地方にいる親戚が亡くなったと嘘をついて、三日間の休暇を勤務先へ申請した。行ったら戻って来られないかもしれないし、死んでしまうかもしれない。その可能性は高い。それでも行くのかと自分に問う。帰ってきた答えはYesだ。迷いはなかった。
行けばすべてがわかる。行かないと答えは見つからない。わたしが関わってしまった魔の連鎖の根っこがそこにある。その中には自分自身の問題も含まれている。だから行かねばならない。たとえわたし一人でも、行くと決めた。
平川さんへ大西麗子について電話で報告したところ「やはりか」と冷静に返されてしまい、拍子抜けした。
「やはりって、予想してたんですか」
「ああ。手掛かりは全部きみの文章の中にあったよ。まあ聞いてくれ。想夏さんが蒐集した怪異体験はすべて繋がっていると仮定する」
「すべて? いくらなんでもそれは」
「だから仮定だって言っただろう」
「ああ。はい」
「"見つからない家"が重要なキーであることはわかっている。だからその体験者である田中氏の妻はどんな役割なのかと考えた」
「なるほど」
「田中氏は自分の妻について"幼い頃から人には見えないものが見える"と言っている。他の体験談の中に、そういう能力がある人物がいれば、それは同じ人間だろうと考えた」
その部分は忘れていたけれど、平川さんに指摘され"見つからない家"の怪異談を読み返したところ、確かに田中さんはそうおっしゃっていた。メインは"見つからない家"のエピソードだったので、そこはわたしの記憶からこぼれ落ちていた。
「それが……」
「それが"ぶつかる女"だった」
「そうだ先生。大西麗子。彼女こそが"ぶつかる女"であり"見つからない家"の鍵を握っている人物であり、謎を解く手掛かりを握っている。そして大西麗子は俺たちがその事実に到達したことをなぜか知っている」
「近いうちに会える、というメッセージですね」
「ああ」
それはわたしも同じ見解だ。麗子さんはわたしたちが怪異の根っこを掴んだことを知っている。そして"見つからない家"を探し出そうとしていることも。さらに、わたしと平川さんが"見つからない家"に来るのを待っている。
「それで、いつ行きますか」
「うむ。それなんだが」
急に歯切れが悪くなった。そして短い沈黙のあとに聞こえてきた意外な台詞に言葉を失った。
「もうやめないか」
……えっと。聞き間違いかな。そうよ、わたしの聞き間違いに決まっている。やめるなんて、あの平川さんがそんなことを言うはずがないもの。
「すみません。電波が悪いみたい。もう一度言ってください」
「もうやめようと言った」
「やめる?! ど、どういう……こと」
「これ以上は危険だ。あの場所が重要なキーなら危険なのは間違いない。だろう先生」
「そ、そうだけど。でも」
「それに加えて大西麗子という得体の知れない人物がそこで待ち構えている」
「は、う、で、でもね。平川さん」
「危険であるとわかっていながら、きみのような一般人をみすみす危険に晒すことはできない。そんなことはできないんだ。わかってくれ」
すぐには言葉が出てこなかった。悔しい、裏切られたという思い、怒り、それらさまざまな感情が渦を巻いて、やがてそれが嵐となり、わたしを襲った。
ここまで来て、今さら一般人だなんて、ふざけないでよ。
やっと、やっと、ここまで来たんだよ。
「やっとここまで辿り着いたのに、考えて調べて、傷だらけになっても諦めないで考えて、あなたも一緒になって考えてくれて、やっとここまで来たのに」
「ああ。そうだ」
「それなのに、やめるなんて。それに今さらわたしを一般人扱いしても無駄よ。わたしはやめない」
「きみに行って欲しくないんだよ。これ以上、危険な目に合わせたくないんだ」
「わたしは行きます」
「怒らないで欲しいのだが、先日、きみの戸籍を調べた」
「は?! な、なんで今そんな…」
いきなり飛んできたまったく関係のない話に混乱した。頭が付いて行かない。
「本当は直接会って話したい。しかしすまないが時間が取れない。だから、いいか、よく聞くんだ」
「な、なんなの」
「きみには妹はいない。戸籍には子供はきみだけだ。きみは長女で一人っ子なんだよ」
何をを言われているのかわからなかった。意味がわからない。
妹が、いない?
「聞いているか? きみは自分のせいで妹さんが行方不明になったと思っている。その罪悪感がきみを動かしている。俺はきみを見てそう思った。怪異に立ち向かうきみの力もそこから来ている。だが、きみには妹なんていない。最初から存在していないんだ」
嘘だ。
嘘に決まってる。
莉音が存在しないだなんて、嘘っぱちに決まってる。
嘘なら聞かなければいい、
聞く必要はない、でもなぜか平川さんの無慈悲な声から耳を引き剥がせない。
「先生。聞こえているか。きみのご両親が仲が悪くなったのはご両親だけ問題だった。きみのせいじゃない。しかしきみは魔物によって妹が連れ去られて、それが自分のせいで、それが原因でご両親が離婚したと、そう信じたかった」
「ち、違う」
「だから存在しない妹を作り出し、莉音という妹がいると自分自身に信じ込また」
「違う! 違うわ! そんなことはない! どうしてそんなひどい嘘を言うの」
スマホに向かって、違うと何度も何度も叫んだ。違う。莉音はちゃんといる。あの時、わたしが怖気づかなかったら、今でも莉音は元気で、わたしと一緒にいられたはずなんだ。
ああ。ああそうだ、これは、この事実は動かせない。
「莉音が行方不明になった時、お父さんが警察に通報して、二週間以上に渡って捜索されたのよ。当時の、その記録は残っているはずです。警察以外にも新聞にも載ったわ。わたし見たもの。だからその記録を」
「そんな記録は無かったよ」
「う、嘘だ」
「俺は刑事なんだ。きみに言われるまでもなく、その辺もちゃんと調べたさ。地元の警察にも新聞にも、行方不明になった女の子の記録はない。だから捜索も行われなかった」
嘘だ。
嘘に決まってる。
嘘。
嘘よ。
そんなはずはない。
わたしもみんなと一緒になって探したんだから間違いない。
「先生。聞いてくれ。きみは妹のためにあの家に行こうとしている。行けば魔物から妹さんを取り戻せるかもしれないと思っている。だから危険であると知っていてもその決心は揺るがない。だがな。きみには妹はいないんだ。だから危険を冒す必要もないんだよ」
わたしは……わたしの心は揺るがない。わたしはわたしを信じる。自分を信じられないなら、この世に信じられる存在などいないんだ。だから、莉音はいる。わたしの大切な妹は、わたしが作り出した幻なんかじゃない。
りっちゃんと一緒に遊んだ日々は遠くなってしまった。わたしだけが歳を重ねていき、あの日々からどんどん遠ざかっていく。でもあなたはちゃんといた。あなたと遊んだ日が過去になってしまったとしても、あなたの思い出は色褪せずにわたしの中にちゃんとあるよ。りっちゃんはわたしの大切な妹なんだからね。
平川さんの話はまだ続いていた。もうこの人の話は聞かない。聞こえない。いらない。だからわたしは何も言わずに電話を切った。