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第6話

   5


「……すみません、ありがとうございます」

 榎先輩が、反省するように乙守先生に頭を下げた。


 夕暮れ時。僕たちはプラネタリウムを見たあとに場所を移動して、今は敷地内の宿泊施設である大きなコテージの一室に集まっていた。


「いいのよ」と乙守先生は小さく首を横に振った。「でも、今後は十分に注意するように。単独行動で大怪我なんてして動けなくなったら、どうしようもなくなっちゃうんだから。もしかしたら、誰にも知られずに死んじゃう可能性だってあるんだからね」


「……はい、気を付けます」


 僕は乙守先生が魔法を使うところを、正直初めて目にした。それと同時に、心の底から感心してしまう。あれだけ榎先輩の手足や顔にできていた無数の擦り傷や切り傷が、瞬く間に治っていったからだ。いわゆる治癒魔法とかいうやつだ。ゲームやアニメなんかではよく見かける魔法ではあるのだけれど、実際にここまで一気に治すような本物の治癒魔法なんて、初めて目にしたかもしれない。


 あのあと僕たちと分かれて近隣の遺跡や遺構を調べに行った榎先輩だったのだが、どうやらその遺跡――というか住居跡だった――が思っていたよりも山の中にあって、ひどく荒れ果てていたらしい。色々と調べているうちについ夢中になってしまい、すぐ後ろに急な斜面があることに気付かないまま、うっかり足を滑らせて転倒。そのまま山の斜面に沿って数メートルほど転落してしまい、全身傷だらけで戻ってきたというわけである。


 当然、僕らはその姿に驚いた。榎先輩は気まずそうにへらへらと笑っていた。まさか山の中を歩くことになるとは本人も思っていなかったのだろう、茶色い短パンに柄物の白い半袖Tシャツだったことも傷を増やした要因だった。


 慌てて僕らは榎先輩を部屋まで連れて行って、乙守先生に傷を見てもらったのだけれど、さすがは保健室の先生――いや、『保健室の魔女』だ。


「すまいな、榎。俺も同行するべきだった」


 頭を掻きながらばつが悪そうに口にする井口先生に、「何言ってんですか」と榎先輩は首を横に振った。


「先生は真帆たちの引率として来てるんでしょ? あたしの面倒まで見なくていいんだよ。全部あたしの不注意のせいだもん」


「とはいえなぁ――」


 なおも謝ろうとする井口先生をよそに、真帆は興味深そうに乙守先生を見つめながら、


「でも、本当にすごいですね、乙守先生」

 珍しく真面目な顔で、

「こんなに完璧に傷を治しちゃう魔法、私、初めて見ました。傷の治りを早くする魔法ならいくらでも見たことがありますけど……」


「そうでしょう、そうでしょう」と乙守先生も胸を張りながら、「だてに保健室の先生やってませんからね!」


「いやいや、そこ先生とか関係ないから」

 つっこみを入れたのは榎先輩だった。

「純粋に、そういう魔法が使えるだけで凄いって話でしょ」


「わたしも感動しました。どうやってるんですか?」


 鐘撞さんに問われて、けれど乙守先生は紅い唇に人指し指をあてながら、少しばかり困ったように、

「んー……、どうやってって聞かれると、正直困っちゃうのよね」


「どういうことです?」

 肥田木さんが聞き返す。


「つまりね、私にもよくわからないのよ。理屈なんて」


 出た出た、と僕は内心呆れてしまう。魔法使いにありがちなこと。それは自身が使っている魔法がどうしてそうなるのか、魔法を使っている本人にすらその理屈が解らない、ということである。


 非科学的である魔法はそれそのものがあいまいで、魔法使い自身の感情や気持ちに左右される。楽しい気持ちがなければ基本的には発動しない、と言ったのは真帆だったか。実際には楽しい気持ちに限らず魔法はある程度使えるようだが、その魔法を使う個人個人の精神に左右されるのは間違いないようだった。


「昔からそうだったのよねぇ。治癒魔法に長けていたっていうか、なんていうか。私もお勉強ができる方だったら、今頃は榎さんのひいお祖父さんみたいにお医者さんをしてたんだけど」


 まぁ、今はしがないただの保健師よ、と乙守先生は苦笑した。


 まさかこんなところで乙守先生の魔法を見られるだなんて思ってもいなかったので、乙守先生をよく知る井口先生以外の一同は、ただただ感心するばかりだった。


 これならいつ怪我をしても、いつでも乙守先生に治してもらえますね、と語尾に音符を付けながらニコニコする真帆がどんな無茶をしようと思っているのか心配しつつ、僕はそれをなるべく考えないようにしながら、榎先輩に訊ねた。


「それで、調べた住居跡で何かわかったこと、ありました?」


「そうだなぁ」と榎先輩は首を傾げて、「昔、あそこに魔法使いか魔女が住んでいたのは間違いないんじゃないかと思うんだよね」


「というと、何か見つかったんですか?」


「うん、まあね。ほら、これを見てみなよ」


 そう言って尻ポケットから榎先輩が取り出したのは、ボロボロになった何かの木片だった。木片、というか割れた竹みたいな感じがする。手のひらに収まる程度の大きさで、もはやそれがどんな形をしていたものなのか皆目見当もつかない。


「なんですか、これ」


「さぁ?」

 首を傾げる榎先輩。


「さぁって……」


「わかんないんだけど、とりあえずなんとなくうっすら魔力を感じるんだよね、あたしにも」


「そうなんですか?」


「ま、基礎魔力の低いあたしの感覚だから、どこまで信用していいかわかんないけどさ」


「そうですね」と頷いたのは鐘撞さんだった。「わずかですが、たしかに魔力が残ってます」


「これが何に使われてた何なのか、持って帰って調べてみるつもり」


 ふふんと満足そうに、榎先輩は笑みを浮かべた。


「――そんなことより、みなさん!」

 唐突に真帆がパンパンと大きな音で両手を打ち鳴らして、皆の視線が真帆に向かう。

「そろそろバーベキューに行きましょうよ! 私、お腹空きました!」


 ねぇ、つむぎちゃん! と真帆が同意を求めれば、


「そうですよ! お肉ですよ、お肉! わたしもお腹ペコペコですよ!」


 にーく! にーく! とふたりのお肉コールが始まって、井口先生が「わかったわかった」と肩を撫でおろす。


「じゃぁ、夕飯食いに行くか」


「そのあとは皆で星空観測ですよ! 楽しみはまだまだいっぱいですよ!」


 いつになく、テンションの高い真帆なのだった。

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