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第28話 それぞれの選択

蒼井さんへ (20XX年10月2日)

Mail from :平川篤史

Title:お願いの件および近況報告

添付ファイル:きみが還る夏・txt


平川です。

久しぶりです。

元気にしてますか。

何も異常はないか?


報告が二つある。


まず、きみの故郷(きみはそんな風に呼んで欲しくないかもしれないが)を訪れた折にお願いされた件に関して。


文章にまとめてみた。

遅くなってしまってすまない。

適当にタイトルを付けて添付ファイルで送る。

時系列が前後しているかもしれんが自分なりに努力したので勘弁してくれ。


公開することに関しては悩んだ。

あの事件で俺の相棒を失った。

俺のせいで死なせてしまった。

詳細は誰にも語ったことはない。

語っても誰にも信じてもらえない。

だから俺の中だけにしまっておこう。

そう固く決めていた。


だが、きみに関わってきみと一緒に奇怪な現象の解決にあたるようになってからその信念が揺らいだ。

きみはきみが見て感じたものを事実として受け入れ、それを真っ直ぐに見ることを躊躇しない。

しかし俺は、自分で見て聞いたものしか信じないと言っておきながら、それは口先だけであって実は信じていなかったことに気づいた。

自分に嘘をついていたことに気がついた。

だから、あの忌まわしい事件を自分の中で肯定するためにも公開してくれて構わない。

タイトルも好きなように変えてくれ。


それから、刑事を辞めることにした。

辞表はすでに提出してある。

辞める理由に関しては、やはりきみと関係がある。


赤い自転車事件以来、自分の常識と価値判断が覆されっぱなしだった。

相変わらず幽霊や妖怪などこれっぽっちも信じてはいない。

しかし、きみと共に(戦友として)行動し、自分の理解を超えたものの存在を肯定し、刑事としてではなく、自分にしかできないことをすべきではないか、自分の能力を活用することで救える人がいるのではないかと考えるようになった。


ただ、正直に言えば、警察組織における出世がこれ以上は望めないという事情もあるにはある。(笑)


きみが理由と言ったが、きみのせいではないから気にしないでくれ。

これは俺が決めた俺の選択だ。


きみに会えて良かったと思っている。

ありがとう。

そして、妹さんのこと、すまなかった。


追伸

先生、今後もご指導よろしく。



 例年より短い梅雨が終わり、夏になった。テレビをつけると毎日のように今年は酷暑だとまくし立てていたが、その夏も旅行するでもなく、ただ日常のルーティン(猫遊びを含む)をこなすのみで淡々と過ぎていった。


 怪異体験の取材についてはまあまあといったところ。体験者に直接会って取材するスタイルは変わらないが、メールやネットからの取材も同時に進めている。


 夏が逝く頃には、あれほどうるさかった蝉の声も途切れがちになり、朝晩には涼しい風が吹くようになった。しまってあった秋ものの服を取り出し、代わりにクリーニングから帰ってきた夏物をしまう。ピートの毛並みも、気づかないうちに、触るとほんわりした秋仕様に変わっていた。


 街の雑貨屋の店頭にオレンジ色のカボチャのオーナメントが並び始めた頃、平川さんからメールが届いた。そのメールにはテキストファイルが添付されていた。


 わたしのかつての故郷への旅の際に、"なんでもする"と言った平川さんへ、それならばとわたしはあるお願いをした。そのお願いとは、平川さんが断片的に仰っていた、ご自身が関わった奇怪な事件の詳細を教えて欲しいというものだった。それは平川さんの左手が魔を宿す原因となった事件でもある。


 メールによれば添付ファイルはその事件の顛末らしい。とりあえず読んでみないと何とも言えないが、公開するか否かは平川さんとよく話し合って決めたいと思う。


 刑事を辞めるという報告には驚いた。平川さんと共に行動(戦友として)していた頃はそんなことは一言も仰らず、そんな素振りもなかった。だからいきなりの報告に接して、まさかという思いが強い。


