕事があって、前日前夜からそれに備えている。

 だから酒を飲んでいるところは初めてみた。


「飲みたくもなるさ。先日ファミリーの幹部集会があってな、次のボスは私に決まったよ」


 俺という広告塔を手に入れたベルナは奴隷商として大成した。

 今やこの街に存在する奴隷の八割がベルナの首輪をつけている。

 その数ざっと三万人。

 街の人口の三割だ。


「これで私の夢が叶う」

「叶う? 叶った、じゃないのか?」


 俺はベルナの目的はマフィアのボスになってこの街を牛耳ることだと思っていた。

 奴隷商として大成し、貴族よりも上の財力とそれに匹敵する権威を手に入れる。


 それが最終的な目標だと思っていた。

 だが、ベルナの答えは俺の想像とは違った。


「ここは未だ道中だよ」


 ベルナは窓から見える夜空を眺めながら、静かにグラスへ口を付ける。


「なぁネル、頼みがあるんだ」

「なんだよ」

「ベフトとソナの店に行って予約していたものを取ってきて欲しい」

「お前の部下に行かせればいいだろ」

「生憎今日は私がボスになったことを記念するパーティーをしていてな、私が今パシれるのは奴隷くらいなんだよ」


 リアとの対戦以降、俺には街を自由に歩く許可が出ている。

 ビルドラムの地図は憶えてるし、あの二人の店に行って帰ってくるくらいなら十五分も掛からない。


「めんどくさ。何を持って帰ればいいんだよ?」

「行けば分かる、頼んだぞ」

「はいはい。分かったよ」


 部屋を出て行こうとすると、ベルナの腰に目が行った。

 ベルトにいつもはなかった鍵束が付いているのが見えた。


「その鍵なんだよ?」

「女の変化に気が付ける男はモテるらしいぞ。夜道は危ないから剣は持っておけよ」


 話を逸らすようにそう言ったベルナは、俺から視線を外して窓をみやり酒をグラスに注ぎ始める。

 詳しく教えてくれる気はなさそうだ。



 宿屋を後にしエルフとドワーフが経営する稀有な武器屋の戸を叩く。

 今やこの店は、最強の剣闘士の武器を造った名店だ。


 二十秒ほどして「誰だ?」と声がかかり、俺が「ネルだ。ベルナの荷物を取りに来た」と返すと戸が開く。

 そこには寝巻き姿の二人が立っていた。


「こんな夜遅くにどうしたんだ。ベルナから依頼なんて受けてないぞ?」

「よぉ坊主。そういうことだ、ベルナの勘違いじゃねぇのかい?」


 勘違い?

 あの仕事人みたいな女が?

 いや、酒に酔ってればそういうこともあるか。


 全く、余計な手間取らせやがって。


「そうか。邪魔したな、ちゃんとベルナに確認してくるよ」

「おぉ、そうしてくれ。そういや坊主、俺たちが造ってやった剣の調子はどうだい?」

「悪くない。本気も少しだけ使えるようになった」

「流石チャンピオンなだけあるなぁ」

「もうか……十年はかかると思っていたが本当に神童だったらしいな」


 年齢詐称してるだけだけどな。


「長居しても悪いしもう行くよ。じゃあまた」

「あぁ、いつでも武器の調整をしてやる」

「なんでも言っていいぞ。なんせ俺たちは最強の剣闘士様の武器を造った街一番の武器屋だからな」


 快活に笑うベフトと静かに笑みを浮かべるソナに会釈し、振り返ろうとした……



 その瞬間――首輪からベルナの命令こえが頭に響いた。



【己が主を殺せ。実行後、もしくは命令有効時間内にその実行が不可能だと判断した場合、己が首輪を外せ】



 魔術師としての直感が告げている。

 これは俺へ向けた物じゃない。


 この声はベルナの製作した首輪を持つ『全ての奴隷』へ向けた命令だ。



 俺は、即座に自分の首輪をぶっ壊した。


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