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女の子は花柄の刺繍が施された白い半袖シャツに、デニムの短パンを穿いていた。
足元の白いスニーカーは真新しく、キラキラと光って見える。
背中に背負うピンクのランドセルには、小さな蝶が舞っていた。
空を見上げれば、どこまでも澄み渡る青い空が広がっている。
その青い空を、たくさんの白い鳥が群れを成して飛んでいった。
どうやらこれから小学校に登校するところらしい。たぶん、十歳かそれ前後だろうか。長い黒髪が風になびく。口元に浮かべた笑みが本当に真帆と瓜ふたつだった。
僕と真帆は思わず顔を見合わせる。
それからふたりして、乙守先生に顔をむけて、
「……これは」
と口にしたところで、乙守先生は「しっ」と口元で人差し指を立て、そして少女のほうを指さした。
僕も真帆も、もう一度顔を見合わせてから、少女に顔を向ける。
その時だった。
「――いってらっしゃい、マナ」
落ち着いた女性の声が聞こえてきたのである。
開け放たれたガラスの引き戸の向こう側、店の中から姿を現したのは――真帆だった。
マナと呼ばれた少女が真帆に大きく手を振ると、真帆も笑顔で手を振り返す。
少女は――マナは、今よりも色とりどりのバラが咲き乱れているバラ園の中庭を駆け抜けると、古書店側の扉を開き、いきおいよく飛び込んでいった。
「パパ、いってきます!」
楸古書店――その店内から聞こえてくるマナの声。
そして、
「いってらっしゃい、気を付けてな」
低い、けれど優しい男性の声。
「うん!」
たたたっと、その小さな足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
マナと入れ替わるように古書店の扉を抜けて中庭にやってくる、ひとりの男の姿。
「――っ」
その姿に、僕は息を飲み、目を見開いた。
白いシャツに黒い細身のパンツを履き、寝ぐせのついた短い髪をそのままに、うだつの上がらない印象の、鏡を見るたびに見ることのできるその顔は――僕だった。
それなりに年齢を重ねて少しばかりくたびれたような印象だが、けれどその表情はとても幸せそうに見える。
その僕は真帆のところまで歩み寄ると、にっこりと微笑む真帆のその肩に両手をやって――その途端、不意に世界が再びぼやけていった。
まるで靄や霧がかかったような状態になったかと思えば、先ほどまで視ていた独りぼっちの真帆の姿と重なり、廃墟になった魔法堂や町並みの様子が激しく入り乱れ、まるで壊れたテレビを観ているかのように、不安定な状態となっていった。
赤ん坊を抱く真帆、その傍らに立つ僕。棺の前で泣き崩れている真帆。独り寂しく森に佇む真帆。高校生の少女と笑い合う真帆。空に浮かぶ、赤く輝く巨大な炎の球を見上げる真帆。高校生くらいの少年の肩を嬉しそうに揉んでいる真帆。指輪を見つめ、涙を流す真帆。巨大な烏が暴れ回る町の中を駆けまわる真帆。幼稚園児くらいの女の子と手を繋ぐ真帆。崩れ行くビル群と、死屍累々に横たわる人々の姿を無表情で見下ろす真帆。榎先輩や鐘撞さん、肥田木さん、そしてお姉さんの可奈さんやアリスさんに囲まれて嬉しそうに笑っている真帆。燃え盛る炎の中を、裸足で彷徨う真帆。白いウェディングドレスに身を包み、スカートをひるがえしながら嬉しそうに微笑む真帆。長いくちばしに一つ目の、見たこともない巨大な怪鳥の群れと対峙する真帆。僕やマナ、そして若い少年と四人で車に乗り、ご機嫌に鼻歌を唄う真帆――
「な、なんですか、いきなり、これ……」
真帆が口にして、僕は眉を寄せながら、
「これも、真帆の未来なんですか?」
すると乙守先生は肩を撫でおろしてから、
「見せたいところだけなるべく抽出してみたんだけど……やっぱり駄目ね。どうしても、ここから先は色んな未来が混ざりあっちゃうのよ。さっきまで見せていたのは、私が視た中では一番幸せそうな世界。あの小さな女の子が産まれる世界」
「……マナちゃん、ですね」
真帆はちらりと僕に視線を向ける。
マナ――恐らく、僕と真帆の娘。
真帆によく似た、小さな女の子。
あの女の子が産まれる未来が、僕と真帆には確かにある、そう乙守先生は言うのである。
「えぇ」と乙守先生は頷き、「これがあなたのもっとも望んでいる世界、そうよね」
同意を求められて、真帆は僕にもう一度顔を向けた。
僕はその視線を受け止め、そして頷く。
もしそんな未来があるんだったら、僕も、当然――
乙守先生は見つめ合う僕らに、口を開いた。
「これが私の視た未来。天球儀が見せてくれたのは、ここまでだった。そして私はその天球儀の見せてくれた流れに沿って、私の望む方へ、あなたたちが望むであろう方へ導いてきたつもり。けど、あとのことはわからない。あらゆる未来が混在していて、何をどうすればよりよい未来へ向かえるか解らないから。だから、あなたたちがその答えを出しなさい。楸さんの――いいえ、あなたたち自身の未来を選びなさい。でもたぶん、今見た幻影も、これから出すあなたの答えも、この森を抜けた頃には忘れてしまっていることでしょう。けれど、魂に刻み込まれたそれは、決して消え去るわけではない。思い出せないだけで、なくなるわけじゃない。だから、安心しなさい」
それから一つ頷き、改めて、僕らに身体を向ける。
「――それじゃぁ、あなたたちの答えを、わたしに聞かせて」
僕と真帆はいま一度顔を見合わせ、見つめ合い、そして頷く。
それから乙守先生に向き合い、
「私は――」
「僕は――」