僕は思わず面食らった。確かに熊ではなかったけれど、彼女の身体はまるで熊のように大きかったからだ。
銀色の髪を頭の上でお団子にして、ぱっつんぱっつんの水色のワンピースに白いエプロンをかけている。見た目はどこにでもいそうな普通のお婆さん。けれどその身体の大きさに、僕は何だか威圧されてしまいそうだった。大きいとは言っても身長一八〇センチくらいだろうか。恰幅の良さが迫力を増していた。
「あ、ありがとうございます……」
カタリカタリと僕らのテーブルにケーキとコーヒーを丁寧に乗せていくその姿を、僕は思わずしげしげと見つめてしまう。
それに気づいたのか、おばさんはにっこりと微笑んで、
「あら、あなたは魔法使いではないのね」
「――え? あ、はい。そうです」
おばさんは「あらあら」と口にして、
「このお店に魔法使いじゃない人が来ることって、ほとんどないのよ」
「……そうなんですか?」
これだけ目立つ外観をしていれば話題に上りそうなものなのに、たしかに今までそんな類の話や地元のニュースすら見た覚えはない。おまけに僕と肥田木さん――と、真帆――以外にお客さんはおらず、どこからともなく、静かにオルゴールの曲が流れているだけだ。こんな雰囲気の良いお店なら、もう少しお客さんがいても良いだろうに。
どうしてだろう、と僕は店の中を軽く見まわす。
すると肥田木さんが教えてくれた。
「このお店、魔法使いにしか見えない魔法がかかっているんですよ。なので、普通の人からは山の麓のただの森にしか見えないんだそうですよ!」
「そうだったんだ――んん?」
でも、僕は魔法使いじゃないのに、ちゃんとお菓子の家が見えていたけれど……なんで?
首を傾げる僕に、おばさんは、
「きっと魔女のお嬢さんと付き合っているうちに、魔力に慣れてしまったんでしょうね」
それで魔法のかかっているはずのこのお店が僕の目にもちゃんと見えた、ということらしい。
ふぅむ、理屈はよくわからないけれど、なかなか興味深い話ではある。
納得したような、そうでもないような。
僕は気を取り直して、目の前のテーブルに眼を落した。
僕と肥田木さんの前には、それぞれ湯気の立つコーヒーカップが一つずつ。
けれどケーキ――恋人たちの甘いひと時はハートの形をしていた――は十二、三センチ程度のお皿にワンホールのせられていて、どうやらこれを一緒に食べることになるらしい。
ふむ、どうやって食べようか。まさかお互いに好き勝手フォークで突きながら食べるのもアレだから、とりあえず二つに割って食べればいいか。
軽い気持ちでハートを真ん中で二分割しようとしたところで、
「あらあらあら! ダメよ! そんなことしちゃぁ!」
まだそこに居たおばさんが、慌てたように僕の腕を掴んで止めた。
僕だって驚いてしまうじゃないか。
「ハートを割っちゃダメでしょう? 失恋しちゃうじゃないの! ちゃんとふたりで分け合いながら食べましょうね」
はぁ、と僕は軽く返事してから、
「じゃぁ、そうします」
とフォークでケーキをひと口ぶん適当に切って、口に運ぼうとして、
「あぁ、待って待って待って!」
ふたたびおばさんに腕を掴まれて止められた。
……もう、今度はいったいなんなんだ?
思わず眉を寄せながらおばさんに眼を向ければ、
「自分のフォークで食べちゃダメよ!」とおばさんは首を横に振る。「これはね、お互いに自分のフォークで恋人に食べさせてあげるってコンセプトなんだから!」
「えっと、それはつまり、僕が彼女にケーキを食べさせて、彼女は僕にケーキを食べさせるってことですか?」
「そのとおり!」
……ふぅむ、なるほど。恋人たちの甘いひと時、とはそういうことか。なるほどなるほど。
それを、肥田木さんの後ろに真帆がいるこの状態でやれってこと?
――マジで?
見れば、真帆がギロリとした鋭い視線をこちらに寄こしているではないか。
おいおい、僕にどうしろって言うんだよ。真帆が『恋人一日貸し出し券』なんてものを肥田木さんに渡しちゃったんでしょうが。そんな目で睨まれたって僕が困る。
僕は真帆のそんな突き刺すような視線を浴びながら、致し方ないとばかりに「それじゃぁ、どうぞ」と肥田木さんの方にケーキを刺したフォークを向けた。
「あ、はい! じゃぁ、お先にいただきます!」
肥田木さんはためらうことなく笑顔で言うと、「あ~ん」とその小さな口を大きく開けて。
「ぱくん! もぐもぐもぐ、美味しいですねぇ~!」
と頬を撫でながら口にしたのは、誰あろう真帆だった。
真帆が唐突に駆け出してきたかと思うと、横から割り込んできて、僕のフォークからケーキを食べてしまったのである。
「えっ! えっ! 真帆先輩っ?」
驚く肥田木さんを目にしながら、僕はなんとなくこうなるんだろうな、と予想はしていた。
たぶん、真帆はそこまでは許さない。それがちゃんと解っていたから。
「あらあらあら! これはどういうことかしら!」
それを見ていたおばさんも、目を白黒させながら、僕たちや真帆を何度も交互に見やるのだった。