 しかし、辞める理由に関しては納得できるものが無くはない。わたしたちが体験した魔は理解を超えていた。現場、現実主義の現職の刑事ならばなおさらだろう。


 平川さんはわたしのことを自分で見たものをちゃんと受け止めていると言ってくれるけれど、それは過大評価だ。わたしの理解力なんていとも簡単にオーバーフローしてしまう。受け止められる量には限度があるのだ。そしてその限界は自分で満足できるレベルではまだまだない。


 錆まみれのココア缶に入っていたフェルトのうさぎとぞうはわたしの部屋にある。湿気とカビによる傷みが酷かったが、可能な限り綺麗にしたつもりだ。


 人さまに見せるような状態ではないけれど、わたしにとってはかけがえのない宝物であり、こうして手元に戻っただけで嬉しい。


 小さなフェルトの象に刺繍された"りおん"の文字。あの時、魔坑から現れた莉音の手を強く握り、何があっても決して離さないつもりだった。しかし繋いだその手を莉音が振り解いてしまった。穴の底に消えていく莉音から届いた言葉は……"ありがとう"。


 今はもう、莉音の助けを呼ぶ声は聞こえない。莉音の夢も見なくなった。なぜなのかわからない。


 確かに言えるのは、わたしには"ありがとう"なんて言われる資格はないということだけだ。


 今年もハロウィンがやってくる。思えば赤い自転車事件も一年前の今頃の出来事であり、初めて平川さんに会ったのもその時だった。会ったばかりの頃は、それこそベテランの場慣れした刑事そのもの。とっつきにくい印象でちょっと怖かったのを覚えている。それから一年経った今はどうだろう。あの頃が嘘のように、戦友なんて呼ばれる関係になった。


 そう。関係。わたしとあの人の関係とは、なんてつらつら考えてみる。


 あの人にとってのわたしは戦友でよいのか、と思わなくもない。しかし、それじゃあどうしたいのかと、もしも誰かに聞かれたら、すぐには答えられないだろう。


 あの人と一緒に、いろいろ信じられないようなものを現象を、見過ぎた、知りすぎた、深く奥深く、人智の限界の向こうまで一緒に行った。そんな関係を卑近な言葉で表現するなんてわたしにはできない。だからあの人が言った「戦友」は言い得て妙であると思う。


 そういえば、"見つからない家"の場所を教えていただいた田中さんへ、お礼を兼ねて事後報告をしようとメールしたのだが、メールサーバーよりNot foundで戻されてしまった。メアドしか知らないので連絡手段がなくなってまったわけだが、おそらく麗子さんの妨害工作だろうとわたしは思っている。


 あの恐ろしい守護者が、田中さんの妻として一緒に暮らしている場面を想像しようとしたが、まったくイメージできなかった。自分の夫が魔坑に関わってしまったのは何かの手違いなのだろうか。もしやそれすらも、広く張り巡らされた蜘蛛の糸の一本だったのだろうか。まあ、疑ったら切りがないのだが。


 守護者が語った言葉の中で、なぜかそこだけ聞き取れない箇所があった。あれは何だったのかとあとになって考えた時、聞き取れなかったのは禁忌だったから、禁じられた言葉だったからなのではと思い至った。そのきっかけは田中さんからのメールである。


 田中さんは"見つからない家"が見つからないのは、そこが禁じられた場所だからと考察している。禁忌、行ってはいけない場所。だから見つからないと。


 守護者はおそらくわざと禁忌の言葉を織り交ぜた。なんらかの意図のもとにさりげなく…罠を仕掛けた。その罠はなぜか発動しなかった。


 もしもその禁忌を聞いてしまったら、わたしはどうなったのだろう。わからない。わからないことだらけだ。だからきっと続きがあるのだと思う。あの時、わたしに「また会いましょう」と言った意味は、おそらくそういうことだ。


 麗子さん=守護者とは、またいつかどこかで関わるのでは?と覚悟している。ただし「肥やし」にされるのだけは、全力で辞退したい。



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