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第20話 繋がる

 もう一度温まろう、などというのんびりした気持ちはどこかへ行ってしまった。あれは、罪悪感から来る幻。きっとそうなのだろう。


 ドライヤーで髪を乾かしながら、今日の出来事を振り返ってみる。


 平川さんは自分の能力をきちんと認めて正しく使っていると思う。過去に何があったのか、詳しいことは教えてくれない。自分のせいで同僚を失った、その時に魔と接した左手に魔を宿すようになったようだ。


 その左手は、まるで二つの磁石のプラスとプラスが反発するごとく、己の魔をもって魔を退ける。まさに毒をもって毒を制す。今日もその力のおかげで助けられた。


 そういえば、平川さんは結婚しているのかな。そういう話題が出たことはないけれど、何となく独身のような雰囲気がある。まあそこはどうでもいいか。


 パジャマに着替えてからベッドへ移動し、ノートパソコンを膝に乗せ、蒐集した怪異体験のデータベースを開いた。三年あまりの取材期間で百五十件というのは、実話怪談作家として多いのか少ないのか、まあまあなのか、他の作家の事情なんて知らないからよくわからない。


 さて、と。


 少し考え、ズラっと並んだ体験談の群れから、"見えない家"以前のものは検討対象から外す。この怪異体験が重要なキーでありすべての発端だと思う。だからその前に蒐集したものは除外しても構わない。以後のものだけを並べてみる。


1見つからない家

2ぶつかる女

3赤いあかいアカイ(赤い自転車)

4蠢く指

5黒いコート

6穴の底


 "霧の彼方"と"さくらさくら"に関しては、取材はしたものの、怪談としては弱いと判断したので、一般公開しなかった。ボツにした体験談が重要だったなんて皮肉な話だ。


 1、3、6は外そう。さらにラウンジで試したように、各体験談に出てくる語句を羅列してみる。するとこうなった。


2 ぶつかる女

   会社 同僚 一人住まい 友人  

4 蠢く指

   会社 先輩 

5 黒いコート

   会社 同僚 ロッカー 不倫 うわさ 雨


 三つとも「会社」が共通している。どれも会社での体験談なのだから当然といえば当然だ。眺めていてもそれ以外の共通点は見当たらない。どこかに見落としがあるのだろうか、それとも本当に関係ないのか?


 4には奇妙な経緯があった。こんな体験談を取材した覚えはないのに、いつの間にか音声データの中に紛れ込んでいたのだ。


 中身に関しては、短いがなんとも薄気味悪く、"絶妙に"後味も悪い。


 取材した覚えがないのに勝手に紛れ込んでいたのだから、語り手である若い女性の声の主がどこの誰なのか、いったいいつの話なのか?最近の体験なのかもっとも昔の出来事なのか?すべて謎である。


 4は除外してもよいだろう。とすれば、残ったのは2と5。


 5も薄気味悪さでは負けていない。体験者が見た黒いコートとは何だったのか。少なくともコートではなかったようだ。


 それでは、霊や、あの赤い化け物のような魔物なのかというと、そうとも言い切れない。


 鍵はロッカーの主の女性と、その不倫相手なのだろうが、体験者の恵美子さんはこの後に会社を辞めてしまったので、彼らがどうなったのか不明だ。それが後味の悪い理由の一つである。


 死んだ者だけが霊になるとは限らない。生きている人間も時には生き霊として現れる。そして死霊より生き霊の方が恐ろしい。


 その黒いコートは、おそらく生き霊なのだろうと、わたしは考えていた。


 どちらの体験談も、共通している点は、体験者が女性であること。そして勤務先の会社が関わっていること。そしてどちらも同僚の女性の話になる。しかしそれだけでは弱い。もう少し掘り下げてみよう。


 2の同僚は「大西麗子」であると、名前がわかっている。当然だがその部分は仮名に置き換えた…はずなのに、今見たらなぜか本名のままになっていた。


「おかしいな。そんなはずはないのに」


 迂闊な自分を呪いつつ、急いで適当な名前に置き換える。


 実話怪談作家としてはまだまだアマチュアに毛が生えた程度であると自覚している。しかし、本名や、場合によっては体験した場所を伏せるのは鉄則であり、わたし自身への信頼性に関わるから、今後の取材が不可能になってしまうような初歩的なミスをおかす自分ではない。でも。


