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第2話

 乙守先生はこちらに背を向け、カチャカチャと紅茶を淹れる準備を始めた。乙守先生が淹れてくれるのは、彼女オリジナルブレンドのハーブ入りだ。いったいどんなハーブが入っているのかは僕も知らない。ただ、この紅茶を飲むと頭の中がすっきりして、午後からの授業に集中して打ち込むことができた。それだけに変な薬が入っていないか正直心配なところもあるのだけれど、まぁ、たぶん、大丈夫だろう。


「はい、どうぞ」


 椅子に座ってその様子を眺めていた僕に先生は振り向くと、すたすたとふたつのカップをのせたトレーを運んできてくれた。


「ありがとうございます」


 小さなカップに注がれた薄茶色のお茶からはふわふわと湯気が立ち上り、ハーブのスッとした爽やかな香りが僕の鼻孔をくすぐった。やけどしないように僕はそのお茶を一口すすり、小さくため息を吐く。


「――美味しいですね」


「ふふっ、ありがとっ」

 にっこり微笑む乙守先生は、なんとも言えない大人の色香を醸し出していた。


 勘違いしてほしくはないが、僕は乙守先生のことを特別好きというわけではない。ただ大人の女性として尊敬しているだけだ。ふわりとした体系がどうとか、その割には他の男子が言うようにきょ……スタイルが魅力的だとか、すれ違った時に手を振ってくれる動作だとか、時々見せるあどけなさがうんたらかんたら――なんてことは微塵も感じてなどはいないと断言しておきたい。決して劣情など抱いてはいないし、彼女は僕にとって、そう、お姉さんのような存在に違いなかった。


「ところで、ゴールデンウィークの予定はどうなったの?」


 乙守先生が首を傾げながら訊ねてくる。先生もゆったりとした動作でカップに口をつけて紅茶をひと口、口に含んだ。そうして僕の顔をじっと見つめる。


 僕は何となくその視線が気恥ずかしくて、乙守先生の事務机にことりと置かれた彼女のカップに視線を逸らす。うっすらとカップに残された口紅の赤に、一瞬心臓がどきりとした。


「ま、まだ決めかねてるみたいですよ。春休みのときみたいにまた瀬良農園に行きたいみたいなんですけど、市内の花祭りにも行きたいらしくて。本当は県外の大南ハーブガーデンにも行きたいらしいんですけど、ホウキで行くか電車で行くか迷ってるみたいです。行くんだとしたら泊りにしたい、泊りにするなら砂治アストロ公園の宿泊施設はどうか、なんてことを延々、鐘撞さんや肥田木さんたちと話し合ってます」


「へぇ? 確かにあそこの星空、綺麗だものね。占星術でも勉強するの?」


「とは言ってますけど、話はバーベキューとか望遠鏡で星空観察だとか、そんなことばかり言ってるんで、たぶん、占星術とかはついでに程度じゃないですか?」


 すると乙守先生はくすくすと笑いながら、

「まぁ、要は親しい仲間内で遊びたいだけなんでしょうね。でも、だったらホウキの方が早いんじゃない? 電車だとお金もかかるでしょ」


「そうしたいのはやまやまなんですけど、ホウキで空を飛べるのって、真帆と鐘撞さんだけなんですよ。榎先輩も肥田木さんも空を飛ぶための風魔法は不得意らしくて」


「なるほどね」と乙守先生はこくこく頷き、「おまけに、井口くんもホウキには乗れない」


 井口くん、と言われるとどうにも違和感があるのだけれど、聞くところによると、どうやら乙守先生は井口先生よりも年上らしい。恐らく先輩にあたる人なのだろう。


 魔力とは生命力でもあり、その魔力が相当高い乙守先生はそれゆえに見た目の若さを保っているのだそうだ。


 つまるところ“美魔女”である。


 アリスさんもそれなりの年齢(それでもまだ若い方らしい)ではあるがまるで少女のような見た目をしているから、乙守先生の実年齢はいったい、いくつくらいなのだろうか。井口先生を基準にするなら三十後半から四十代くらいといったところか。さすがに聞くわけにはいかないので、ただただ想像するしかない。


 僕はそんな乙守先生に改めて視線を戻しつつ、

「そうなんですよ。だから、ちょっと無理かなって」


 すると乙守先生は首を傾げて提案してきた。


「私もホウキに乗れるから、相乗りで行くってのはどう? 楸さんと下拂くん、鐘撞さんと榎さん、それから、私のホウキはちょっと大きめだから、井口くんと肥田木さんくらいなら乗せられないこともないと思うけど」


 つまり乙守先生だけ三人乗りで行くというわけだ。どんだけ大きなホウキを持っているんだろうか。見てみたい気もするけれど――


「あ、いや、問題はそこだけじゃなくて」


「どういうこと?」


「真帆の運転が荒っぽ過ぎて、誰も長時間耐えられないってことです。僕も今までに何度か真帆のホウキに乗ったことありますけど、スピードは出すは、アクロバティックな飛び方をしようとはするは、上下左右に激しく揺れるは、アレは無理です。乗るたびに吐いちゃいますから」


 そのたびに真帆からは「ひ弱だなぁ」とか「三半規管を鍛えてください」と言われるのだけれど、その前にその荒っぽいホウキの運転をどうにかしてくれと僕はいつもいつも返すのだった。そしてそれが改善されたことは、今のところ一度もなかった。


「そんなにひどいんだ、楸さんの運転」


「暴れ牛です」


 あははっと乙守先生は口を押さえながらおかしそうに笑い、

「……そうね、彼女の場合、私たちよりも魔力が高すぎるから、きっと逆に風魔法がうまくコントロールできないんでしょうね」


「そういうことなんですか?」


「たぶんだけどね。結構難しいのよ、ホウキで空を飛ぶのって。色々な方向からの力を、風を使って安定させないといけないから。だからホウキで空を飛べる魔法使いって、昔から少ないのよね。ホウキじゃなくて、風呂敷とか大釜に乗った方が安定するらしいけど……見た目的にイヤよね」


「そうですね……」


 どこかから大釜を見繕ってきて全員でそれに乗って空を飛ぶ、なんて姿を想像してみたけれど、あまりにも滑稽な絵面で格好悪い。


「なら、ここは単純にいけばいいんじゃない?」


 にやりと笑んだ乙守先生に、僕は訊ねる。


「単純な方法って?」


 乙守先生はウィンクしながら人差し指を立てて、口元に笑みを浮かべながら、


「――私と井口くんの車に乗って移動する。一番単純で、至って普通の方法でしょ?」

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