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楸真帆は魔女である。
僕が高校に入学してしばらく経った頃に、たまたま空を飛んでいるところを目撃したこと、そして先輩の女子生徒三人を魔法の風で叩きのめしたところを、これまたたまたま目撃してしまったことから、僕と彼女の関係は始まった。
最初は僕の口を封じるための仮初の恋人として、そして今は色々あって、本当の恋人同士なわけなのだけれど、そこに至る経緯はまぁ、また別の機会ということで省略する。
とにかく僕らは、そろって無事に進学に進学を重ねて高校もついに三年生の年を迎えた。
まだ進学先も何も決めていない僕は真帆と並んで歩きながらも、はてさて残り一年をどうするべきか、そんなことばかりを考え続けていた。
「なんですか~?」と真帆が不満そうに唇を尖らせながら、僕の顔を覗き込んできた。「せっかく朝から一緒に登校してあげてるのに、いつまでそんなお先真っ暗な顔してるんですか!」
「別にお先真っ暗なんて顔してないよ」
「してますよ!」真帆は大きなため息を吐いてから、「残念です……今日は珍しく、お姉ちゃんにお願いして精いっぱいのおめかしをしてきたっていうのに……」
おめかし? 僕は首を傾げながら、まじまじと上から下まで真帆の姿を観察する。いつもの制服。いつもの綺麗な長い髪。それから大きな瞳と――あぁ、そうか。化粧だ。よくよく見ないと気付かない程度ではあるのだけれど、普段の真帆にしては珍しくうっすらと、けれどその素材を十分に活かすような化粧をしているのだ。
「ようやく気付きました?」
頬を膨らませる真帆に、僕は「ごめんごめん」と謝って、
「なんていうかその――可愛いよ、真帆」
「ありがとうございます」けれど真帆は、もう一度小さくため息を吐いてから、「本当はもっと早く言って欲しかったです……」
「ホントにごめん。色々考え事してたからさぁ」
「言いわけですか? きっとシモフツくんは、私のことに飽きちゃったんですね…… 悲しいです。ずっと一緒だと思っていたのに――もう、おしまいですか……?」
しくしくと泣き始める真帆に、僕は一瞬どきりとする。あの真帆が本気で泣くとはどうしても思えないのだけれど、昨年の春、僕と後輩の女の子、鐘撞葵の仲を勘違いした真帆が嫉妬して、色々とわちゃわちゃしてしまった事件があって、ついついあの一件を思い出してしまったのだ。
実は真帆の中には『夢魔』と呼ばれている魔力の集合体のような化け物が巣食っている。それゆえに彼女は他の魔女の数倍、或いは数十倍も魔力が高いらしいのだけれど、その魔力の集合体である『夢魔』と真帆の嫉妬心が結びついてしまい、僕や鐘撞さん、そして春先に卒業していった先輩、榎夏希を夢の中に閉じ込めて襲い掛かってきたのだ。
まさか、またあの時みたいに夢魔が暴れ出してしまうんじゃないか、と冷や冷やしながら、僕は真帆の背中に手をあて、
「ち、違うよ、そんなわけないだろ? 僕は真帆のことが大好きだよ、信じてよ!」
「……じゃぁ、言ってください」
「言うって、何を?」
「愛してるって、ちゃんと言って」
「んなっ!」
僕は辺りを見回す。たくさんの人、人、人。通勤通学ラッシュの最中、真帆はいったい何を言っているのか。
「い、今、ここで?」
「本当に私のことが好きなら、できますよね?」
「いや、だって、さすがにここじゃぁ――」
「ひどい!」両手で顔を覆い、真帆は泣き崩れるように、「私との関係は、やっぱり遊びだったんですね!」
「はぁ? いやいや、そんなわけ――」
「なら、今ここではっきり言ってください!」
「え、いや、でも、それは――」
「言って! 言ってくれないと、私――!」
「わ、わかった! わかったよ! 言うよ!」
僕は辺りを見回しながら、なるべく真帆にしか聞こえないように、
「……あ、愛してる」
「そんなものなんですか! シモフツくんの私への気持ちは!」
「え、ええっ!」
「もっと大きな声で、はっきりと! 叫んでください!」
「う、うぐぐうううっ!」僕はこぶしを握り締め、そして意を決する。
「わ、わかった! 言うよ! 叫ぶよ! 見てろよ!」
それから大きく息を吸って、吐いて、何度も深呼吸を繰り返して、長く長く息を吐いてから、
「――俺は真帆のことを、心の底から愛してるんだぁぁああぁっ!」
これまでにないくらい、大きな声で叫んでやった。
恥ずかしくてたまらなかった。
身体中が熱くてたまらなかった。
目を瞑って叫んでみたけど、恥ずかしすぎてすぐには瞼を開けられなかった。
だけど、これでどうだ! これなら真帆も満足だろう。再び夢魔が現れることもないはずだ。
「これでどう? 真帆――」
僕は大きく息を吐きながら、真帆の方に顔を向けて。
「――真帆?」
そこに、真帆の姿はどこにもなかった。
えぇ! なんで! どういうこと! 真帆?
僕は慌てて辺りを見回す。
たくさんの人たちが、呆れたような、驚いたような、馬鹿にするような視線で僕の顔をじっと見つめてきている中で、真帆が、数十メートル先からでもわかるくらいの声で『ぷぷっ!』と噴き出すように笑ってから、
「うわあぁ、恥ずかしい! もう、やめてくださいよ! ドン引きですよ! ド・ン・引・き!」
大笑いしながら、僕に背を向け駆け出していく。
またからかわれていたのか! ということに気付いた瞬間、恥ずかしさの極みで僕はもうどうにかなってしまいそうだった。
そう、今はとにかく、真帆をとっつかまえなきゃならない。
せめて後ろから抱き着いて羽交い絞めにして、謝罪のひと言でも言わせてやらなければ気がすまない。
「ま、真帆! 逃げるなぁぁああぁっ!」
僕は通行人の眼から逃れるように、必死に真帆の背中を追いかけたのだった。