 あり得ないミスであっても、やらかしてしまったのは事実として認めねばならない。体験者へ連絡して謝ろう。


 そこで、あれ、変だなと思った。取材ノートに連絡先が記入されていないのだ。取材後に何か聞きたくなった際に連絡できるように、必ず記録していた。それなのに空白になっている。これでは連絡の取りようがない。


 自分にしては有り得ないミスがこうも重なると、さすが違和感を覚える。


 キーボードに手を置いたまま、"ぶつかる女"を取材した時のことを、眠い頭で思い返してみる。


 体験者の名前は矢島さんだ。何かに怯えているように始終ビクビクしていた。急に振り返ったり、わたしの肩越しにどこかを見つめてみたり。でもそれ以外は顔も思い出せない。髪型も、どんな服を着ていたのかすら覚えていない。それどころか、どういう経緯で矢島さんの体験談を取材することになったのか、例えば相手から連絡してきたのかそれとも誰かの紹介だったとか、その辺の記憶があやふやだった。


 水を飲むために、ベッドから降りる。喉が乾いていた。時計を見ると0時を回っている。


 いきなり後ろからドンと突き飛ばされた。よろけた拍子に頭と肩を壁にぶつけてしまい、床にうずくまって唸る。今度は肩を小突かれて仰向けに転がる。


 見上げた目には、見慣れた天井しか見えない。仰向けになったまま、目だけを動かし、部屋の中をグルッと見回しても誰もいない。


 "ぶつかる女"を取材したあとにも同じような体験をしたのを思い出した。あの時は自分の部屋でなく街中の喫茶店だったが、急にそそくさと帰ってしまった矢島さんを見送り、自分も店を出ようとしたら後ろから誰かがドンとぶつかってきた。すみませんと振り返っても誰もいなかった。その時と同じだ。


 感染ったと思った。怪異体験を聞いたことにより、その怪異が自分の元へやってきたのだ。


 実話ならではの現象であり、そのぐらいは許容できないと怪異実体験の蒐集などできないと日頃から覚悟しているので、わたし自身が"ぶつかる女"になってしまっても、それほど驚かなかった。


 こんな時は逆らわない方がよい。正体を見極めようとしたり、ましてや反撃しようなどと考えない方がよい。


 そんな真似をしたら相手はエスカレートする。もっと酷い現象に見舞われる可能性だってある。まさに「触らぬ神に祟りなし」である。


 しかし……わたしと平川さんはその決まりごとを破ろうとしている。


 見えない怪異は、わたしがジッとしていたらどこかへ行ってしまったようだ。だから床から起き上がり、キッチンへ行って水を飲んだ。肘にあざができている。それに頭にもこぶらしき膨らみがあって触ると痛い。


 場所を選ばない、はた迷惑な怪異なんぞに関わってしまった自分が悪いので、文句は言えない。


 ベッドへと戻り、再びノートパソコンを膝に乗せ、さっきの続きを、と思ったら、平川刑事からメールが来ていた。


「"見つからない家"の場所を聞くついでに、その体験者に妻の名前を聞いてくれ。旧姓もよろしく」とある。


 どういうことだろう。


 夕方に会った時は、件の家の場所を特定しようとしたら、待てと止められた。体験者の奥さんの名前が何の関係があるのかわからないが、連絡を取ることについてはゴーサインが出たようだ。


 早速、体験者の田中さんへメールを送る。"見えない家"の場所については、自分でも探してみたいとかなんとか、まことしやかな理由を書ける。しかし奥さまの名前については納得してもらえそうな理由が浮かばない。


 さんざん苦しんだ挙句、以前にどこかでお世話になったことがあるかもしれないからなどと、ぎりぎりで嘘ではない理由をでっち上げた。


 では送信。


 すでに二時を回っていた。睡魔との戦いも限界が近い。続きは明日にしよう。


 疲れているせいもあったのだろう、横になった途端に、意識が眠りの奈落へと落ちていった。




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